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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

世界遺産は、人類全体の利益のものであり、国益のためのものでゎない

2022年04月26日 | 平和憲法
  《「子どもと教科書全国ネット21ニュース」から》
 ◆ 佐渡鉱山のユネスコ世界遺産登録の問題点は何か
小林久公(こばやしひさきみ・強制動員真相究明ネットワーク・事務局次長)

 ◆ 佐渡のユネスコスクールのとりくみ

 ユネスコスクールは、ユネスコ憲章に示されたユネスコの理念を実現するため、平和や国際的な連携を実践する学校である。
 文部科学省及び日本ユネスコ国内委員会では、ユネスコスクールを「持続可能な開発のための教育」(ESD)の推進拠点として位置付け、現在、1,120校がユネスコスクールとなっている。(*1)
 佐渡市では、中高一貫校の新潟県立佐渡中等教育学校、佐渡市立相川小学校が参加している。
 相川小学校は、佐渡金山周辺や海岸周辺など5箇所に分かれて清掃活動を行い、世界遺産登録に向けて地域とともに盛り上げていこうとする機運を高めることができたと報告している。
 佐渡中等教育学校は、能楽を学んでいるが、2019年には、原子力・エネルギー学習として「柏崎刈羽原子力発電所、新潟雪国型メガソーラー発電所、東新潟火力発電所を見学した。事後には、エネルギー新聞を作成し啓発に取り組んだ」と報告している。(*2)
 ユネスコ憲章で「目的及び任務」を「国際連合憲章が世界の諸人民に対して人種、性、言葉又は宗教の差別なく確認している正義、法の支配、人権及び基本的自由に対する普遍的な尊重を助長するために教育・科学及び文化を通じて諸国民の間の協力を促進することによって、平和及び安全に貢献することである」としており、ユネスコスクールの取組みとしてもっと多様な可能性があるのではないかと思われるが、国粋教育にもなり得る危うさも考えられ、教員の資質の向上が望まれる。
 21世紀は人権の時代である。ウクライナへのロシアの侵攻に対して、多くの人々が人々の生命を守るための声をあげている。武器に依る平和外交ではなく、カによらない国際社会の構築が望まれている。そこには人権尊重と平和の理念が必要であり、ユネスコスクールもその一環として世界遺産問題を考えてもらいたいものである。
 ◆ 佐渡鉱山のユネスコ世界遺産登録の問題点は何か

 (1)世界遺産は保護が目的
 人権の時代にあっても、明治時代の国際感覚で行政を進めているのが日本政府である。世界遺産とは「文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として損傷、破壊等の脅威から保護し、保存するための国際的な協力及び援助の体制を確立することを目的とする」もので、世界遺産は保護が目的であり、観光が目的のものではない。また、人類全体の利益のものであり、国益のためのものでもない
 (2)ユネスコは「歴史全体」の展示を求めており、江戸時代に限ることはできない
 佐渡鉱山は、1542年に発見され、1989年の閉山まで約400年間に渡って操業が続けられた歴史を持っている。その400年間で金78トン、銀2,330トンを産出した。それは、佐渡鉱山で働いた労働者が産出したものである。だが、労働者についての調査をしないままである。
 政府が佐渡鉱山の400年間ではなく、江戸時代の300年に限って世界遺産とするおかしな決定したために、世界遺産から「価値を伝統的手工業による生産システムに限定した、機械化後(近代)の鉱山遺構は対象から外し」おかしなことになっている。
 それは、昭和期に行われたことが明確な強制労働を否定し、明治から始まった外国からの技術導入の歴史を黙殺するためにとられた措置であり、その結果、明治に入って行われた佐渡への外国人技術者の招へい、ダイナマイトやトロッコの導入、水銀を使って金銀を製錬する方法の伝授、垂直な坑道(大立竪坑)の建設などの歴史が世界遺産の価値から除外されることになった。
 また、佐渡鉱山学校が開設され、日本各地の鉱山や大学からの実習生が集まり、朝鮮からも留学生が来た歴史も世界遺産から外すことになってしまった。
 そして、観光資源となっている大立竪坑、大間港のトラス橋、鉱車(トロッコ)、戸地川第二発電所、50mシックナー、北沢浮遊選鉱場などは明治と昭和に作られたものなので世界遺産ではなくなった。
 佐渡鉱山の歴史を江戸時代に限って世界遺産とする政府のやり方は、これらの産業遺産を世界遺産として売り出そうとしている佐渡の人々の期待ともかけ離れており、佐渡鉱山の世界遺産としての価値を江戸期に限るのは大きな間違いである。
 (3)江戸時代も劣悪な労働条件のもとでじん肺患者が続出していた
 日本政府は、ユネスコに提出した佐渡の世界遺産推薦書を未だに公表していないので、そこにどのような記述があるか不明であるが新潟県が政府に出した文書には「幕府は日本中から優れた鉱山技術を持つ労働者を集め」と書かれており、江戸時代にもあった強制労働や無宿人の連行、そして「よろけ」と言われたじん肺患者が続出していたことには触れずに歴史を美化している。
 (4)歴史否定主義者は、佐渡鉱山に朝鮮人労働者はいたけれども強制労働は無かったと言っている
 彼らは「強制労働」という言葉は知っているが、その定義を知らないまま使っている。日本国憲法は第18条で「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」としている。このような規定は、大日本帝国憲法には無かったが、強制労働が許されていたわけではない。
 暴行、脅迫、監禁、騙して連れて行くこと(誘拐)などは刑法上の犯罪として禁止されていた。
 日本国憲法と同時に誕生した労働基準法は「強制労働の禁止」条項を第5条に定め「使用者は、暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によって、労働者の意思に反して労働を強制してはならない」としている。
 ILOで1930年に成立し1932年に日本も批准した強制労働条約(第29号)第2条は強制労働を「本条約二於テ『強制労働』ト称スルハ或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意二申出デタルニ非ザルー切ノ労務ヲ謂フ」と定義している。
 これらの法令の定義を総合すると「何らかの手段を以て強要された労働、本人の意思に反する労働」強制労働と定義できる。
 ところで、強制労働条約で戦時下の労務動員は強制労働に含まないものとしているので、徴用令など戦時下の労務動員は、禁止されている強制労働には当たらないと日本政府は主張しているが、条約が言っているのは、戦争や災害などで住民の生命が危険にさらされる緊急事態での労務の強要を言っているのであって、戦争遂行のための組織的系統的な労務動員一般を言っているものではない
 このような日本政府の独特な見解は国際社会で受け入れられるものではなく、ILOの条約勧告適用専門家委員会は、既に1999年3月の「年次報告書」で、日本の強制労働条約違反を認定して次のように決議している。
 「本委員会はこのような悲惨な条件での、日本の民間企業のための大規模な労働者徴用は、この強制労働条約違反であったと考える」と。
 ◆ 佐渡鉱山のユネスコ世界遺産登録を実現するには、推薦書の再提出が必要

 このままでは佐渡鉱山が世界遺産に登録されることは難しいと思われる。世界遺産委員会で否決されると再び登録申請をすることが出来ない。しかし、「推薦書」提出の翌年の2月1日までに「推薦書の再提出」をすることが出来る
 政府は、関係国やNGOなど利害関係者との協議を行い「推薦書の再提出」の手続きをすることが佐渡鉱山の世界遺産登録に一番望ましい方法と考えられる。
*1 文部科学省国際統括官付
https://www.mext.go.jp/unesco/004/1339976.htm
*2 公益財団法人ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)ユネスコスクール事務局
https://www.unesco-school.mext.go.jp/
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 143号』(2022.4)

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