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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

君が代不起立停職処分取消訴訟

2008年09月19日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ▲ 元教え子ら証言
 「君が代不起立停職処分取消訴訟」口頭弁論傍聴報告

ひらのゆきこ


 君が代斉唱不起立で停職処分を受けた2人の教師の裁判で元教え子や保護者が証言台に立ち、「心の中の黒いものが先生と話していると洗われた」「一人ひとりを大切にする教育をしていた先生」と恩師を心を込めて弁護しました。

 卒業式などでの君が代斉唱不起立で停職処分を受けた根津公子さんと河原井純子さんの停職処分取消訴訟の口頭弁論が、8月27日(水)午前10時より東京地裁でありました。
 今回は、「2006年事件」と言われている、06年の処分(根津さん停職3ヶ月、河原井さん停職1ヶ月)に対する訴訟の裁判で、原告側2名、被告側2名、計4名の証人尋問が行われました。
 原告側の証人は、根津さんの元教え子のTさん(立川二中の卒業生)と、河原井さんの関係者のKさん(七生養護学校の卒業生の保護者)
 被告側の証人は、元立川二中校長のFさんと、当時多摩事務指導課長のMさん。
 なお、根津さんと河原井さんはこの裁判のほかにも多くの訴訟を提起しており、それぞれ審理が行われています。

 ▲ 被告側の証人尋問
 最初に、被告側証人の証人尋問がありました。

 反対尋問で弁護団は、河原井さんが処分されたときの多摩事務指導課長だったMさんに対し、当時、東京都教育庁が各市区町村の教育委員会指導事務主管課長宛に配布した「公立学校の入学式、卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況等の調査結果の公表について」の写しや、Mさんの交通費の明細書のコピーなどを提示しながら、東京都教育庁の指示のもと各市区町村の教育委員会が、君が代斉唱不起立の教員のいる学校を重点的に訪問し、指導をしていたことなどを明らかにしました。

 また、根津さんを処分した元立川二中校長のFさんについては、都教委の尖兵としてやってきた経緯から、10.23通達による職務命令を出すにあたって、根津さんに対しても厳しい対応で臨む立場にあったものの、根津さんの主張に理解を持っていたこともあって、「頼むから立ってくれ」と頼むなど、板挟みになっていたところがあり、そのねじれ自体が強制であることを浮かび上がらせる内容の尋問を行いました。

 ▲ 原告側の証人尋問
 次に、原告側の証人尋問がありました。主尋問で弁護団は、根津さんと河原井さんがふだんどのような教育を実践していたか、教育者としての姿を浮かび上がらせるような質問をしました。

 根津先生の元教え子「また学校に行けるようになったのは、根津先生との出会いがあったから」
 根津さんの元教え子のTさんは、中学1年生の2学期に立川二中に転校し、服装や髪の毛の色などそれまで通っていた学校と違い、厳しかったことや、1年生の2学期の三者面談で担任の教師から心無い言葉を投げつけられ、深く心が傷ついたこと、また、廊下などでほかの生徒から後ろ指を指され、笑われるようなことがあったことなど、学校生活になじむことが困難であったことを語りました。

 2年生になって担任が変わったものの、将来の夢を否定するような発言をされたことで不登校になったこと、3年になって学校に行けるようになったのは、根津先生との出会いがあったからであるといったことなど、自分にとって根津先生がどのような存在であったかを語りました。

 また、君が代不起立で停職1ヶ月の処分を受けたあとも根津先生が毎日正門の外に立って、登校や下校のときに生徒たちに声かけをしていたことや、放課後、根津先生のもとには多いときで自分も含め、9人の生徒が集まって話をしていたことなど、生徒に信頼され、慕われていた根津先生の姿を伝えました。

 根津先生が処分をされたことについては、「根津先生は悪くないと思った」と述べ、放課後、毎日先生と2、3時間話をしていく中で、自分にできることはなにかと考え、新聞記事や新聞にはさんであったチラシなどを参考にし、平和の大切さを訴えるカラーパネルを作ったことを明らかにしました。

 心の中の黒くてドロドロしたものが根津先生と話していると洗われた
 根津先生と話をしていてどう思ったかと問われ、Tさんは、「学校にいるときに感じる、心の中の黒くてドロドロしたものが、根津先生と話をしていると心が洗われた。浄化された」と語りました。

 根津先生の停職処分が終わったときは本当に嬉しくて、家に帰るとすぐに手帳にそのことを書き込んだと語りました。その理由を問われ、Tさんは、「根津先生のように、生徒のことを親身なって思ってくれる先生が学校には必要だと思ったからです。根津先生は、私のような生徒を救ってくれると思います」と答えました。

 Tさんは、根津先生の行動から勇気をもらったと述べ、根津先生のことを「大好きです」と語りました。

 反対尋問では、被告側代理人が、根津先生がどのようなことを話していたのか、その内容を聞き出そうと努力をしているように見ましたが、Tさんは、「私の方が一方的に話していました」と答えたほか、さらにTさんが作ったパネルの中に「9条守れ」や石原都政に対する批判的な記事があることについても、「それは根津先生が言っていたの?」などと誘導尋問を繰り返す被告代理人に対し、「国のトップが変わらないと悪循環だと思ったから」と答え、あくまでも自分の考えであることを強調しました。

 「日の丸・君が代」強制はおかしいということについては、Tさんは、小学校のとき祖母から君が代は昭和天皇を称える歌であることを教えられていたと述べ、根津先生の行動が間違っていないと思ったのは、自分自身が同じような考えを持っていたからであることを強調しました。

 河原井先生の関係者「一人ひとりを大切にする教育をしていた河原井先生」
 次に、河原井さんが勤務していた七生養護学校に通っていた生徒の保護者のKさんに対する証人尋問がありました。

 弁護団が、10.23通達以前の七生養護学校の卒業式がフロア形式であったことに言及し、そのときの印象を尋ねると、Kさんは、卒業式のときスクリーンに3年間の授業の様子などが映し出され、みんなが好きな歌を歌うなど、一人ひとりがどんな学校生活を送っていたか伝わるような、温かい雰囲気であったと語りました。

 入学式や卒業式は厳粛な雰囲気でやるべきだと都教委が言っていることに対し、感想を求められると、七生養護学校の卒業式は工夫されていて、在校生や親が参加し、心に残るものであったと述べ、都教委が言うような厳粛で儀式的な卒業式は味気なく、心に残らない、と答えました。また、卒業式生の後ろに保護者が座るので、子どもの表情が見えないこと、10.23通達以後はどこの学校も同じで、形式的なものだったと語りました。

 障害を持っていることでずっと別扱いをしてきたのに、なぜこんなときだけ同じなのか
 養護学校の卒業式も普通の学校のようにやるべきだと都教委が言っていることについての感想を求められると、Kさんは、「小学校のときから障害があることで別の道を歩んできました。ずっと別扱いをされてきたのに、なぜこんなときだけ同じなのか、違和感を感じます」と答えました。

 七生養護学校で河原井先生たちがどのような指導をしていたのか、を問われ、「命の大切さを子どもたちに教える取り組みをやっていました。良い教育をしていると思いました」と述べ、河原井先生が熱心な指導をしていたことについては、次のように答えました。

 「七生養護学校の生徒の半数は隣接する施設に入っていました。河原井先生が受け持っていたクラスにも大変なお子さんがいましたが、そのお子さんがカブトムシの世話を熱心にするようになってから落ち着いたことを同級生のお母さんから聞きました。子どもたちが帰ったあとは河原井先生がカブトムシの世話をしていました。良い教育をしていると思いました」

 「河原井先生は、気持ちが良いという時間を過ごすために、“足だけお風呂”をやっていました。生徒一人ひとりに洗面器のお湯を取り換え、足のマッサージをしてあげていました。七生の教育は心を開く取り組みをしており、河原井先生はそれを実践していました。生徒みんなを平等に扱い、苗字も“さん”付けで呼び、一人ひとりを大切にしながらいつもニコニコして遊んでおり、子どもたちも安心して学校生活を送っていました」

 最後に、卒業式のときの君が代斉唱で起立をしなかった理由を問われ、Kさんは、「私は台湾の在日二世です。母は植民地時代、台湾で過ごしました。日の丸・君が代は植民地支配の道具でした。強制されるのは嫌だったので起立しませんでした」とその理由を述べました。

 ▲ 報告会
 裁判のあと、報告会がありました。弁護団から今日の証人尋問についての説明がありました。また、原告側の2人の証人に対し、傍聴していた人たちから「立派な受け答えだった」とのねぎらいの言葉と拍手がありました。

 根津先生の元教え子のTさんは、根津先生が自分にとっていかに大きな存在であったか、(尋問時間が限られていたため)自らの体験を十分語ることができなかったことが残念だったと語りました。Tさんのお話を聞きながら、生徒にとって教師の存在がいかに大きな支えとなっているかを知り、いまさらながらに根津先生が素晴らしい教育を実践していたことを知りました。

 また、Kさんは、お子さんが七生養護学校を卒業したあと亡くなられたそうですが、我が子が通っていた七生養護学校教員の河原井先生が不当な処分を受けていることに対し、自ら証言台に立って、七生養護学校の教育実践の素晴らしさと、河原井先生が、いかに一人ひとりを大切にする教育を行っていたか、つとめて冷静に語る姿には、胸を打たれるものがありました。

『JANJAN』 2008/09/06
http://www.news.janjan.jp/living/0809/0809056392/1.php

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