《第4回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会から》
◆ 職務命令そのものが違憲であるという立場で闘っている
新潟の「日の丸・君が代」処分の概要は、'06年戒告4名(この年が最初の処分で、他に訓告が30数名であった)、'07年戒告2名、'08年戒告2名である。そのうち人事委員会に提訴したのは2人である。
私は6年前までは高校の教員で、卒業式、入学式において、君が代斉唱時に不起立であったという理由で新潟県教育委員会から戒告処分を受けた。この間の新潟県における大雑把な闘いの経過は次のとおりである。
私に関しては、
・'06年5月 新潟県教委から、卒・入学式で連続してそれまで4回不起立であったことを理由に戒告処分
・'06年7月 人事委員会に提訴
・'11年12月 14回の公開口頭審理を経て、「請求を棄却する」裁決
・'12年6月 人事委員会に裁決を不服として、再審査請求
・'12年8月 「請求を棄却する」決定書が出される
事実上、私の請求訴訟はこれで終了し、現在新潟では、私の件以降、2007年度の卒業式、2008年度の入学式と2回にわたって、君が代斉唱時不起立で2度の戒告処分を受けた阿部裕孝さんの人事委員会審理を闘っている。
これまでの新潟での闘いの中で、当初は新潟高教組が支援し、闘いの広がりを期待し行動したのであるが、ほとんど広がりを持つことができなかった。また、審理では、職務命令違反、処分の不当性を追求したが、後半になってこの闘い方に疑問をもつようになった。それゆえにこれまでの闘いを反省して、現在は、職務命令そのものは違憲であり、どんなに見解の相違があっても、思想・信条・表現の自由という基本的人権により、少数意見は尊重されなければならない、従って処分は違憲であるという立場で闘っているところである。
この「日の丸・君が代」処分以降、新潟では、現場への行き届いた管理が、次の攻撃を容易にしている状況が生まれていることを現役の人からよく聞く。そのたびに東京、大阪をはじめとする全国の日の丸・君が代処分の闘いのニュースの喚起することの大きさに気づかされるのである。、
私の審理が終えた後で、弁護士の遠藤達雄氏は次のようなメッセージを送ってくれた。
決定書を拝見しました。想定したとおりのものであると思います。
私は、この種の行動と闘争は基本的に国家意思と異なる行動を取った場合の正当性を問うものですが、これを裁判所を含めての国家機関から正当化させるというのは基本的に難しく、もともと限界のある闘争と位置づけております。
特に、県の人事委員会は、知事部局が人選を行っていることから、その意思を認識し了解して就任している人たちですので、その推定意思に反してこれに反旗を翻す強固な意思を形成することが必要なのですが、それを論理による説得という道具によって達成することはなかなか困難です(最高裁判事は、上限人事で長期の身分保障があり、後がない人がなっているので、若干様相を異にする場合もありますが、それでも基本は一緒です。)。
そのような闘争をどう総括するかですが、結局、戦争体験が風化し、戦争への道筋の誤りを認識しない世代が増えていくなかで、これを言い続けることの自分たちの現在における意味を確認するために行ったもので、文科省の道具に過ぎない県によって認められることはないことなど最初から織り込み済みであるということであると思います。
わが国が、万が一、再び戦争への道を歩むとした場合には、国家は自己の犠牲を厭わない国民意思を形成し戦争に多くの若者を参加させることは必須の条件ですので、国旗、国家というシンボルを策定して、自己の身体生命より国家が価値が高いという価値観を形成しようとすることは極めて自然な流れです。
これをその程度のことで目くじらを立てるなと言わず、それが持っている歴史的意義を言い反対を表明し続けることの正しさは、時代がいずれ検証してくれると思うのです。
私たちはいま、「思想・良心の自由」を中心に据えて、学者証人として早稲田大学の西原博史氏を予定し、「なぜ座らざるを得なかったのか」を問い続ける闘いを展開している。そして、最高裁が示した「儀礼的所作」という言葉が現実にどのように機能しているかを、つまり、いかようにも現場に(教師個人、生徒個人まで)権力が介入できることの法解釈の欺瞞性を、明らかにして行きたいと考えている。
◆ 職務命令そのものが違憲であるという立場で闘っている
新潟県「日の丸・君が代」被処分者の会副代表
田中 弘
田中 弘
新潟の「日の丸・君が代」処分の概要は、'06年戒告4名(この年が最初の処分で、他に訓告が30数名であった)、'07年戒告2名、'08年戒告2名である。そのうち人事委員会に提訴したのは2人である。
私は6年前までは高校の教員で、卒業式、入学式において、君が代斉唱時に不起立であったという理由で新潟県教育委員会から戒告処分を受けた。この間の新潟県における大雑把な闘いの経過は次のとおりである。
私に関しては、
・'06年5月 新潟県教委から、卒・入学式で連続してそれまで4回不起立であったことを理由に戒告処分
・'06年7月 人事委員会に提訴
・'11年12月 14回の公開口頭審理を経て、「請求を棄却する」裁決
・'12年6月 人事委員会に裁決を不服として、再審査請求
・'12年8月 「請求を棄却する」決定書が出される
事実上、私の請求訴訟はこれで終了し、現在新潟では、私の件以降、2007年度の卒業式、2008年度の入学式と2回にわたって、君が代斉唱時不起立で2度の戒告処分を受けた阿部裕孝さんの人事委員会審理を闘っている。
これまでの新潟での闘いの中で、当初は新潟高教組が支援し、闘いの広がりを期待し行動したのであるが、ほとんど広がりを持つことができなかった。また、審理では、職務命令違反、処分の不当性を追求したが、後半になってこの闘い方に疑問をもつようになった。それゆえにこれまでの闘いを反省して、現在は、職務命令そのものは違憲であり、どんなに見解の相違があっても、思想・信条・表現の自由という基本的人権により、少数意見は尊重されなければならない、従って処分は違憲であるという立場で闘っているところである。
この「日の丸・君が代」処分以降、新潟では、現場への行き届いた管理が、次の攻撃を容易にしている状況が生まれていることを現役の人からよく聞く。そのたびに東京、大阪をはじめとする全国の日の丸・君が代処分の闘いのニュースの喚起することの大きさに気づかされるのである。、
私の審理が終えた後で、弁護士の遠藤達雄氏は次のようなメッセージを送ってくれた。
決定書を拝見しました。想定したとおりのものであると思います。
私は、この種の行動と闘争は基本的に国家意思と異なる行動を取った場合の正当性を問うものですが、これを裁判所を含めての国家機関から正当化させるというのは基本的に難しく、もともと限界のある闘争と位置づけております。
特に、県の人事委員会は、知事部局が人選を行っていることから、その意思を認識し了解して就任している人たちですので、その推定意思に反してこれに反旗を翻す強固な意思を形成することが必要なのですが、それを論理による説得という道具によって達成することはなかなか困難です(最高裁判事は、上限人事で長期の身分保障があり、後がない人がなっているので、若干様相を異にする場合もありますが、それでも基本は一緒です。)。
そのような闘争をどう総括するかですが、結局、戦争体験が風化し、戦争への道筋の誤りを認識しない世代が増えていくなかで、これを言い続けることの自分たちの現在における意味を確認するために行ったもので、文科省の道具に過ぎない県によって認められることはないことなど最初から織り込み済みであるということであると思います。
わが国が、万が一、再び戦争への道を歩むとした場合には、国家は自己の犠牲を厭わない国民意思を形成し戦争に多くの若者を参加させることは必須の条件ですので、国旗、国家というシンボルを策定して、自己の身体生命より国家が価値が高いという価値観を形成しようとすることは極めて自然な流れです。
これをその程度のことで目くじらを立てるなと言わず、それが持っている歴史的意義を言い反対を表明し続けることの正しさは、時代がいずれ検証してくれると思うのです。
遠 藤 達 雄
私たちはいま、「思想・良心の自由」を中心に据えて、学者証人として早稲田大学の西原博史氏を予定し、「なぜ座らざるを得なかったのか」を問い続ける闘いを展開している。そして、最高裁が示した「儀礼的所作」という言葉が現実にどのように機能しているかを、つまり、いかようにも現場に(教師個人、生徒個人まで)権力が介入できることの法解釈の欺瞞性を、明らかにして行きたいと考えている。
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