12月23日のD‐TaC「学習交流のつどい」にご参加いただき、ありがとうございました。集会の報告と講演して下さった黒田さんの当日のレジュメを掲載します。
※ 黒田さんのレジュメはコチラ→(pdfファイル前半/後半)
◆ 天皇のために命を捨てる教育
=戦争中の教育の誤りを繰り返えさせてはいけない!
12月23日夜、「D-TaC~『君が代』処分撤回!松田さんとともに~」が主催して、「戦時中の教育の誤りを繰り返すな!12.23学習交流のつどい」を開催しました。「君が代」強制を軸に、学校教育が戦争を支える若者の育成へと変質させられようとしている中で、戦時中の教育の実態を学び、その誤りをくりかえさせないために考え合おうという趣旨のつどいでした。
事前に、大阪市の中学校教職員の皆さんには、個人あての封筒で案内ビラと手紙を届けさせてもらいました。小学校の方は、学校長と人権教育担当者のみなさんに案内ビラと手紙を送付し、職場の皆さんへの紹介をお願いしました。「つどい」には会場満杯の65人の方に参加していただきました。
つどいでは、最初に、D-TaCの活動報告を行いました。大阪市内130中学校のうち、約30校の生徒に「『君が代』の意味知ってる?」ビラをまいたこと、「君が代」を歌いたくないという生徒がいれば、参加のしかたについて気持ちに寄り添ったていねい対応をすると大阪市教委に見解を表明させたことなどです。
その後、元高校教員・元大学教員で、「日の丸・君が代」強制反対大阪ネット代表でもある黒田伊彦さんから、敗戦時国民学校4年生だった自分の学校教育での体験を語ってもらいました。
「権力に対する人間の闘いとは、忘却に対する記憶の闘い」ということばで講演を始められた黒田さんの体験談はとても具体的で、天皇のために命を捨てる戦時中の教育の現実をしっかり感じられるものでした。
1941年4月から小学校は国民学校に変えられました。国民学校令第1条は、「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」とされていました。子どもたちは「少国民」(皇国臣民としての国民になり切れていない存在)とされ、「皇国の道に則った教育」=生きた神様である天皇のために命を捨てる教育によって、錬成(たたきあげること)される存在でした。
「皇国の道に則った教育」の中心は、元旦(1月1日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)の4大節の学校儀式であり、その儀式の中心が「君が代」斉唱、教育勅語拝読でした。
黒田さんの学校では、日常は、朝、第1鈴で直立不動、「君が代」演奏の放送を聞き、第2鈴で教室へ向かっていたとのことです。1943年の教科書には、天皇は現御神(現人神)と書かれ、3年生から教えられたそうです。
「君が代」の歌詞の意味をめぐっては、2年生の紀元節の儀式で黒田さんが歌わなかったエピソードが語られました。それまで意味をきちんと教えてもらったことがなかったので、誤解していたとのことです。
何故歌わなかったのかと先生に聞かれた黒田さんが、「『君が代』は『君の用―は、千代兄が、八千代に刺されて、石のように岩のようになって、(お供えの)米が蒸しあがるまでー、みはっておけよー』という歌で、死んだ人のそばに長い間いるのは恐いです」と言うと、先生が黒板に歌詞を書いて、「天皇陛下さま、長生きして下さって、天皇陛下のお治めになる日本の国が末永く栄えますようにという歌です。死んだ人なんてとんでもない。」と説明してくれたというエピソードです。
先生もお父さんもみんな、天皇陛下は神様だというのに対して、「天皇は神様なら死なないのに、なぜ長生きを願うのだろうと疑問に思った」そうですが、そんな疑問をも抑え込んでいくような抑圧体制ができ上がっていたのです。
黒田さんからは、戦争を支えた国定教科書と子どもの文化としての軍歌と漫画・紙芝居も紹介してもらいました。
大東亜共栄圏・南洋への夢と原住民を「土人」と蔑視する思想形成の原点となった、1933年から6年間少年倶楽部に連載された漫画物語「冒険ダン吉」などです。「冒険ダン吉」は、海に釣りに行って居眠りをしている間に南洋の島に漂着したダン吉が、ネズミのカリ公の頓知に助けられ、象の戦車と虎の大砲で、白人を撃退して、「食人蛮」「黒ン坊」「土人」を支配して、島の王様になるという物語です。ダン吉は腰ミノだけの裸体なのに、王冠と文明の象徴としての時計をつけ靴を履いています。学校教育だけでなく、子どもをとり巻く文化もすべて侵略戦争を鼓舞するものに変えられていったのです。
敗戦後の教育の転換の様子についても語られました。
従来の教科書から「軍国主義や国際和解を妨げる教材の削除」する「墨ぬり」で、6年用国語の教材「国語の力」の中の「この国歌を奉唱する時、われわれ日本人は、思わず襟を正して、栄えますわが皇室の万歳を心から祈り奉る」は削除されませんでした。
天皇のために命を捧げる教育へとつながる種は残されたのです。国の指示・命令を絶対のものとして教えてきたことへの教職員自らの振り返りの不徹底についても指摘がありました。
休憩の後、松田さんが、今の気持ちと努力していることについて話しました。
「私たちは、このつどいの案内ビラを4000人以上の大阪市中学校教職員に届けましたが、1枚のビラを見ただけでこのつどいに参加してくれるような状況ではありません。10年ほど、『君が代』起立・斉唱について議論にもならず、強制の現実が当たり前になっている職場がほとんどだからです。しかし、『君が代』の歌詞の意味も教えない強制の問題点も『君が代』強制の狙いもますますはっきりしてきています。『君が代』にかかわる事実を生徒に伝えること、『君が代』に対する態度はそれぞれが考え判断することという立場で生徒に接することが戦争教育への抵抗する道だということを粘り強く提起していきたいと思います。」
戦時中の教育の誤りを繰り返さないために、黒田さんの体験に学び、今に活かすことが私たちの課題です。松田さんの決意を受け、更に、頑張ろうと確認した「つどい」でした。
『「君が代」不起立処分撤回!松田さんとともに学校に民主主義を!
(Democracy for Teachers and Children)』
https://democracyforteachers.wordpress.com/2016/11/25/%E3%80%90%E5%A0%B1%E5%91%8A%E3%80%91%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%AB%E3%80%8C%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3%E3%80%8D%E5%BC%B7%E5%88%B6%E3%81%AB%E9%A2%A8%E7%A9%B4%E3%82%92/
※ 黒田さんのレジュメはコチラ→(pdfファイル前半/後半)
◆ 天皇のために命を捨てる教育
=戦争中の教育の誤りを繰り返えさせてはいけない!
12月23日夜、「D-TaC~『君が代』処分撤回!松田さんとともに~」が主催して、「戦時中の教育の誤りを繰り返すな!12.23学習交流のつどい」を開催しました。「君が代」強制を軸に、学校教育が戦争を支える若者の育成へと変質させられようとしている中で、戦時中の教育の実態を学び、その誤りをくりかえさせないために考え合おうという趣旨のつどいでした。
事前に、大阪市の中学校教職員の皆さんには、個人あての封筒で案内ビラと手紙を届けさせてもらいました。小学校の方は、学校長と人権教育担当者のみなさんに案内ビラと手紙を送付し、職場の皆さんへの紹介をお願いしました。「つどい」には会場満杯の65人の方に参加していただきました。
つどいでは、最初に、D-TaCの活動報告を行いました。大阪市内130中学校のうち、約30校の生徒に「『君が代』の意味知ってる?」ビラをまいたこと、「君が代」を歌いたくないという生徒がいれば、参加のしかたについて気持ちに寄り添ったていねい対応をすると大阪市教委に見解を表明させたことなどです。
その後、元高校教員・元大学教員で、「日の丸・君が代」強制反対大阪ネット代表でもある黒田伊彦さんから、敗戦時国民学校4年生だった自分の学校教育での体験を語ってもらいました。
「権力に対する人間の闘いとは、忘却に対する記憶の闘い」ということばで講演を始められた黒田さんの体験談はとても具体的で、天皇のために命を捨てる戦時中の教育の現実をしっかり感じられるものでした。
1941年4月から小学校は国民学校に変えられました。国民学校令第1条は、「国民学校ハ皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的トス」とされていました。子どもたちは「少国民」(皇国臣民としての国民になり切れていない存在)とされ、「皇国の道に則った教育」=生きた神様である天皇のために命を捨てる教育によって、錬成(たたきあげること)される存在でした。
「皇国の道に則った教育」の中心は、元旦(1月1日)、紀元節(2月11日)、天長節(4月29日)、明治節(11月3日)の4大節の学校儀式であり、その儀式の中心が「君が代」斉唱、教育勅語拝読でした。
黒田さんの学校では、日常は、朝、第1鈴で直立不動、「君が代」演奏の放送を聞き、第2鈴で教室へ向かっていたとのことです。1943年の教科書には、天皇は現御神(現人神)と書かれ、3年生から教えられたそうです。
「君が代」の歌詞の意味をめぐっては、2年生の紀元節の儀式で黒田さんが歌わなかったエピソードが語られました。それまで意味をきちんと教えてもらったことがなかったので、誤解していたとのことです。
何故歌わなかったのかと先生に聞かれた黒田さんが、「『君が代』は『君の用―は、千代兄が、八千代に刺されて、石のように岩のようになって、(お供えの)米が蒸しあがるまでー、みはっておけよー』という歌で、死んだ人のそばに長い間いるのは恐いです」と言うと、先生が黒板に歌詞を書いて、「天皇陛下さま、長生きして下さって、天皇陛下のお治めになる日本の国が末永く栄えますようにという歌です。死んだ人なんてとんでもない。」と説明してくれたというエピソードです。
先生もお父さんもみんな、天皇陛下は神様だというのに対して、「天皇は神様なら死なないのに、なぜ長生きを願うのだろうと疑問に思った」そうですが、そんな疑問をも抑え込んでいくような抑圧体制ができ上がっていたのです。
黒田さんからは、戦争を支えた国定教科書と子どもの文化としての軍歌と漫画・紙芝居も紹介してもらいました。
大東亜共栄圏・南洋への夢と原住民を「土人」と蔑視する思想形成の原点となった、1933年から6年間少年倶楽部に連載された漫画物語「冒険ダン吉」などです。「冒険ダン吉」は、海に釣りに行って居眠りをしている間に南洋の島に漂着したダン吉が、ネズミのカリ公の頓知に助けられ、象の戦車と虎の大砲で、白人を撃退して、「食人蛮」「黒ン坊」「土人」を支配して、島の王様になるという物語です。ダン吉は腰ミノだけの裸体なのに、王冠と文明の象徴としての時計をつけ靴を履いています。学校教育だけでなく、子どもをとり巻く文化もすべて侵略戦争を鼓舞するものに変えられていったのです。
敗戦後の教育の転換の様子についても語られました。
従来の教科書から「軍国主義や国際和解を妨げる教材の削除」する「墨ぬり」で、6年用国語の教材「国語の力」の中の「この国歌を奉唱する時、われわれ日本人は、思わず襟を正して、栄えますわが皇室の万歳を心から祈り奉る」は削除されませんでした。
天皇のために命を捧げる教育へとつながる種は残されたのです。国の指示・命令を絶対のものとして教えてきたことへの教職員自らの振り返りの不徹底についても指摘がありました。
休憩の後、松田さんが、今の気持ちと努力していることについて話しました。
「私たちは、このつどいの案内ビラを4000人以上の大阪市中学校教職員に届けましたが、1枚のビラを見ただけでこのつどいに参加してくれるような状況ではありません。10年ほど、『君が代』起立・斉唱について議論にもならず、強制の現実が当たり前になっている職場がほとんどだからです。しかし、『君が代』の歌詞の意味も教えない強制の問題点も『君が代』強制の狙いもますますはっきりしてきています。『君が代』にかかわる事実を生徒に伝えること、『君が代』に対する態度はそれぞれが考え判断することという立場で生徒に接することが戦争教育への抵抗する道だということを粘り強く提起していきたいと思います。」
戦時中の教育の誤りを繰り返さないために、黒田さんの体験に学び、今に活かすことが私たちの課題です。松田さんの決意を受け、更に、頑張ろうと確認した「つどい」でした。
『「君が代」不起立処分撤回!松田さんとともに学校に民主主義を!
(Democracy for Teachers and Children)』
https://democracyforteachers.wordpress.com/2016/11/25/%E3%80%90%E5%A0%B1%E5%91%8A%E3%80%91%E5%B8%82%E6%B0%91%E3%81%A8%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%AB%E3%80%8C%E5%90%9B%E3%81%8C%E4%BB%A3%E3%80%8D%E5%BC%B7%E5%88%B6%E3%81%AB%E9%A2%A8%E7%A9%B4%E3%82%92/
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