板橋高校卒業式「君が代」刑事弾圧事件 最高裁に口頭審理を要請中
★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
◇ 5/31欧州人権専門家の『legal opinion』を最高裁へ提出!! ◇
◎ フォルホーフ教授の意見書紹介
~藤田事件は国際人権の見地からは「表現の自由」への不当な干渉
「ヤマセミ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
1,国際人権専門家に「legal opinion」を書いていただいた経緯
5月31日に弁護団が最高裁に提出した『上告趣意補充書(2)』の大きな柱が、フォルホーフ教授の「意見書」である。
Dirk Voorhoof氏は、ベルギーヘント大学の教授であると同時に、ストラスブール欧州議会人権局の委員で、欧州人権裁判所の裁判に長く関わってこられた国際人権法の権威である。
お忙しい時間を割いて弁護団の依頼に快く応じ、日本の個別「藤田裁判」について、英訳された地裁・高裁判決文のていねい分析の上に、明快な意見書(英文A4・13ページ)を書いて下さった。
「表現の自由」をめぐる、国連人権委員会での4つの判例、欧州人権裁判所での7つの判例を引用しながら、藤田氏への訴追・有罪判決は民主社会にはあり得ない不当な干渉に当たると結論づけている。
最高裁は「表現の自由」の世界標準に謙虚に耳を傾けてほしい。
以下、その概要を紹介する。
2,国際人権の立場からのLegal analysis(法律的分析)
~公共の場での意見表明に対していかなる条件下で公権力による制約が許されるか
(1)国連自由権規約(ICCPR)における「表現の自由」
①ICCPR19条(表現の自由) ~制約は明文規則で
第2項には「すべての人は表現の自由に対する権利を持つ」とあり、第3項で制約または制裁が課せられる場合の条件を明文化している。
②国連人権委で審理された4ヶ国の事例 ~制約には厳格な検証が必要
いずれのケースも「表現の自由に対する権利はいかなる社会においても最重要であり、その権利の行使の制約は、その正当性に関して厳格な検証を受けることが必要である」との立場から、制裁は条約違反と認定された。
③日本政府の責務 ~国連人権委から指摘
日本は、ICCPRを1979年に批准しているので、政府はすべての国民に同条約上の権利を保障する義務があり、国内裁判所は判決を同条約に準拠させるべきである。
日本政府に対し国連人権委員会は「表現の自由の権利の尊重に関して、法律や判決の中には制限的なアプローチをしているものがあることを残念に思う」と、懸念を表明している。
(2)欧州人権裁判所の「表現の自由」に関わる判例から
①欧州人権条約(ECHR)10条(表現の自由) ~30年運用の実績
ICCPRと同水準の法理念を30年以上にわたって具体的に適用してきた実績がある。
自由権に対する公権力による制約条項がより具体的に明文化されている。
②公権力が禁止または制裁という手段で干渉できるケース ~明文規定と緊急の必要性
ECHR第10条第2項による制約は、当局による干渉が十分に明確で適用しやすい「法律に基づいていること」と「民主主義社会において必要」と認められることである。その「必要」とは「緊急の社会的必要性」と理解されている。
③7つの判例を引用 ~厳格な審査基準
基準の様々な適用例が示され、例えばライチョウ狩りと高速道路延長に対する抗議中に逮捕(英国)の例では、抗議行動が物理的妨害という形を取ったのは事実であるが、意見表明権を構成すると認定し、国による制裁は違法と処罰を取り消した。
④「表現の自由」の意義 ~民主主義社会の基本を支える権利
表現の自由は民主社会の基本的基盤の1つでもあり、かつ民主主義社会の発展および個々人の自己実現の基本条件の1つでもある。
表現の自由とは、受け入れやすい情報や考え方、無害とみなされる情報や考え方、あるいは重要ではない情報や考え方に対してのみ適用されるのではなく、国家あるいはその他の人間集団を攻撃したり衝撃や混乱を与える情報や考え方についても、一部の見解や言葉が当局にとってどれほど刺激的で受け入れがたいものであっても、適用される。
3.藤田事件に自由権規約第19条および欧州人権条約第10条を適用すれば ~無罪
①制約の正当性があったか
校長が体育館から退場させることができるのは、被告人に対して着席し、文書配布を止め、保護者への呼びかけを中止するよう要請して、それらが失敗しさらに被告人が式を妨害しようとする意図を持っていることが明らかな場合に限られる。
藤田氏の行為が混乱や暴力を誘発する危険があったことを示すものはいっさい存在しない。
②制裁の必要性があったか
引き続いて行われた刑事訴追そして刑法第234条適用による威力業務妨害罪での被告人の有罪判決は、不必要かつ不相応な制裁であり、国際人権規約の違反とみなされる。
日本の司法機関の判決は、焦点となる相反利益の均衡判断を誤ったというほかない。
③意見表明の正当性 ~国旗国歌強制問題は社会的関心事
社会的関心事についての開かれた議論は民主主義の基本である。
憲法で保障された思想と良心の自由に対する権利についての議論や、学校行事等における国旗称揚および国歌斉唱の強要に関する議論は、このような社会的関心事に該当する。
④民主主義社会への悪影響
表現の自由に関する国際人権規約の観点からみれば、藤田氏に対する有罪判決および制裁が、被告人の表現の自由の権利のみならず、国旗に正対して起立し国歌を斉唱することを東京都の全公立校の教職員に命じる10.23通達の強制的性格に反対する被告人以外の人々の表現の自由に対する権利に関しても「萎縮効果」を持つことは疑う余地がない。
⑤結論=公権力による不当な干渉
藤田氏の訴追および有罪判決は、藤田氏の表現と情報の自由に対する権利への不当な干渉とみなされるというのが本意見書の基本的見解である。
欧州裁判所の判例法から見た場合、被告人の表現の自由に対する権利へのこのような干渉は、「民主主義に対する害であり、民主主義自体を危うくさえするもの」といえる。
…国際人権B規約(19条)にも、欧州人権条約(10条)にもある「制約の明文規定」が、日本国憲法(21条)にはない。制約要因として曖昧な「公共の福祉」が無限定的に使われている構図が明らかにされている。
『藤田先生を応援する会通信』(第41号 2010/6/3)
★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
◇ 5/31欧州人権専門家の『legal opinion』を最高裁へ提出!! ◇
◎ フォルホーフ教授の意見書紹介
~藤田事件は国際人権の見地からは「表現の自由」への不当な干渉
「ヤマセミ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
1,国際人権専門家に「legal opinion」を書いていただいた経緯
5月31日に弁護団が最高裁に提出した『上告趣意補充書(2)』の大きな柱が、フォルホーフ教授の「意見書」である。
Dirk Voorhoof氏は、ベルギーヘント大学の教授であると同時に、ストラスブール欧州議会人権局の委員で、欧州人権裁判所の裁判に長く関わってこられた国際人権法の権威である。
お忙しい時間を割いて弁護団の依頼に快く応じ、日本の個別「藤田裁判」について、英訳された地裁・高裁判決文のていねい分析の上に、明快な意見書(英文A4・13ページ)を書いて下さった。
「表現の自由」をめぐる、国連人権委員会での4つの判例、欧州人権裁判所での7つの判例を引用しながら、藤田氏への訴追・有罪判決は民主社会にはあり得ない不当な干渉に当たると結論づけている。
最高裁は「表現の自由」の世界標準に謙虚に耳を傾けてほしい。
以下、その概要を紹介する。
2,国際人権の立場からのLegal analysis(法律的分析)
~公共の場での意見表明に対していかなる条件下で公権力による制約が許されるか
(1)国連自由権規約(ICCPR)における「表現の自由」
①ICCPR19条(表現の自由) ~制約は明文規則で
第2項には「すべての人は表現の自由に対する権利を持つ」とあり、第3項で制約または制裁が課せられる場合の条件を明文化している。
②国連人権委で審理された4ヶ国の事例 ~制約には厳格な検証が必要
いずれのケースも「表現の自由に対する権利はいかなる社会においても最重要であり、その権利の行使の制約は、その正当性に関して厳格な検証を受けることが必要である」との立場から、制裁は条約違反と認定された。
③日本政府の責務 ~国連人権委から指摘
日本は、ICCPRを1979年に批准しているので、政府はすべての国民に同条約上の権利を保障する義務があり、国内裁判所は判決を同条約に準拠させるべきである。
日本政府に対し国連人権委員会は「表現の自由の権利の尊重に関して、法律や判決の中には制限的なアプローチをしているものがあることを残念に思う」と、懸念を表明している。
(2)欧州人権裁判所の「表現の自由」に関わる判例から
①欧州人権条約(ECHR)10条(表現の自由) ~30年運用の実績
ICCPRと同水準の法理念を30年以上にわたって具体的に適用してきた実績がある。
自由権に対する公権力による制約条項がより具体的に明文化されている。
②公権力が禁止または制裁という手段で干渉できるケース ~明文規定と緊急の必要性
ECHR第10条第2項による制約は、当局による干渉が十分に明確で適用しやすい「法律に基づいていること」と「民主主義社会において必要」と認められることである。その「必要」とは「緊急の社会的必要性」と理解されている。
③7つの判例を引用 ~厳格な審査基準
基準の様々な適用例が示され、例えばライチョウ狩りと高速道路延長に対する抗議中に逮捕(英国)の例では、抗議行動が物理的妨害という形を取ったのは事実であるが、意見表明権を構成すると認定し、国による制裁は違法と処罰を取り消した。
④「表現の自由」の意義 ~民主主義社会の基本を支える権利
表現の自由は民主社会の基本的基盤の1つでもあり、かつ民主主義社会の発展および個々人の自己実現の基本条件の1つでもある。
表現の自由とは、受け入れやすい情報や考え方、無害とみなされる情報や考え方、あるいは重要ではない情報や考え方に対してのみ適用されるのではなく、国家あるいはその他の人間集団を攻撃したり衝撃や混乱を与える情報や考え方についても、一部の見解や言葉が当局にとってどれほど刺激的で受け入れがたいものであっても、適用される。
3.藤田事件に自由権規約第19条および欧州人権条約第10条を適用すれば ~無罪
①制約の正当性があったか
校長が体育館から退場させることができるのは、被告人に対して着席し、文書配布を止め、保護者への呼びかけを中止するよう要請して、それらが失敗しさらに被告人が式を妨害しようとする意図を持っていることが明らかな場合に限られる。
藤田氏の行為が混乱や暴力を誘発する危険があったことを示すものはいっさい存在しない。
②制裁の必要性があったか
引き続いて行われた刑事訴追そして刑法第234条適用による威力業務妨害罪での被告人の有罪判決は、不必要かつ不相応な制裁であり、国際人権規約の違反とみなされる。
日本の司法機関の判決は、焦点となる相反利益の均衡判断を誤ったというほかない。
③意見表明の正当性 ~国旗国歌強制問題は社会的関心事
社会的関心事についての開かれた議論は民主主義の基本である。
憲法で保障された思想と良心の自由に対する権利についての議論や、学校行事等における国旗称揚および国歌斉唱の強要に関する議論は、このような社会的関心事に該当する。
④民主主義社会への悪影響
表現の自由に関する国際人権規約の観点からみれば、藤田氏に対する有罪判決および制裁が、被告人の表現の自由の権利のみならず、国旗に正対して起立し国歌を斉唱することを東京都の全公立校の教職員に命じる10.23通達の強制的性格に反対する被告人以外の人々の表現の自由に対する権利に関しても「萎縮効果」を持つことは疑う余地がない。
⑤結論=公権力による不当な干渉
藤田氏の訴追および有罪判決は、藤田氏の表現と情報の自由に対する権利への不当な干渉とみなされるというのが本意見書の基本的見解である。
欧州裁判所の判例法から見た場合、被告人の表現の自由に対する権利へのこのような干渉は、「民主主義に対する害であり、民主主義自体を危うくさえするもの」といえる。
…国際人権B規約(19条)にも、欧州人権条約(10条)にもある「制約の明文規定」が、日本国憲法(21条)にはない。制約要因として曖昧な「公共の福祉」が無限定的に使われている構図が明らかにされている。
『藤田先生を応援する会通信』(第41号 2010/6/3)
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