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「どうにもとまらない」

2011-04-02 09:08:01 | エンターティメント情報
「どうにもとまらない」

どうにもとまらない

 ■都倉俊一

 日本の音楽史に残るヒット曲の誕生秘話を、作詞家・作曲家へのロングインタビューでひもとく「あの時、この曲」。初回は山本リンダの「どうにもとまらない」(昭和47年)を、作曲家の都倉俊一(62)が振り返った。(聞き手はニッポン放送アナウンサー、くり万太郎) --デビュー作「あなたの心に」(歌・中山千夏)と比べ、「どうにもとまらない」は、ずいぶん感じが違います

 「デビュー作は僕のサウンドというよりも、『きれいなフォークタッチで』という注文で作った曲。『どうにも-』はビジュアル路線が結果的には大正解だった。イントロからすべての音づくりを、テレビ画面を意識してやりましたからね。職業作曲家は自分が歌うわけではなく、“素材”に演じてもらい、一作一作、まったく違う世界に突入できる。『今度はどんな“楽器”を使っておどろかせてやろうか』という面白さがある。『どうにも-』も山本リンダさんという素材があったから、あのような世界が作れたんです」

 --曲に対して、リンダさんの最初の反応は

 「本当は本人はシャンソンが歌いたかったんです。だからリンダもびっくりしたと思います。でも、やるっきゃないというところがあったんでしょうね」
--リンダさんにビシビシ指導をされたとか
 「僕も若かったですし、歌えないと、やっぱりイラつくわけですよ(笑)。リズムに一番乗りにくい日本語を、いかに伝えられるか。16ビートのリズムに乗れるように、ゴルフでいう『素振り100回』くらいやらないとだめ、みたいなね。(山本は)ベソをかきながら頑張ってました。(作詞の)阿久悠さんは女性の独立独歩精神というか、“偉大ないい女”という世界を作り上げましたが、山本リンダはそれを見事に演じたと思います」
 --今、改めてこの歌を聴いていかがですか
 「カラオケでよく歌われていると聞くと、時代を象徴している歌になったのかなと。時代とともに生きてきた歌というのは、時代を思い返すと必ずそこにあります。それは自分にとっても一番うれしいことですね」

 インタビューは3日午後8時から、ニッポン放送で放送予定。また、BSフジでは2日午後11時半から、「あの時、この曲」の第2回として宇崎竜童さん(65)をゲストに迎え、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(昭和50年)をテーマに放送する。
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【プロフィル】都倉俊一 とくら・しゅんいち 作曲家。昭和23年、東京都出身。ピンクレディー、山口百恵らアイドル全盛期にヒット曲を量産した。現在は米ロサンゼルスを拠点にミュージカル制作などを手掛ける。昨年から日本音楽著作権協会(JASRAC)会長。

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