ブラジルでも有名な 日本人芸術家 大竹富江さん。
1913年(大正2年)京都で生まれ、1951年ブラジルに渡り その後、日本の方と結婚。
1968年にブラジルに帰化しました。
芸術に携わり始めたのが1952年。
展覧会でブラジルを訪れた日本人画家との会話をきっかけに、「芸術に携わりたい自分」が自分自信の内にいるところに気づき、以来製作活動に携わる日々を送ることになりました。
2015年2月12日 気管支炎により101歳で旅立たれるまで、精力的に作品を作り続けました。
サンパウロ州海辺の街にある日本人移民100周年を記念するモニュメント「21世紀の波」をはじめとして、サンパウロ市内の公園や空港などにあるモニュメント。
サンパウロ市内の地下鉄駅構内にある作品群等々。
作品は数知れず。
サンパウロ市ピニェイロ地区には大竹富江文化センターもあります。
ちょっとおしゃれな色合いのビル。
ロビーにはオープンスペースタイプのレストランもあります。
おひとり様おいくらで、食べられるだけいくらでも!っていうタイプのお値段設定。
お値段はそこそこですが、内容は充実しているそうです。
この週末 娘が訪問してきたそうです。
文化センター内の展示も なかなか興味深かったそうですよ。
私も大竹富江さんのモニュメントは目にしたことがありますが、それ以外の資料は目にしたことはありません。
機会があったら皆様もいかがですか?
1913年(大正2年)京都で生まれ、1951年ブラジルに渡り その後、日本の方と結婚。
1968年にブラジルに帰化しました。
芸術に携わり始めたのが1952年。
展覧会でブラジルを訪れた日本人画家との会話をきっかけに、「芸術に携わりたい自分」が自分自信の内にいるところに気づき、以来製作活動に携わる日々を送ることになりました。
2015年2月12日 気管支炎により101歳で旅立たれるまで、精力的に作品を作り続けました。
サンパウロ州海辺の街にある日本人移民100周年を記念するモニュメント「21世紀の波」をはじめとして、サンパウロ市内の公園や空港などにあるモニュメント。
サンパウロ市内の地下鉄駅構内にある作品群等々。
作品は数知れず。
サンパウロ市ピニェイロ地区には大竹富江文化センターもあります。
ちょっとおしゃれな色合いのビル。
ロビーにはオープンスペースタイプのレストランもあります。
おひとり様おいくらで、食べられるだけいくらでも!っていうタイプのお値段設定。
お値段はそこそこですが、内容は充実しているそうです。
この週末 娘が訪問してきたそうです。
文化センター内の展示も なかなか興味深かったそうですよ。
私も大竹富江さんのモニュメントは目にしたことがありますが、それ以外の資料は目にしたことはありません。
機会があったら皆様もいかがですか?