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CHIKA YOGA ogasawara (千花ヨガ 小笠原)

Let's do Yoga in the island,by the beach.
島でビーチでヨガしませんか?

「急ぐ、焦る」

2016-02-13 05:15:40 | サットサンガ

「急ぐ、焦る」


先日、FBでシェアした、インドのグルOshoの言葉で、「急ぐ、焦る」は諸悪の根元。自然の営みは本当にゆっくり、ゆうゆうとしたもの。「待つ、忍耐」に人生の美しさ、幸せがある。と言った内容があった。私はせっかちなので、気がつくと焦っていることが多い。このOshoの言葉がタイムリーだったのか、とても府に落ちた。みなさんは、「急ぐ、忍耐」について、どう思い、どう付き合っていますか?(ちなみにOshoの言葉はこのブログのサットサンガにあります、ながーいです)

◆10分しかないと思わないで、10分で何が出来るか?と考えて、落ち着いてやる、そして終わらなくてもがっかりしない。意識してゆっくり過ごす時間を持つ。

◆充実感のある忙しさを楽しみ、感謝する。

◆やりたかったことが時間内に終わらなかったら、今はここまでと、それを受け止める。その思いを手放す。

◆5分でも10分でもいいから、瞑想したり、呼吸したり、ボーと空を見たり、自分一人の時間も持って、自分を取り戻す

◆自分のペースを守るように意識している。

◆子供が時間に遅れたりしないかとヤキモキして、多言してしまう。その子のペースを尊重して待ちたいがむずかしい。

◆自分が思っている以上に自分はせっかちだと最近気付いた。やりたいこと対して、時間が足りなくて、もどかしくなる時も多い。

◆今、全部終わらせたくなって、焦ってイライラしてしまう時がある。後で出来ることは後でやればいいじゃん。と言われ、そうだなーと思うけど。どうやら自分は切りよく終らせて行きたい性格です。

いつもながら、どんなテーマを話していても、根の部分からエゴが出てきますね。与えられた時間にやれる事。それは状況によっていつも変わってくる。「終わらせたい、やりきりたい」そういう欲求が「急ぐ、焦る」を呼ぶんですかね。いまの状況を「受け入れて、欲求を手放す」この作業が意識的に必要ですかね。そして、ふと自分に戻る時間を持って「ゆっくり、ゆうゆうと」居られる幸せさを思い出さないとですね。「待つ、忍耐」1mm1mmコツコツやりつづける、すこしづつですね。

 

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千花ヨガでのサットサンガは、あるテーマに対して(テーマ以外でもOk)参加者の方々と自分が感じている事を見つめ、シェア出来ることを少し話してもらっています。これは、あくまでも一般論ではなく、それぞれ人の内側にある真実です。何が正しいとか間違っているということではなく、そこからそれぞれが気付きを得られたらと思っています。グルがいるわけではないのですが、みなさんの心の中のアートマン(真我)が小さなグルとなって、いい話を聞かせてくれるのではないかと思っています。短い時間ですが、とても深く豊かな話しが出来、毎回重ねるごとに、サット(真実の)サンガ(集まり)になってきています。

 

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oshoの話し

2016-02-12 07:54:08 | サットサンガ

oshoの話し

樹は
種子のなかに
潜んでいる。
だが、
種子を割って開いても、
もちろん
樹は見つからない。
そういうやり方では
見つからない。
あなたは種子を
育てなければならない。
そうすれば
種子のなかに
隠されていた
設計図が
ひもとかれる。

母親の子
宮に宿った子供は
種子にすぎないが、
あらゆる設計図、
あらゆる可能性が
そなわっている―
どんな肉体をもつか、
どんな顔になるか、
目の色はどうか、
髪の毛、身長、年齢、
どれだけ長く生きるか、
健康かどうか、
男か女か、
黒人か白人か―
あらゆるものが
種子に含まれている。
生命は
その種子から成長する。

瞑想とは
そこから
すべてのものが
現れてきた―
肉体が現れ、
欲望が現れ、
マインドが現れてきた―
内奥の中核に
引き返すことだ。
あなたは源に
もどらなければならない。
宗教とは源への回帰だ―

そして
源を知ることが
神を知ることだ。
源を知ることが
目的地を知ることだ。
それらは
ひとつだからだ。

あなたが
最初に芽生えた
内奥の中核に
もどることは、
あなたが
到達したいと
願っている
<究極なるもの>に
到ることだ。
円は完結する。
アルファが
オメガになる瞬間がある。
そのとき
そこに成就がある。
円が完結するとき、
そこに成就がある。

それが
呂祖師の
『黄金の華の秘密』の
教えのすべてだ。
彼は道を
はっきりさせようと
している。

どうすれば
円を完結させることが
できるか、
どうすれば
光を巡らせることが
できるか、
どうすれば
内側に動いてゆけるか、
どうすれば
ほんの少しの青空を、
ほんの少しの天国を
手に入れることが
できるか―
そうすれば、
どこにいても
幸せでいられる。
あなたは
地獄にいても幸せだ。

今のままのあなたでは、
どこにいても
不幸になる。
たとえ天国にいても
不幸になる。
あなたはそこでも
不幸になる手段や
方法を見つけだす。
なぜなら、
あなたは嫉妬や怒りや
貪欲や所有欲を
すべて
もち歩いているからだ。
あなたは
激怒、性欲、抑圧を
すべて
もちあるいている。
あなたはこの荷物を
そっくりもち歩いている。
天国に着いた瞬間、
あなたは
そこでもまたまわりに
地獄をつくりだす。
なぜなら、
あなたは地獄の種子を
もち歩いているからだ。

清らかであれば、
静謐(せいひつ)であれば、
あなたは
天国にたどり着くと
言われているが、
真相は
まったくその逆だ。
清らかであれば、
静謐であれば、
天国が
あなたのもとに
やって来る。

人はけっして
どこへも行かない。
人はつねに
ここにいる。
だが、
ひとたび内側が
光で満たされたなら、
外側の世界すべてが
変容を遂げる。

仏陀は
あなたがたと
同じ世界で活動している。
仏陀は
あなたがたが歩くのと
同じ通りを歩いている。
だが、
仏陀は
まったく異なる世界に
生きている。
仏陀は楽園で暮らし、
あなたは
地獄で暮らしている。

あなたは
仏陀の隣に
坐っているかもしれない。
彼の手を取ったり、
彼の足に触れたり
しているかもしれない。
それほど近くにいても、
二つの世界は
遥かに遠く離れ、
分かれている。
天国にある、
完全な祝福のなかにある、
神という名の
その光輝に包まれる
秘法は何か?
これがその秘法だ―

呂祖師は言った。
汝らの修行は
次第に集中し、
成熟してゆくだろう。

タオの道は
頓悟(とんご)の道ではない。
それは禅のようではない。
禅は頓悟だ。
タオはゆっくりと
成長してゆく。
タオは突然起こる、
唐突な変化を信じない。
タオは<存在>と
歩調を合わせることを信じ、
けっして自分の流儀を
押し付けたり、
川を押したりせず、
ものごとをひとりでに
起こらせてゆく。

そしてタオは言う。
永遠の時間が
あるのだから
あわてる必要はない。
適切な時に
種子を蒔いて、
待てばいい。
そうすれば
春がやって来る。
春はいつでも
やって来る。
そして春が来れば、
花が咲く。
とにかく待ちなさい。
急いではいけない。

樹の成長を速めようと
引っぱったりしては
いけない。
「すべてが
 インスタント・コーヒーの
 ようになればいい」
とねだったりしてはいけない。

待つことを学びなさい。
自然は実にゆうゆうと
動いてゆくからだ。
このゆったりとした
動きゆえに、
自然には優美さがある。
自然はとても
女性的であり、
女性のように移ろってゆく。
自然は走らず、急がず、
あわてることがない。
自然はひじょうに
ゆっくりと進む、
静かな音楽のようだ。
自然は実に忍耐強い。

そして
タオは自然の流儀を
信じている。
タオとはまさに
"自然"を意味する。
それゆえに、
タオはけっして急がない。
これを
理解しておかなければ
ならない。

タオの基本的な
教えはこれだ―
忍耐強くあることを
学べ。
無限に待つことが
できるなら、
それは即座に
起こるかもしれない。

だが、
即座に起こることを
求めてはいけない。
求めれば、
それはけっして
起こらないだろう。
あなたが求める
そのことが障害になる。
その欲望そのものが
あなたと自然のあいだに
溝をつくる。

自然と調和を保ち、
自然にみずからの道を
とらせなさい―
それはいつ起こっても
かまわない。
それはいつも
時を逸することがない。

起こるのが
いつであってもだ。

たとえ長い年月が
かかるとしても、
それで
遅れたことにはならない。
それはけっして遅れない。
それはつねに
正しい瞬間に起こる。

タオはあらゆることが
必要な時に起こると
信じている。
弟子に用意ができたとき、
師が現れる。
弟子に究極の用意ができたとき、
神が現れる。

それを可能にするのは、
性急で、慌ただしい、
攻撃的な姿勢ではなく、
あなたのふところの深さ、
虚空、受容性、
受け身の姿勢だ。

真理は
征服できないことを
覚えておきなさい。
人は真理に
明け渡さなければ
ならない。
人は真理に
征服されねばならない。

だが、
いつの時代にも、
あらゆる国々で
攻撃的で
野心に満ちた教育が
行なわれてきた。

私たちは
人々をせきたてる。
私たちは
人々の恐怖を煽る。
私たちは彼らに言う。

「時は金であり、
 じつに貴重なものだ。
 過ぎ去った時間は
 もどってこない。
 だからぐずぐずしては
 いられない。
 急げ」と。

これが人々を
狂気に駆り立ててきた。
彼らはここからあそこへと
あわてて飛びまわり、
どこにいても
少しも楽しむことがない。
彼らはこの国際ホテルから
別の国際ホテルへと
世界中を駆け回る。
どのホテルも似たりよったりだ。
東京であろうが、
ボンベイであろうが、
ニューヨークであろうが、
パリであろうが大差はない。
これらの国際ホテルは
みな似たりよったりだ。

ところが人々は、
この国際ホテルから
あの国際ホテルへと
駆けまわりながら、
世界一周旅行をしている
つもりになっている。
どこもかしこも
同じなのだから、
どこかの国際ホテルに
腰を据えていれば
よかったし、
他のところに
出かけてゆく必要など
なかったのだ。
だが人々は
どこかに向かっていると
考えている。
スピードは
人々を神経症に
追いやっている。

タオは自然の道だ。
樹が育ち、
川が流れるように、
そして
鳥や子供たちのように……
それとまったく同じように、
人は神のなかへ
成長してゆかなければ
ならない。

Osho - The Secret Of Secrets 


「反抗期」

2016-02-01 14:14:36 | サットサンガ

反抗期

学校公開の日に中学校長の講話を聞いた。なかなか面白い話しだったので、サットサンガでみんななで話してみました。

どんな地域にも時代にも人生の中の通過儀礼というものがあります。日本では、七五三、それぞれの歳に意味があり、この数を掛けた数にもまた意味がある。15,21,35,105 まず3歳、第一次反抗期、自我の目覚め。反抗は甘え、甘えを受け止めてもらって、しっかり依存することを覚えると人は自立していけるという。3歳前後のこの時期にあまり出しきれないと15歳の第二次反抗期大暴れすることが多いそうだ。さらにここでも出せないと知られざる第三次反抗期、35歳前後、離婚だったり、自分の幸せがわからなくなったり。ライフステージ全体を知っていれば、今大切に向き合うことの重要さを感じられるだろう。と中学校長談。

また、反抗期は大人が子供にしてきた理不尽なことにたいする仕返しであり、永年人類が無意識で続けてきたこと。そろそろたちきるべきだと。フク先生。

ネイティブな人達には、反抗期がないらしい。素敵な子育てをしてるなと思った方がたで反抗期がなかったという方にも何人か会ったことがある。

 

さて、みなさんの、反抗期、自我、甘え、依存、自立どんなでしょうか?

・自分は親がいなくて、祖父母に育てられ、どこか常に気を使い、真から甘え、依存出来ずに大人になった。よく極道に行かなかったと言われたりもした(笑)。若い頃熱中していた演劇の中で色んな人間の人生を演じるうちに甘える依存することを学んだ気がする。

・自分も自分の子供も反抗期はなかった。親の言うことはだいたい理解できたからか。

・末っ子で気に入らないと噛みつくような奔放な幼少期、しっかり出しきってうけとめてもらったせいか、その後落ち着いた人生を送っている気がする。

・3,15歳の反抗期はなかったが、21歳、親と激しくぶつかる時期があった。でもたくさん話し、その後はすごくいい関係になった。

・ものすごく厳しい母親で内気な自分だったが小学生後半にある日突然、自分を表現しようと思い、自分をオープンに出来るようになった。友達が増え、楽しくなった。中学になって母親は自由にしてくれるようになって、その後反抗はなかった。

・反抗といっても自分の内にこもっていくタイプだった。そんな時期があった。うまく表現出来るようになって、またそんな時期がこないといいな。

朝から濃いみんなでした。もちろん、意識的に生きて子供への理不尽な態度を無くしていくのが一番ですが、反抗期の中には Noという表現の仕方、自分の全てを受け入れてもらう体験、自分の子であれ自分と違う他人の人格を尊重する事、自分のエゴとの対面、依存から自立。親にとっても子供にとっても一生にかかわる人生のコアな成長が満載なんだなー。

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千花ヨガでのサットサンガは、あるテーマに対して(テーマ以外でもOk)参加者の方々と自分が感じている事を見つめ、シェア出来ることを少し話してもらっています。これは、あくまでも一般論ではなく、それぞれ人の内側にある真実です。何が正しいとか間違っているということではなく、そこからそれぞれが気付きを得られたらと思っています。グルがいるわけではないのですが、みなさんの心の中のアートマン(真我)が小さなグルとなって、いい話を聞かせてくれるのではないかと思っています。短い時間ですが、とても深く豊かな話しが出来、毎回重ねるごとに、サット(真実の)サンガ(集まり)になってきています。

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「忙しくて心を亡くす」

2016-01-24 10:26:53 | サットサンガ

「忙しい」という漢字は「心を亡くす」と書きますね。

みなさんは、"忙しさ"とどう、付き合っていますか?


*「忙しい」と言わないように意識している。

*今、やるべき事に対して「今、自分に与えられていること」「今やれること」とありがたく受け止め、感謝する。

*そういった考え方の転換は、すぐに出来るようになるわけではないが、意識して、時間をかけて少しずつ習慣化してい  ける。

*忙しさにのみこまれて、心を亡くしてる自分に気づくこと。

*同じことを繰り返している自分を責めない。すこしづつ、成長している自分に気づく。

 (紙一枚くらいでも必ず成長してます 三輪明宏談)

*先に延ばせることは、今無理にやらない。欲をかかない。

*「まあ、いいか」と声に出して言ってみる。

* 人にも「忙しい?」と聞かないようにしている。

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千花ヨガでのサットサンガは、あるテーマに対して(テーマ以外でもOk)参加者の方々と自分が感じている事を見つめ、シェア出来ることを少し話してもらっています。これは、あくまでも一般論ではなく、それぞれ人の内側にある真実です。何が正しいとか間違っているということではなく、そこからそれぞれが気付きを得られたらと思っています。短い時間ですが、とても深く豊かな話しが出来、毎回重ねるごとに、サット(真実の)サンガ(集まり)になってきています。