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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

地教行法と養護学校義務化が同時成立した1956国会

2014年01月05日 | こども危機
 ◆ 守るべきもの
松本昌介(小石川有志の会事務局長)

 この会も発足してから八年が経過しました。出身学校に「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が採用されると聞き、危機感を持った卒業生、保護者、現旧の教職員が集まったことがきっかけですが、年を追うごとに教科書採択をめぐる状況は急ピッチで進行し、今や大きな政治問題、教育問題となっています。
 戦争の結果、学び取ったこと-教育は時の権力に影響されることのないようにしよう-で、教育委員会制度ができたのですが、それを骨抜きにして、教育委員会を首長の下に置こうという動きが急速に進んでいます。この「むらさき草通信」が出る頃はその企みは具体化されていると思います。
 教育委員会は、戦後まもなく一九四八年、憲法、教育基本法の精神にもとついて制定されました。
 教育委員会法、第一条には「不当な支配に屈することなく」「国民全体に対し直接に責任を持つ」と法律の趣旨を述べています。いうまでもなく、教育が戦争遂行の道具にされてきたことの反省に立つものです。
 そして委員は公選制。私が小学生の時、退職した校長が立候補し、演説していた姿を見て、教育委員会というものを身近に感じたものです。
 その公選教育委員会はわずか八年で、改悪され(一九五六年)、任命制になりました。「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」となり、その翌年から勤務評定制度が始まりました。
 私はこの時のことも大変身近に感じています。

 戦後、盲児・聾児は義務教育になったのに、肢体不白由児、知的障害児などは義務教育になりませんでした。国が養護学校建設を進めなかったということもあり、この一部の障害児たちは義務教育から取り残されました。
 その養護学校建設予算に対する国の援助を、という法律が議員立法で進められていました(公立養護学校整備特別措置法)。
 文部省が乗り気ではないので、日教組、親の会、校長会などが運動を進め、法律が何とか制定されようとしていた時に、この「地教行法」が出てきたのです。
 教育委員会任命制を食い止めようと、社会党や革新政党は抵抗し、乱闘国会になりました。審議はストップ。警官隊導入という事態になりました。
 養護学校の法律も廃案になるところでしたが、審議の隙間をかいくぐって何とか通りました。そういう状態の国会で、自民党議員も協力したということのようです。
 今、養護学校は義務教育になっていて、すべての障害児は学校教育を受けることができますが、そのきっかけはこの法律です。社会党議員などが身体を張って任命制に抵抗したという歴史と、障害児義務教育とが意外なところで結びついています。
 私はその二年後、養護学校に採用されましたが、その時の模様を校長や父母に何回も聞きました。「毎日のように国会に陳情に行ったりして、私たちが義務教育の基礎を作ったのよ」と。
 時の権力の思うがままに教育が左右されるのだとしたら、こんな恐ろしいことはありません。戦時の教育のような事が繰り返されてはならないと思うのです。
 小石川有志の会は八年間、こつこつと地道な活動を続けてきました。こうした活動を継続してゆくことが、日本の教育を守るための力になると思うのです。
『むらさき草通信』(vol.4)教科書問題を考える小石川有志の会

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