響かせあおう 死刑廃止の声 2009(2)
▲ 誤判は避けられない
フォーラム90は、今年7月に元裁判官900人に「裁判員制度と死刑に関するアンケート調査」を行い、うち106人から回答があった。いまは弁護士、大学教授、公証人をやっている人である。
アンケートの内容は、裁判員制度への賛否、裁判員制度での死刑の全員一致制度の賛否、死刑制度への賛否、仮釈放のない終身刑創設への賛否、刑事裁判で誤判は避けられるか、刑事裁判の将来、「死刑判決を下して後で冤罪でないか疑ったことがあるか」「死刑判決を下して後で量刑が重すぎたと思ったことがあるか」、など23問だった。
その結果、「刑事裁判で誤判は避けられない」と答えた人は87人(82%)に上る。裁判員制度については賛成32人(30%)、反対65人(61%)、死刑制度については賛成53人(50%)、反対48人(45%)だった。
死刑判決を宣告した人は27人(25%)、後で量刑が重すぎると思ったことがあると答えた人が4人いた。とくにクロス分析をして、誤判は避けられないという人は死刑賛成で43人(81%)、死刑反対で42人(87%)と、死刑への賛否にかかわらずきわめて高かった。
このアンケート結果を踏まえ、この日のシンポジウムのテーマは「誤判は避けられない!」に決まった。
パネリストは、木谷明法政大学法科大学院教授(元東京高裁刑事部総括)、生田暉雄弁護士(元大阪高裁刑事部)、井垣康弘弁護士(元神戸家裁少年部)の3人、進行は安田好弘弁護士である。
以下、わたしにとって印象の強かった発言を中心に報告する。
▲ アンケート結果への感想
木谷●誤判を避けられるという元裁判官が10%もいたことにショックを感じた。自分は事実認定を比較的慎重に行ったほうだが、それでも誤判がないと断言することはできない。裁判所全体で考えると、神経のタフな裁判官もいるので、必然的に誤判は避けられないと思う。
生田●刑事裁判では、被告人人定質問、起訴状朗読のあと裁判長の告知がある。「被告はしゃべりたいことだけしゃべればよい。ただし、法廷でしゃべったことはすべて証拠となる」というものだ。告知には告知と聴聞の2つの側面がある。自分はずっと告知しかしてこなかった。これでよいのかずっと悩んでいたが、足利事件の報告を聞きこの悩みが正しかったことがわかった。自白した人も法廷でいつでも取り消してよいし、たとえ一審・二審で自白しても取り消しに従い裁判所は審理し直すということなのだ。しかし悲しいかな、裁判官というものは私でも、被告人が面会した際と違うことを言い出すと「刑がこわくなってウソを言い出したのではないか」と本当に思ってしまう。したがって告知は裁判官、裁判員、検察の自戒の言葉である。傍聴に行くことがあれば自問自答してほしい。
井垣●死刑反対の元裁判官が半分もいて勇気づけられた。死刑廃止は立法運動として行われているが、死刑という残虐な刑は違憲無効だと裁判闘争を起こせば、50%勝てるということだ。
▲ 誤判の危険
■足利事件の教訓をどう生かすか
木谷●どうしてこういう間違った結果になったのか、客観的に明らかにすべきだ。その点、佐藤弁護士が再審で行おうとしている検証活動は重要だ。それを踏まえて、今後の取り調べや接見方法のなかの間違った制度を正すべきだ。
裁判官の問題としては、DNA鑑定と公判での自白に目を奪われ過ぎた。自白で心証を取る裁判官はおそろしい。
井垣●刑事裁判をやればやるほど裁判官の人間のレベルは低下していく。檀の上と下にいるので、被告を人間としてではなく、「事件」として「モノ」としてみるようになる。そこで法曹一元のもと、5年の期間限定で弁護士を裁判官にするとよいと思う。
生田●裁判は、だれがやっても間違わないシステムにしていくべきだ。いまは相当足りないところがある。みんなで欠けているところを追求しないといけない。
また裁判に対する国民の関心が薄すぎる。たとえばドイツの行政訴訟は年間51万件、日本は2000件にすぎない。ドイツは人口が日本の2/3なのでそれを考慮すると75万件ないといけないことになる。皆が裁判により国家を正すという意識になり、あるべき裁判をもっと追求しないとよくならない。
■裁判員制度・被害者参加の下、誤判の可能性は低くなるか
生田●裁判員制度ではなかったが、公判前整理手続きを行い3日で判決という放火事件の弁護を担当した。1日目に鑑定人の精神科医に尋問した。すると鑑定書に書いてあることと違うことを述べた。普通の裁判では調書をみて反論するが2日目に行われた弁論では、メモと記憶をもとに言わざるをえなかった。また2日目に被告人本人への尋問をしたが、何度も接見したときと違うことを言い出しびっくりした。そして3日目が判決だった。新たに法廷で出たことを組み立てるには時間不足で困難だった。検察が敷いたセレモニー性がより高まったのが裁判員裁判だ。誤判はより起こりやすくなった。
木谷●たしかに公判前整理手続きにはムリがある。しかし、自白の任意性については裁判員の鋭い感覚に期待している。ただ状況証拠による認定が裁判員にできるかどうかは疑問だ。とくにロス疑惑や和歌山カレー事件のようにマスコミ先行の事件では、被告人が弁明しても世間の雰囲気で無罪と言いにくくなるかもしれない。
また検察の証拠開示の問題がある。足利事件に関連していうと、検事が被告人に有利な証拠を隠した。洗いざらい証拠を出さないと集中審議は危険だ。
■少年事件では、身柄拘束による混乱から被疑者が検察に迎合供述をすることがある
井垣●無期や死刑が予想される事件の場合、日弁連の子どもの権利委員会から3人、さらに家裁調査官経験者1-2人でチームを編成し、取調べ段階から派遣すべきだ。光市事件で痛感した。
▲ 量刑の難しさ
■無期と死刑ではずいぶん違う。3人の裁判官の間でどのような議論が行われ量刑が決まるのか。
生田●徳島地裁で、永山基準からすると死刑になるような事件を右陪席で担当した。被告人が小学生のとき大ケガをして知能の発達が遅れていることから無期懲役の判決を書いた。裁判長も右陪席も同意した。事実に食らいつき、こと細かに主任が主張すれば死刑が無期になることがある。裁判官はそれほど死刑が好きなわけではない。
シビアなケースもある。検察の求刑が8年の事件で、執行猶予を主張し、左陪席は同意したが、裁判長が「君は高裁の経験がない。執行猶予にすれば高裁で一発で破られる」といい左陪席が意見を変え、判決5年を言い渡した体験がある。
井垣●感覚が違うと量刑の議論もかみ合わず、少数意見は通らない。裁判員制度なら6人の裁判員に詳しく説明し4人の同意が得られれば、少数意見が復活し、むなしい議論でなくなる可能性もある。
■ひとつの事件で、一審死刑が二審で無期、あるいはその逆もある。
木谷●永山基準は「やむを得ない場合に許される」というもので明確な基準ではない。またそういう基準はつくれないと思う。どういう点に着目するかで判断が分かれる。
■統計を調べると、この20年で地裁の死刑判決は3倍、高裁では5倍に激増している。一方、凶悪事件の統計は減り、とくに少年殺人事件は30年前の1/3になっている。死刑判決激増の原因は何なのだろう。
井垣●司法改革で、裁判所は世論に敏感になった。世論の厳罰化に迎合し、自分の出世につなげる人が多くなったのではないか。
生田●裁判官が被告の立場にどれだけ同情できるかという問題がある。被告人の生活体験が裁判官にわからないので、ボンボン死刑判決が出るのではないか。
死刑廃止に関していうと、存置と廃止の2つに分け過ぎなのではないか。その中間を埋めることも重要だ。たとえば死刑判決言い渡しの際に、社会改善提言(例 格差社会や虐待社会をなくす)、刑事裁判への提言、死刑制度の情報公開に関する提言、というように3つの提言を付けるようにすれば存置派が減るだろう。
▲ 死刑制度の将来に向けての提言
井垣●死刑は、排除の論理、自己責任の論理だ。子どもの10%がネグレクトされ、社会から排除されている。死刑をなくし、刑が教育刑に変わることを期待したい。
生田●国家が命を奪ってはいけない。いまは人々の意識を変えて死刑制度をなくそうという運動が多いが、政治の力で一気に死刑を廃止し、そして意識を変えたほうがよいのではないか。
木谷●死刑と無期のあいだに仮釈放のない終身刑をつくろうという提言がある。過渡的にはよいかもしれないが、いつか社会復帰できる気持ちがないと更正は難しい。更生目的なら仮釈放の道を残すべきだ。
☆井垣弁護士の「裁判官は被告を人間としてではなく、『事件』として『モノ』としてみる」という発言はなるほどと思った。
というのは、裁判員制度が始まるときに、裁判所は「職業裁判官はたしかに公平で精密な判決を出せる。その反面均質化している。そこで市民の「常識」を刑事訴訟に取り入れることが裁判員法の目的だ」と説明していたからだ。木谷教授が「一般の人の鋭い感覚に期待」と言われるかということも理解できた。しかしいくら鋭い感覚を持っていたにしても、2日のうちたった1時間程度被告人と質疑応答していったいどれほど生かせるのかとも思った。
また生田弁護士の「裁判は、だれがやっても間違わないシステムにしていくべき」という意見に強く賛同する。かつて裁判員制度の説明会で「鹿児島の志布志事件、富山の連続婦女暴行事件など職業裁判官が行っても冤罪判決が起こっている。一般市民は冤罪に加担したくない。裁判員制度導入に当たり冤罪を少なくするようなシステムを何か考えているか」と質問したことがある。東京地裁の裁判官も最高裁の審議官もこの質問に答えられなかった。
☆誤判を避けられないとみる裁判官が80%に上ることは人間として健全だといえる。それなら冤罪の可能性も考慮し、「疑わしきは罰せず」の精神で、死刑や無期懲役判決を続発しないでほしいものだ。
『多面体F』より(2009年10月16日 集会報告)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/8ab3ae95e323e6f6d84662d178ba2d54
▲ 誤判は避けられない
フォーラム90は、今年7月に元裁判官900人に「裁判員制度と死刑に関するアンケート調査」を行い、うち106人から回答があった。いまは弁護士、大学教授、公証人をやっている人である。
アンケートの内容は、裁判員制度への賛否、裁判員制度での死刑の全員一致制度の賛否、死刑制度への賛否、仮釈放のない終身刑創設への賛否、刑事裁判で誤判は避けられるか、刑事裁判の将来、「死刑判決を下して後で冤罪でないか疑ったことがあるか」「死刑判決を下して後で量刑が重すぎたと思ったことがあるか」、など23問だった。
その結果、「刑事裁判で誤判は避けられない」と答えた人は87人(82%)に上る。裁判員制度については賛成32人(30%)、反対65人(61%)、死刑制度については賛成53人(50%)、反対48人(45%)だった。
死刑判決を宣告した人は27人(25%)、後で量刑が重すぎると思ったことがあると答えた人が4人いた。とくにクロス分析をして、誤判は避けられないという人は死刑賛成で43人(81%)、死刑反対で42人(87%)と、死刑への賛否にかかわらずきわめて高かった。
このアンケート結果を踏まえ、この日のシンポジウムのテーマは「誤判は避けられない!」に決まった。
パネリストは、木谷明法政大学法科大学院教授(元東京高裁刑事部総括)、生田暉雄弁護士(元大阪高裁刑事部)、井垣康弘弁護士(元神戸家裁少年部)の3人、進行は安田好弘弁護士である。
以下、わたしにとって印象の強かった発言を中心に報告する。
▲ アンケート結果への感想
木谷●誤判を避けられるという元裁判官が10%もいたことにショックを感じた。自分は事実認定を比較的慎重に行ったほうだが、それでも誤判がないと断言することはできない。裁判所全体で考えると、神経のタフな裁判官もいるので、必然的に誤判は避けられないと思う。
生田●刑事裁判では、被告人人定質問、起訴状朗読のあと裁判長の告知がある。「被告はしゃべりたいことだけしゃべればよい。ただし、法廷でしゃべったことはすべて証拠となる」というものだ。告知には告知と聴聞の2つの側面がある。自分はずっと告知しかしてこなかった。これでよいのかずっと悩んでいたが、足利事件の報告を聞きこの悩みが正しかったことがわかった。自白した人も法廷でいつでも取り消してよいし、たとえ一審・二審で自白しても取り消しに従い裁判所は審理し直すということなのだ。しかし悲しいかな、裁判官というものは私でも、被告人が面会した際と違うことを言い出すと「刑がこわくなってウソを言い出したのではないか」と本当に思ってしまう。したがって告知は裁判官、裁判員、検察の自戒の言葉である。傍聴に行くことがあれば自問自答してほしい。
井垣●死刑反対の元裁判官が半分もいて勇気づけられた。死刑廃止は立法運動として行われているが、死刑という残虐な刑は違憲無効だと裁判闘争を起こせば、50%勝てるということだ。
▲ 誤判の危険
■足利事件の教訓をどう生かすか
木谷●どうしてこういう間違った結果になったのか、客観的に明らかにすべきだ。その点、佐藤弁護士が再審で行おうとしている検証活動は重要だ。それを踏まえて、今後の取り調べや接見方法のなかの間違った制度を正すべきだ。
裁判官の問題としては、DNA鑑定と公判での自白に目を奪われ過ぎた。自白で心証を取る裁判官はおそろしい。
井垣●刑事裁判をやればやるほど裁判官の人間のレベルは低下していく。檀の上と下にいるので、被告を人間としてではなく、「事件」として「モノ」としてみるようになる。そこで法曹一元のもと、5年の期間限定で弁護士を裁判官にするとよいと思う。
生田●裁判は、だれがやっても間違わないシステムにしていくべきだ。いまは相当足りないところがある。みんなで欠けているところを追求しないといけない。
また裁判に対する国民の関心が薄すぎる。たとえばドイツの行政訴訟は年間51万件、日本は2000件にすぎない。ドイツは人口が日本の2/3なのでそれを考慮すると75万件ないといけないことになる。皆が裁判により国家を正すという意識になり、あるべき裁判をもっと追求しないとよくならない。
■裁判員制度・被害者参加の下、誤判の可能性は低くなるか
生田●裁判員制度ではなかったが、公判前整理手続きを行い3日で判決という放火事件の弁護を担当した。1日目に鑑定人の精神科医に尋問した。すると鑑定書に書いてあることと違うことを述べた。普通の裁判では調書をみて反論するが2日目に行われた弁論では、メモと記憶をもとに言わざるをえなかった。また2日目に被告人本人への尋問をしたが、何度も接見したときと違うことを言い出しびっくりした。そして3日目が判決だった。新たに法廷で出たことを組み立てるには時間不足で困難だった。検察が敷いたセレモニー性がより高まったのが裁判員裁判だ。誤判はより起こりやすくなった。
木谷●たしかに公判前整理手続きにはムリがある。しかし、自白の任意性については裁判員の鋭い感覚に期待している。ただ状況証拠による認定が裁判員にできるかどうかは疑問だ。とくにロス疑惑や和歌山カレー事件のようにマスコミ先行の事件では、被告人が弁明しても世間の雰囲気で無罪と言いにくくなるかもしれない。
また検察の証拠開示の問題がある。足利事件に関連していうと、検事が被告人に有利な証拠を隠した。洗いざらい証拠を出さないと集中審議は危険だ。
■少年事件では、身柄拘束による混乱から被疑者が検察に迎合供述をすることがある
井垣●無期や死刑が予想される事件の場合、日弁連の子どもの権利委員会から3人、さらに家裁調査官経験者1-2人でチームを編成し、取調べ段階から派遣すべきだ。光市事件で痛感した。
▲ 量刑の難しさ
■無期と死刑ではずいぶん違う。3人の裁判官の間でどのような議論が行われ量刑が決まるのか。
生田●徳島地裁で、永山基準からすると死刑になるような事件を右陪席で担当した。被告人が小学生のとき大ケガをして知能の発達が遅れていることから無期懲役の判決を書いた。裁判長も右陪席も同意した。事実に食らいつき、こと細かに主任が主張すれば死刑が無期になることがある。裁判官はそれほど死刑が好きなわけではない。
シビアなケースもある。検察の求刑が8年の事件で、執行猶予を主張し、左陪席は同意したが、裁判長が「君は高裁の経験がない。執行猶予にすれば高裁で一発で破られる」といい左陪席が意見を変え、判決5年を言い渡した体験がある。
井垣●感覚が違うと量刑の議論もかみ合わず、少数意見は通らない。裁判員制度なら6人の裁判員に詳しく説明し4人の同意が得られれば、少数意見が復活し、むなしい議論でなくなる可能性もある。
■ひとつの事件で、一審死刑が二審で無期、あるいはその逆もある。
木谷●永山基準は「やむを得ない場合に許される」というもので明確な基準ではない。またそういう基準はつくれないと思う。どういう点に着目するかで判断が分かれる。
■統計を調べると、この20年で地裁の死刑判決は3倍、高裁では5倍に激増している。一方、凶悪事件の統計は減り、とくに少年殺人事件は30年前の1/3になっている。死刑判決激増の原因は何なのだろう。
井垣●司法改革で、裁判所は世論に敏感になった。世論の厳罰化に迎合し、自分の出世につなげる人が多くなったのではないか。
生田●裁判官が被告の立場にどれだけ同情できるかという問題がある。被告人の生活体験が裁判官にわからないので、ボンボン死刑判決が出るのではないか。
死刑廃止に関していうと、存置と廃止の2つに分け過ぎなのではないか。その中間を埋めることも重要だ。たとえば死刑判決言い渡しの際に、社会改善提言(例 格差社会や虐待社会をなくす)、刑事裁判への提言、死刑制度の情報公開に関する提言、というように3つの提言を付けるようにすれば存置派が減るだろう。
▲ 死刑制度の将来に向けての提言
井垣●死刑は、排除の論理、自己責任の論理だ。子どもの10%がネグレクトされ、社会から排除されている。死刑をなくし、刑が教育刑に変わることを期待したい。
生田●国家が命を奪ってはいけない。いまは人々の意識を変えて死刑制度をなくそうという運動が多いが、政治の力で一気に死刑を廃止し、そして意識を変えたほうがよいのではないか。
木谷●死刑と無期のあいだに仮釈放のない終身刑をつくろうという提言がある。過渡的にはよいかもしれないが、いつか社会復帰できる気持ちがないと更正は難しい。更生目的なら仮釈放の道を残すべきだ。
☆井垣弁護士の「裁判官は被告を人間としてではなく、『事件』として『モノ』としてみる」という発言はなるほどと思った。
というのは、裁判員制度が始まるときに、裁判所は「職業裁判官はたしかに公平で精密な判決を出せる。その反面均質化している。そこで市民の「常識」を刑事訴訟に取り入れることが裁判員法の目的だ」と説明していたからだ。木谷教授が「一般の人の鋭い感覚に期待」と言われるかということも理解できた。しかしいくら鋭い感覚を持っていたにしても、2日のうちたった1時間程度被告人と質疑応答していったいどれほど生かせるのかとも思った。
また生田弁護士の「裁判は、だれがやっても間違わないシステムにしていくべき」という意見に強く賛同する。かつて裁判員制度の説明会で「鹿児島の志布志事件、富山の連続婦女暴行事件など職業裁判官が行っても冤罪判決が起こっている。一般市民は冤罪に加担したくない。裁判員制度導入に当たり冤罪を少なくするようなシステムを何か考えているか」と質問したことがある。東京地裁の裁判官も最高裁の審議官もこの質問に答えられなかった。
☆誤判を避けられないとみる裁判官が80%に上ることは人間として健全だといえる。それなら冤罪の可能性も考慮し、「疑わしきは罰せず」の精神で、死刑や無期懲役判決を続発しないでほしいものだ。
『多面体F』より(2009年10月16日 集会報告)
http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/8ab3ae95e323e6f6d84662d178ba2d54
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