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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

2022年国際人権に関する都教委再要請(全5項目 後編)

2022年05月12日 | 暴走する都教委
◎ 怠慢なのか、傲慢なのか、「対話(dialog)」を拒否し「説明責任」を放棄する都教委

要請:東京・教育の自由裁判をすすめる会国際人権プロジェクトチーム(2022年3月28日)
回答:東京都教育委員会(令和4年4月26日)

 ● 要請3.
 前回要請項目3.で見解を求めたのは、「学習指導要領の適正実施」です。(「10・23通達の適正実施」ではありません)。改めて以下の項目について見解を求めます。
(1)『学習指導要領』には、「起立」という言葉がありません。
  教員に対して発せられる「個別職務命令書」には、必ず「『学習指導要領』に基づき生徒に適正な指導を行うこと」とありますが、この「指導」の中に「生徒を起立させること」が含まれているのでしょうか。もし含まれるとしたら、学習指導要領の逸脱ですから、学習指導要領に基づかない職務命令は今後出さないで下さい。
 もし含まれないとしたら、卒業式で不起立生徒がいた場合「厳重注意」ないし「注意」処分を教員や管理職が受けてきましたが、処分の法的根拠をお示し下さい
(2)『学習指導要領』には、「起立」が教員の職務であるとの記述がありません。
  教員に対して発せられる「個別職務命令書」には必ず、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱すること」とありますが、起立斉唱することが「教員の職務上の責務」である法的根拠は何ですか、ご教示下さい。ちなみに、教育基本法第9条(教員)、学校教育法第37条⑪(教諭)、学習指導要領、同解説にも、教員自身が起立斉唱することが「教員の職務」であるとの記載はありません。
(3)『学習指導要領』は、指導の結果を出すことまでは義務付けていません。
  「国旗及び国歌」を指導する目的を、『学習指導要領解説』は「国際化の進展に伴い,日本人としての自覚を養い,国を愛する心を育てるとともに,生徒が将来,国際社会において尊敬され,信頼される日本人として成長していくためには,国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ,それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。」と記しています。
  ただし、その目的である「正しい認識」「尊重する態度」を指導した結果について「そこまで学習指導要領」は義務付けておりません」と、文部省(当時)初等中等教育局長は、国会で答弁しています。<cf.1>
  さらに児童・生徒に強制できない理由について、「意義を理解できたか」「尊重する態度を取れたか」まで強制すると「内心に立ち入る」ことになるから許されない、と国会で答弁しています。<cf.2>
  従って、生徒の不起立という結果を不適正としたり、管理職や教員を処分したり指導したりすることは『学習指導要領』違反になります。「3.11通知」(2004/3/11)及び「3.13通達」(2006/3/13)は、いずれも生徒の内心に立ち入る強制を学校に求めており、『学習指導要領』の逸脱であり、『学習指導要領』の適正実施ではないので撤回して下さい
 <回答3.>
 平成18年3月13日付「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)」は、平成15年10月23日付「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」及び平成16年3月11日付「入学式・卒業式の適正な実施について(通知)」の趣旨を、なお一層徹底するとともに、校長が自らの権限と責任において、学習指導要領に基づき適正に児童・生徒を指導することを、教職員に徹底するよう通達したものです。本通達を撤回する考えはありません。(所管:指導部指導企画課)
 【コメント】
 わざわざ、(1)~(3)に細分化して質問しているのに、一切無視して一括回答で済ませている。
 (1)では、「生徒に適正な指導を行う」とは、「生徒に起立斉唱を強制すること」なのかと聞いているのに、答えていない。不起立の生徒がいた学級担任が指導力不足として処分されているのに、その処分の「法的根拠」にも答えていない。
 (2)では、教員自身が起立することが「教員の職務上の責務」であるとする「法的根拠」を聞いているのに、答えがない。
 (3)では、「3.13通達」が『学習指導要領』に書いてないことを学校にやることを命じているので、「学習指導要領の適正実施」ではないと指摘しているのに、ガン無視して何も答えない。どれだけ面の皮が厚いのか。

 要請4.
 質問したのは、「学習指導要領が適正に実施されなかった事例」です。(「10・23通達が適正に実施されなかった事例」ではありません。)改めて「学習指導要領が適正に実施されなかった事例とは何ですか、教えて下さい。」に、具体的な事例を以てお答え下さい
 <回答4.>
 具体的には、学習指導要領に示す「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するよう指導するものとする。」について適正に実施されない事例です。(所管:指導部指導企画課)
 【コメント】
 人を食った回答で笑いを取ろうとでもしているのか。それとも答えることに怯えているのか。
 「適正」という抽象的な言葉に、何が適正でないか具体例を求めている。適正でないことは「服務上の責任を問われる」として実際に処分を科している。堂々と「生徒が起立しなかったこと」なのか「教員が起立しなかったこと」なのか、具体例を挙げて答えれば良いのに、抽象表現を同義反復して逃げる。
 生徒に起立を強制するとか、教員の職務上の責務は起立することとか、『学習指導要領』にはどこを探しても書いていないから、答えようがないのか。

 要請5.
 前回のご回答が要請と十分噛み合っていないので、改めて項目を分けて要請いたします。
(1)『学習指導要領』には、「舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する」と書いてありません。にも関わらず、フロア形式の卒業式を禁止する法的根拠をお示し下さい。
(2)『学習指導要領解説・特別活動編』には、儀式的行事の「実施上の留意点」として、「いたずらに形式に流れ」ることなく、「絶えず行事の内容に工夫を加えること」などと記載されています<cf.3>。学習指導要領はあくまでも大綱的基準であって、各学校はそれを踏まえて教育課程を編成するという立て付けになっていると思うので、学校の判断で地域の特性や生徒の実情に応じてフロア形式の卒業式を認めるべきではないでしょうか。フロア形式の一律禁止を撤回して下さい
(3)特別支援学校の生徒には「合理的配慮」が必要です。「舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する」形式は、車椅子の生徒にとって不要な労力を強いられるものです。生徒・保護者・教員ら当事者の意向を確かめることなく行われている、画一的な「舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する」形式は、「合理的配慮」に欠けており、『障害者権利条約』2条<cf.4>、『障がい者差別解消法』8条2項<cf.5>に違反しているので、ただちに改善を求めます
 <回答5.>
 卒業式における国旗・国歌の指導は、学習指導要領に基づき、児童・生徒に、国旗・国歌の意義を理解させ、これを尊重する態度を育てるものであることから、卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与するものとしています。(所管:指導部指導企画課)
 【コメント】
 要請をわざわざ細分化したのに、個別の要請に向かい合おうとしていない。
(1)要請者をなめているのか、「法的根拠」を示せと求めているのに対し平然と『学習指導要領』を持ってくるふてぶてしさ。しかも『学習指導要領』には、フロア形式を禁じる文言は一言もない
(2)逆に『学習指導要領・解説』では、儀式的行事の留意点として「いたずらに形式に流れ」ることなく「絶えず行事の内容に工夫を加えること」と書いてあることを指摘しても、それについては何ら応答しない。都合の悪い現実には目をつぶろうとしているようにしか見えない。こんな無能でも指導部指導企画課は給料がもらえるのだ・・・???
(3)特別支援学校の画一的な舞台壇上形式卒業式について、「生徒・保護者・教員ら当事者の意向」を確かめたのか否か、答はない。「合理的配慮」を規定した条約や法律の条文をあげて適合性を問うても、何も答えない。ガン無視である。東京都の教育行政には条約や法律は関係ないらしい。
 条約や法律の具体的条文を挙げて、行政施策の適合性を聞いているのに、一切答えない。また、行政行為の「法的根拠」を問うても、全く答が返ってこない。
 三権分立の立憲政体では、行政は立法の範囲内でしか動けないことになっている。ところが都教委は、条約や法律にはお構いなしに全能者の如くやりたい放題やって、都民(主権者)との「対話(ダイアログ)」を頑なに拒んでいる。
 これは「行政」の体をなしていない。怠慢と言うより無能、その上傲慢である。
 傲慢と言われるプーチンだってウクライナに侵攻の理由を自分の言葉で国民に説明している。「説明責任」を果たさない東京都は、プーチン以上に傲慢である。

 <cf.1> 1999年8月4日 衆議院文教委員会 御手洗康初等中等教育局長
 今回御審議をいただいております国旗・国歌に関する法案は、国旗と国歌を定めているものでございまして、それに伴いまして何らかの義務づけというような条文はないわけでございます。これに対しまして、学校教育におきましては、再三繰り返しになりますけれども、文部大臣が定めております学習指導要領におきまして、我が固の学校教育におきます国旗と国歌の指導について、全国的にすべての学校で教えなければならない基準ということでお示しをしているわけでございまして、学校の教員並びに校長は、この学習指導要領に基づきまして適切に教育課程を編成し実施しなければならない、こういう法的な関係に立つわけでございまして、最終的に子供たちがその指導をどう受けとめるかということは、これは教育の指導の結果の問題でございますので、そこまで学習指導要領は義務づけておりません。子供は当然、通常の場合に、学校が定められた教育活動に主体的に参加していく、これは教育活動の本来持っております作用でありますし、教員はそういった教育活動の本来的な作用に従って児童生徒を指導していくということでございますけれども、指導の結果、最終的に児童生徒が、例えば卒業式にどういう行動をとるかあるいは国旗・国歌の意義をどのように受けとめるか、そういうところまで強制されるものではないという意味で、強制するものではないと申し上げているところでございます。
 <cf.2> 1999年7月1日 衆議院内閣委員会 辻村哲夫初等中等教育局長
 学校教育は、人格の完成を目指しましてさまざまな指導が行われるわけでございます。学校教育法等に基づきまして行われるわけでございまして、その指導の過程におきましては、子供たちの価値形成ということにかかわるわけでございます。しかし、内心に立ち入らないというのは、指導を受けました子供たちが、指導を受けた後に、それぞれ指導された内容についてどのように判断をするのか、それについてどのように考えるのか、このことについてまで国家が一定の制限をしたりあるいは禁止したりする、このことは許されないというふうに理解をいたしております。そこで、具体的な例ということでございますけれども、いろいろな事例があろうかと思いますが、例えば国歌の例について申しますれば、いろいろな指導を受けた後、しかし、やはり自分としては歌いたくないというような児童がいる場合に、無理強いしてこれを斉唱させるというようなことになりました場合には、やはりこの内心に立ち入らないということにかかわってくるのではないか、こんなふうに理解をいたしております。
(引用文中の下線は、cf.1,cf.2とも引用者)

 <cf.3> 学習指導要領解説・特別活動編
 儀式的行事の教育効果は,生徒の参加意欲とその儀式から受ける感銘の度合いによって大きく左右される。したがって,いたずらに形式に流れたり,厳粛な雰囲気を損なったりすることなく,各行事のねらいを明確にし,絶えず行事の内容に工夫を加えること
 <cf.4> 障害者権利条約
    第二条 「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。
 <cf.5> 解消法7条(合理的配慮の提供義務)
 (行政機関等における障害を理由とする差別の禁止)
 第七条 行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない。
 2 行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない。

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