=神戸・レッドパージ訴訟 原告側敗訴=
◇ 闘いは終わらない
80~90代の男性3人 「人権守ってほしい」
一九五〇年の「レッドパージ(赤狩り)」に遭った八十~九十歳代の神戸市の男性三人が、六十年越しの名誉回復と損害賠償を求めて国を訴えた訴訟。神戸地裁判決は訴えを全面的に退けたが、戦後史の暗部に一筋の光を当てる機会にもなった。原告は「長生きしてどこまでも争う」と控訴を検討している。(京都支局・芦原千晶)
二十六日午後、神戸地裁の小法廷。「原告らの請求をいずれも棄却する」。矢尾和子裁判長の乾いた声が響いた。
原告席には、レッドパージで神戸中央電信局を解雇された大橋豊さん(81)、川崎製鉄(現JFEスチール)を追われた安原清次郎さん究(90)、旭硝子を追放された川崎義啓さん(94)=いずれも神戸市在住。
顔を紅潮させた大橋さんが、耳の遠い川崎さんに「だめや」と告げ、安原さんは指でぺケ印をつくってみせた。
六十年ぶりの提訴のきっかけは、パージ五十年の集会だった。当時の体験を語り合ううち、解雇時の悔しさや怒りがよみがえってきたという。
「何もせずに黙って死ねるか」。
二〇〇四年に日本弁護士連合会に人権救済を訴え、○八年に日弁連が国や企業への救済勧告を出したが、何も変わらず。翌年国を訴えた。
法廷では、パージ後に暗転した半生も訴えた。安原さんは、河原の石を拾って磨いて売る生活をしていた過去を告白。
「裁判所に助けてほしいんじゃない。思想・信条の自由という基本的な権利を守ってもらいたいだけだ」と白髪を揺らした。
提訴から二年余。独身の安原さんは最愛の妹を失い「死んだ方が楽」と漏らしたり、ほか二人もこの間に妻を亡くし、川崎さんは大動脈解離で生死をさまよった。大勢のパージ仲間の思いを受け、裁判を支えに命をつなぎ「三人そろって判決を迎えられて感慨無量」(大橋さん)と臨んだ。
判決は「GHQの指示は超憲法的効力があった」との六〇年の最高裁決定を踏襲し、「レッドパージはGHQの指示であり、適法。解雇の効力は日本の主権回復後も左右されない」と断じた。
原告側が明神勲・北海道教育大名誉教授の証言を中心に訴えた「レッドパージは国が積極的に推し進めた」との主張を退け、最高裁決定の根拠の「公共的な報道機関だけでなく、その他重要産業にも及ぶという解釈指示」が無かったとの批判にも、原告のパージ後の苦難にも、触れなかった。
弁護団は「不当きわまりない判決。情も、正義も、良心もない判決だ」と憤った。
判決後「生きている間に(勝ちたかった)」と吐き出した大橋さんは、大勢の報道陣や支援者を前に「生きているうちにここまでの社会問題にできた。大きな一歩」。川崎さんも「長生きしなくちゃならない闘いが始まる」と前を向いた。
竹前栄治・東京経済大名誉教授(日本占領史)は「レッドパージという歴史的な人権侵害を、憲法に照らして今どう判断するかを問う重要な裁判だったが、占領後にすべきだった人権回復の怠りも反省しない判決」と指摘し、こう語った。
「司法における旧体制の壁は厚いと感じた。過去の清算をしないと、今も陰に日に続く信条の差別が続くことにもなる。非常に残念。レッドパージは法律問題であると同時に政治問題。外国にならい、新立法で救済すべきだ」
※レッドパージ
第2次大戦後の冷戦の先鋭化に伴い、共産党員らが官公庁や民間企業の職場から追放された一方的解雇。共産勢力の排除を狙う連合国軍総司令部(GHQ)の指示で国や企業が実施。犠牲者は3万人以上といわれる。米国やイタリアなどでは後に救済措置が取られた。これまで、約100人が全国の弁護士会に人権救済を申し立てた。
『東京新聞』(2011/5/30【ニュースの追跡】)
◇ 闘いは終わらない
80~90代の男性3人 「人権守ってほしい」
一九五〇年の「レッドパージ(赤狩り)」に遭った八十~九十歳代の神戸市の男性三人が、六十年越しの名誉回復と損害賠償を求めて国を訴えた訴訟。神戸地裁判決は訴えを全面的に退けたが、戦後史の暗部に一筋の光を当てる機会にもなった。原告は「長生きしてどこまでも争う」と控訴を検討している。(京都支局・芦原千晶)
二十六日午後、神戸地裁の小法廷。「原告らの請求をいずれも棄却する」。矢尾和子裁判長の乾いた声が響いた。
原告席には、レッドパージで神戸中央電信局を解雇された大橋豊さん(81)、川崎製鉄(現JFEスチール)を追われた安原清次郎さん究(90)、旭硝子を追放された川崎義啓さん(94)=いずれも神戸市在住。
顔を紅潮させた大橋さんが、耳の遠い川崎さんに「だめや」と告げ、安原さんは指でぺケ印をつくってみせた。
六十年ぶりの提訴のきっかけは、パージ五十年の集会だった。当時の体験を語り合ううち、解雇時の悔しさや怒りがよみがえってきたという。
「何もせずに黙って死ねるか」。
二〇〇四年に日本弁護士連合会に人権救済を訴え、○八年に日弁連が国や企業への救済勧告を出したが、何も変わらず。翌年国を訴えた。
法廷では、パージ後に暗転した半生も訴えた。安原さんは、河原の石を拾って磨いて売る生活をしていた過去を告白。
「裁判所に助けてほしいんじゃない。思想・信条の自由という基本的な権利を守ってもらいたいだけだ」と白髪を揺らした。
提訴から二年余。独身の安原さんは最愛の妹を失い「死んだ方が楽」と漏らしたり、ほか二人もこの間に妻を亡くし、川崎さんは大動脈解離で生死をさまよった。大勢のパージ仲間の思いを受け、裁判を支えに命をつなぎ「三人そろって判決を迎えられて感慨無量」(大橋さん)と臨んだ。
判決は「GHQの指示は超憲法的効力があった」との六〇年の最高裁決定を踏襲し、「レッドパージはGHQの指示であり、適法。解雇の効力は日本の主権回復後も左右されない」と断じた。
原告側が明神勲・北海道教育大名誉教授の証言を中心に訴えた「レッドパージは国が積極的に推し進めた」との主張を退け、最高裁決定の根拠の「公共的な報道機関だけでなく、その他重要産業にも及ぶという解釈指示」が無かったとの批判にも、原告のパージ後の苦難にも、触れなかった。
弁護団は「不当きわまりない判決。情も、正義も、良心もない判決だ」と憤った。
判決後「生きている間に(勝ちたかった)」と吐き出した大橋さんは、大勢の報道陣や支援者を前に「生きているうちにここまでの社会問題にできた。大きな一歩」。川崎さんも「長生きしなくちゃならない闘いが始まる」と前を向いた。
竹前栄治・東京経済大名誉教授(日本占領史)は「レッドパージという歴史的な人権侵害を、憲法に照らして今どう判断するかを問う重要な裁判だったが、占領後にすべきだった人権回復の怠りも反省しない判決」と指摘し、こう語った。
「司法における旧体制の壁は厚いと感じた。過去の清算をしないと、今も陰に日に続く信条の差別が続くことにもなる。非常に残念。レッドパージは法律問題であると同時に政治問題。外国にならい、新立法で救済すべきだ」
※レッドパージ
第2次大戦後の冷戦の先鋭化に伴い、共産党員らが官公庁や民間企業の職場から追放された一方的解雇。共産勢力の排除を狙う連合国軍総司令部(GHQ)の指示で国や企業が実施。犠牲者は3万人以上といわれる。米国やイタリアなどでは後に救済措置が取られた。これまで、約100人が全国の弁護士会に人権救済を申し立てた。
『東京新聞』(2011/5/30【ニュースの追跡】)
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