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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

はっきり拒絶する自信のない最高学府の教授達

2015年09月22日 | こども危機
 ◆ 国立大学への国旗国歌要請と抵抗の論理
斎藤一久(東京学芸大学・准教授)

 ◆ 事の発端
 今年6月16日、下村文部科学大臣が、国立大学の学長が集まった席上で、国旗掲揚や国歌斉唱が長年の慣行により広く国民に定着しているとして、国立大学でも適切に判断するようお願いすると発言しました。
 最終的には各大学が判断することと、その後の会見では説明していますが、国立大学にとっては事実上の国旗国歌要請であると言えるでしよう。
 このような話が突然、浮上したわけではありません。2か月前の4月9日、次世代の党の松沢成文議員が参議院の予算委員会で、国立大学の入学式・卒業式における国旗掲揚・国歌斉唱状況について質問をしたことがきっかけとなったのです。
 ◆ 国立大学での国旗国歌をめぐる現状
 国会質疑の際の資料では、各大学の対応がリスト化されていました。

 たとえばすでに国旗掲揚・国歌斉唱を実施している大学は、茨城大学、千葉大学、新潟大学、長岡科学技術大学、上越教育大学、金沢大学、浜松医科大学、大阪教育大学、岡山大学、広島大学、福岡教育大学、熊本大学、大分大学、鹿屋体育大学でした。もっともこの中には、国歌斉唱といっても、国歌を流しているだけの大学もあるようです。
 他方、国旗・国歌ゼロの大学もあり、東京大学、京都大学、名古屋大学、琉球大学あたりは予想がつくかもしれませんが大学、宮城教育大学、福島大学、横浜国立大鳶州大学、和歌山大学、九州大学も実施していません。
 残念ながら、私の勤務する東京学芸大学も含め多くの大学は、国旗掲揚はあるが(舞台壇上の片隅に立てかけてある)、国歌斉唱はなしという「妥協ライン」線上にあります。
 ◆ 国会質疑での奇妙な論理
 松沢議員の国会質疑によれば、国立大学は私立大学とは異なり、大学運営費の多くが運営費交付金(東京学芸大学の場合、2014年度予算中の57%)、つまり国民の税金で賄われている大学なのだから、入学式などで国旗・国歌は当然実施すべきということのようです。
 しかしながら、税金は私立大学にも私学助成として投入されていますので、論理的にはおかしな話です。もし税金投入論を持ち出すのであれば、松沢議員の出身校である慶応義塾大学にも国旗掲揚・国歌斉唱を!と主張すべきです。(これはこれで創設者の福澤諭吉先生にお叱りを受けるでしょうし、同窓会組織である三田会から反発が起きるでしょう)。
 この点、私学の教育理念によって国旗掲揚・国歌斉唱を実施しないという独自性は認めているようですが、これでは私学の自由の方が、国立大学における大学の自治よりも優先されることになり、これまた奇妙な論理になります。
 質問者の松沢さんは慶応ボーイ、答弁した安倍首相は成蹊ボーイ(?)、同じく答弁に立った下村文部科学大臣は早稲田マンですので、名門私大出身3兄弟による、単なる国立大学バッシングだったのではないかと疑いたくなります。
 さらに国立大学は、将来の国家を担うリーダーを育成する機関なので、国旗も掲揚せず、国歌も斉唱せずに、国を愛するリーダーが育つのかとの質問をしていました。しかし国旗・国歌なしの私大出身の彼らが現在、国を担うリーダーになっている以上、国旗・国歌と国を担うリーダー養成はまったく関係がないのではないでしょうか。
 ◆ 国立大学改革との関係
 国立大学は、憲法23条から大学の自治が保障されており、今回のような要請を無視することもできます。しかし、現在、国立大学が置かれている状況からして、大学の自治に基づく自主的な判断は揺らいでいると言わざるを得ません。
 ご存知のように、2004年に国立大学は独立行政法人化しましたが、その後、運営費交付金は毎年1パーセントつつ削減されており、とりわけ地方の国立大学や単科大学の体力は限界に近づいています。それにも関わらず、文部科学省の方向性に沿ったような改革を進めている大学には予算が重点配分されています。
 教員養成系、人文社会科学系の縮小も、その一つです。このような流れの中での国旗国歌要請ですから、文部科学省の意向を付度し、名を捨てて実を取る戦略に出る大学が出てきても不思議ではありません。
 さらに来年度からは、6年ごとの中期目標に基づく大学運営の第3期に入り、とりわけ国立大学を機能分化させようという動きがあります。
  ①世界トップの大学と肩を並べて卓越した教育や研究を推進する大学、
  ②分野ごとの優れた教育や研究の拠点となる大学、
  ③地域のニーズに応える人材育成や研究を推進する大学

 といったように3分類に分けて、より重点的に予算配分を行う政策が始まろうとしています。
 一連の改革自体、問題が大きいですが、これらが国旗国歌問題と裏で連動するおそれがないとは言えないでしょう。
 ◆ 対抗の論理と反対運動
 そもそも国立大学で、なぜ国旗掲揚・国歌斉唱を実施していないのか。この疑問は、実は松沢議員だけではなく、多くの国民が共有している可能性があります。これにどう対抗していくか、私たち大学人は真剣に考えていかなければなりません。
 日本の大学をめぐる歴史を振り返る限り、大学が国と一定の距離を保ち、普遍的な知の探求を行う場として、自律的で自由な公共空間を形成してきたことは確かでしょう。そして、そこには国旗国歌という特定の価値観の介入はなじまず、それが強制されるとなると、私たちが育んできた大学という場は破壊されるというのが一つの抵抗の論理です。
 加えて今回の要請は、今後、国が国立大学を足掛かりに、大学を飼い馴らすための第一歩であり、前哨戦であると。
 しかしここには一筋縄ではいかない問題が潜んでいます。すなわち大学が小中高校とは異なり、憲法23条の学問の自由を認められた特権的な場であるべきだという主張が含まれていることを否定できません。
 大学進学率が50%となり、大学が大衆化だけではなく就職予備校化した現在、そして多くの大学が倒産する危機があるとされる2018年問題を前にして、このような「象牙の塔」的な主張でよいのか、今一度、抵抗の論理を検証する必要があります。
 また国旗国歌要請に対して、大学内部が一枚岩というわけではありません。教員養成系学部では、学生は将来、教員になるのだから、国旗国歌をやるべきではないか、という意見を有する教員が少なからずいるのも事実です。
 本学の教職大学院に、実務家教員として東京都教育委員会から赴任された先生が定年退職される際、「教員から批判された『国旗国歌問題』『教科書採択問題』『人事考課制度導入』『主幹制度導入』などの教育問題に関わった。ネットでは徹底的に叩かれた。叩かれながらも、東京の学校が社会の非常識から脱して行く手応えを感じていた」とわざわざ述べられておられたのが記憶に新しいです。
 最後に学問の自由を考える会(代表:広田照幸・日本大学教授http://academicfreedomjp.wix.com/afjp)が立ちあがり、7月21日現在、大学教員を中心として約3千8百名の反対署名が集まっています。
 7月4日には東京大学にてシンポジゥムが開催されました。安保法案反対運動で、SEALDsなどの学生たちと教員との共同の動きを見る限り、今回の問題も学生自身の問題としても捉えてほしいところであり、彼らとの連帯の中に、1960・70年代にはなかった抵抗の論理が見出せるのかもしれません。(さいとうかずひさ)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース』103号(2015.8)

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