パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

レッド・パージ GHQの指示という「神話」を検証する

2013年09月11日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ★ 戦後史の汚点 レッド・パージ
   明神勲 Isao Myojin
 定価3,360円 大月書店


 レッドパージはGHQの指示によるものであり、占領下において日本側はこれに従わざるを得なかったと信じられてきた。
 これは、レッドパージを実施した政府や企業にとってはその責任を免れる”免罪符”の役割をはたし、レッド・パージの名誉回復を求める犠牲者にとってはその願いを閉ざす暑い鉄の壁となってきた。
 本書は、新たに発見したGHQの資料をもとに、〈レッド・パージ=GHQの指示〉というこれまでの通説(「神話」)をくつがえし、実は、当時の吉田首相をはじめ、政府や企業にも大きな責任があることを検証する。
 さらに、レッド・パージが恥ずべき「国家の犯罪」であり、未決の戦後史の汚点であることを明快に検証し、新たなレッド・パージ像を提示する。
 レッド・パージ研究の最前線の成果を集約した画期的労作。

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 訪問者のみなさまへ
 言論・表現の自由を守る会より

 4万人にものぼるレッド・パージ被害者の人権は、現在もだれひとり救済されていません。
 この著書を、多くの方々に読んでいただくために図書館を活用していただきますようお願いします。
 ★ 全国の図書館等に、「戦後史の汚点 レッド・パージ」購入リクエストのお願い
 この事実を広く普及するために、みなさんがご利用されている全国の図書館等に対して「戦後史の汚点 レッド・パージ」の購入をリクエストしてください。
 ※「リクエスト」ってどうするの?
 ご利用されている図書館で、「リクエストカード」(「資料購入希望アンケート」や「予約・リクエストカード」)をもらい、各「タイトル、著者名、出版年、出版社」と、連絡先・連絡方法などを記入して、受付に「カード」を渡します。購入後、連絡をくれます。
 ※ リクエストの方法が若干異なるので各図書館でご確認ください。

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 ◆当ブログ記事・再掲◆

2010年11月16日 神戸地裁での証言について報告する明神勲教授と原告:神戸市内での報告集会

 レッドパージ被害者の安原清次郎氏、川崎義啓氏、大橋豊氏の3人が国家賠償を求めている裁判の弁論が16日神戸地裁であり、明神勲・北海道教育大学名誉教授が、人間のしるしである思想良心の自由に対する戦後最大の弾圧事件であるレッドパージについて、最高裁のいうGHQの【指示】はなかったという新証拠と、戦後史の汚点であるレッドパージの日本政府の責任、被害者の名誉回復と救済の必要性について証言しました。
 ■ 「GHQ文書」について
 1952年4月にGHQの占領が終わった時に、各部局の文書すべてダンボールに入れてアメリカへ送った資料が、国立国会図書館にも保存されており、その資料を調査して今回の意見書が作成され、レッドパージを解明するために不可欠である「GHQ文書」の存在を指摘。
 1950年8月26~29日に免職処分された大橋さんの場合は、1950年の官公庁のレッド・パージは9月1日で9月12日に閣議了解されたものの、当時の状況として相当早い段階で準備されレッドパージが行われていた。
8月初旬には新聞報道もあり、官公庁のレッドパージを先取りする形で4名が解雇され、民間のレッドパージが先行していた。
このことは、吉田首相が『回想10年』の中で、:官公庁のレッドパージを「7月から始めた」とのべ、岡崎官房長官によるリスト作成も進んでいて、8月20日付で“適応法もどうするか?”と国家公務員法の78条3項:『適格性を欠く場合』の適応について検討され1950年8月23日いよいよ実施されるという状況で、レッドパージに対する日本政府の責任を指摘。
 ■ GHQによる《示唆》を【指令・指示】だと喧伝していた!
 当時の日本の占領は、間接統治だったので【指令・指示】について、「マッカーサー司令の公的性格」日本占領研究会資料によると①日本の憲法を超える超憲法的に従わなければならず、【指令・指示】に従わない場合には占領目的を阻害するので処罰されるが、《示唆》であれば日本の選択権があったので処罰されないため、日本政府は慎重かつ厳密に考えていたが《示唆》を【指令・指示】だと喧伝していた。
 《示唆》のレッドパージを【指令・指示】だと、【指令・指示】を印籠のような役割として利用していたことが多々あったことがしてきされました。
 1950年の6月6日共産党中央委員の追放、同月7日赤旗編集者の追放、同21日赤旗の30日間発行停止、同28日赤旗同類誌無期限発行停止などについて、
これらが、レッドパージの《示唆》だったことが公文上明示されていることについて:
GHQの1950年7月18日付公的書簡に、“なぜ指令を出さなければいけないのか”と3点明記した上で「私は指示する」direct thatと≪示唆≫について記されている。
 1949年7月22日にも官公庁の閣議決定が行われていたことが明らかに。
吉田首相の『回想10年』にも共産党員○人」とされており、GSの文書で7月22日と記載されている。
 1949~50年に様々な官庁で行われたが、1950年のレッドパージは、マッカーサーの支令を受け、政府が準備して9月5日に閣議決定した。6月から準備を開始していていた。the view of situation
 ■ 官公庁のレッドパージに対するGHOからの《示唆》はあったが【指示】はなかった!
 GHQは《示唆》にこだわった!
 マッカーサーの≪示唆≫以外には【指示】はない。

 ★GHQは、レッドパージが違憲・違法であると認識していたため、GHQが責任者となった場合、反米・反占領感情が高まると考えていた。そこで、常套手段として日本政府に転嫁してGHQは自分の責任を逃れた。
 GHQは、万能で動かしがたい硬い鋼でも民主主義者でもなく、日本政府の対応を検討して《示唆》にこだわった。
 しかし、日本政府の態度は,事実上【指示】であるかのように、『その筋の達しによる』として、責任をGHQに転嫁して日本側がGHQの権力を利用することによって、自らの目的を達成した。
 ■ 解釈指示について法曹界では知られていたが、GHQによる最高裁への干渉があった。
 ★★★ 今年(2010年)6月に発見した資料
 1950年7月8日 ホイットニーと田中長官の会談記録では、
 ブラッテー書簡(『ブラッテー?書簡』GHQ経済科学局 ESSのブラッテーが米国務省のサイパン氏にあてた私信には、ホイットニーから田中長官を招致して、高圧的に疑義をはさんではならない!と指示したとされていた)ではホイットニーが召致したとあるが、この文書には『田中長官が要請した』とあり、この会談の意図は、『公共的報道機関から共産党同調者を排除する』とあり、田中長官は、「GHQマッカーサー司令でやりたい」と要望したが、しかしGHQは、そういう法的根拠があるとは答えず、やんわりことわった。拒否したものの「政治的手腕を使って考えろ。雇用者と使用者は信頼に基づいて雇用関係が成り立っている」=『甘く認めなさい』と助言した。
 ★★★ 1950年8月3日付のネピア用のメモ(ネピアのために民政局が作ったメモ)には、
 『レッドパージは法廷の場が、共産党のプロパガンダの場にされる。したがって、日本の裁判権の管轄外とする。』これは、田中長官が言ったことではなく、ネピアの部下であるGS職員で日系2世の内山が、田中長官が名古屋に行った時、帰ったら検討しなければならないとしてメモしたもの。
 8月7日の田中・ホイットニー会談の主題:
 田中が、『基幹産業からのレッドパージを7月13日付のようなGHQの書簡【指令】を出してほしい。すべて、GHQの【指令・指示】でやりたい』と要望したが、これに対してホイットニーは一切答えていない。最高裁長官から、『GHQの【指令・指示】を出してほしい』という要望に対してGHQが事実上拒否していたことが明らかになった。
 明神教授は、今年6月にこの資料を発見した時には「非常に驚きました」「学問的に明白」とのべたうえで、ブラッテー書簡は、伝聞の私信で第2次的な証拠だが、これはGSの職員が臨席して記録した公文書であり一級資料であると証言。
 最高裁の解釈指示と 8月7日のホイットニー・田中長官 密接な関係がある。
 『一般産業に対して指示を出してほしい』と樋口が11月30日にGSを訪ねて相談した。民間産業のレッドパージがすでに行われ裁判が行われていた。書簡にはGHQの【指示】は、一切うかがうことができない。アドバイスを求めたことへのアドバイスはあったが、解釈指示はなかった。また、「その他の重要産業」について否定し、一般産業からのレッドパージは拒否されており、最高裁の言う解釈指示はなかった。
 ■ GHQの【指示】はなかったことが明らかになったわけで、1960年最高裁決定が崩壊する!
 占領下では全て却下され、その後最高裁が超憲法的判決を認めた。
 1960年判決以後逆転して原告の請求を棄却しており、法曹界の通説では1960年の最高裁「指示によって判例が確定した」とされており、最高裁は“ 解釈指示の存在”を主張してきた。
 しかし、今回最高裁(のいう)GHQの【指示】はなかったことが明らかになったのだから、1960年最高裁決定が崩壊する!
 ■ 日本政府の責任について
 日本の企業経営者は以前からレッドパージをやりたかったところに、民間企業におけるレッドパージに対してゴーサインを出した。
 「レッドパージは特例なく数万人にわたっておこなわれ、占領軍に第一の責任があるが、日本政府を免罪するわけにはいかない。協力・加担レベルではなく、協同した。」
 追放の対象をアクティブなレッドパージ特例の 共産党同調者アクティブ トラブルメーカー 積極的活動分子としてGHQと労働政策の一環で、共産党に対抗する労働政策として組合の幹部をふくめて行い、一方では民労などを育成し、GHQのエイミスは「私自身レッドパージの対象になるではないか!」と憂慮したほどすさまじいものだった。
 レッドパージの責任を負うべきは誰か!という質問に対して、明神氏は吉田首相が、当時「反共国家を建設する!」と言っていたことを紹介し、「(責任が」日本政府にないというのは成り立たない」とし、GHQと日本政府が提携し、内心が赤であるという思想信条に対して行った戦後最大の思想弾圧事件であり、判断・選択・責任・実行について「日本政府の自己責任は当然負うべきである。」また、「わかりやすくたとえると、『正犯』または、『共同正犯』であり、『共同正犯』とは2人以上のものが共同して罪を犯した場合、全員が罰せられるべきもの。」と解説しました。
 ■ 救済について
 レッドパージは単なる解雇ではなかった。
 「アカ」というレッテルを張って、社会のマイナス、前科者として生涯にわたって職場・社会から排除された。
 安原さんの場合:神戸新聞の見出しで「54名引導」と報じられており、この報じ方が典型的で、レッテル張りされた。
レッドパージ被害者の実態の共通点について、「3名の陳述書を読んで、被害の共通すること」として
 1、継続性:レッテルをはがさない限り生涯にわたった被害であり、家族を養う仕事に生涯つけなかった。この重大な被害は、家族・親類に及んでいる。
 2、被害の重大性: 人間のしるしである思想信条に対する精神的死刑をうけて、生涯にわたって職場を追われている。
大橋さんの場合には、救済を求めるまでの50年間は、沈黙と絶望の50年だった。結婚されず1人。
 今頃、孫に囲まれて幸せな家庭を築いていたはずであり、パージされた人々の人生から人間の幸福を奪った。
 3、さらに、3人は当時20歳代でありかけがえのない青春まで奪われた。

 明神氏は、裁判長に対して「最後に一点だけ述べさせていただきたい。」と、今回の1960年最高裁解釈に対する陳述は、「少なくとも従来一般的に言われていた通説に対する重大な問題提起であり、これまでの法曹界の通説を形式的に引き継ぐのではなく、事実と社会正義に基づいて真理と正義を追及していただきたい。」と証言しました。
 この後、国側の反対尋問はなく、裁判長と裁判官が質問しました。
 
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/17863456.html
『今 言論・表現の自由があぶない!』(2013/9/8)
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/25369129.html#25370027
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