my static spiral

日々のこと、ファッション、好きなもの、そして靴たち..

憧れの民、憧れの街

2012年03月17日 | 日常・風景・雑感




 僕は20代のはじめのほんの一時期をドイツで過ごしていて、そこを拠点に休みを利用しては周辺のいくつかの国を少なからず検証的な意気込みを持って訪れていました。


 といっても、出かけて行ったドイツの外は、、、スイスのドイツ語圏地域、サマープログラムに参加する為赴いたベルギーのドイツ国境寄りの Leuven(ルーヴェン※伝統ある大学で有名な街です)、オランダはなんとなく通り過ぎる程度。スウェーデンは小旅行でほんのわずかな滞在、、あと英国スコットランドの中心都市グラスゴウ、エディンバラ。


 本当ならフランス、、、やはり花の都パ・リー!やイタリア、ポーランド(ワルシャワ...)、、、今更遅いが頑張ったら行けたかな。。。



 特に是が非でも行ってみたかったのがロシアのサンクトペーテルブルグです。旧レニングラード、さらに古くはペトログラードなどの呼称が。


 なんといっても「罪と罰」のラスコーリニコフが暮らした街。


 (思いのたけを話しだすとさらに脈絡が破綻するので省きます)


 行ったことはないけれど、今後いつか必ず訪れたい街です。




 そしてここからもどうでもいい話ですが、僕は拠点であるドイツ南部の、特に各国の留学生がたくさん集まることで有名な大学で、まだ語学もとつとつと覚束ないながらも学び、実質外国人向けに周到に準備された寮で下宿生活を送っていました(『寮で下宿』は合ってるのか…)。

 日本人、中国人、イギリス人、アメリカ人、カナダ人、トルコ人、クロアティア人、もちろんアフリカ系の様々な各国人、やや珍しいところ(僕にとっては)ではリトアニア人までもが居て、挨拶を交わしたものの正確な名前が非常に難しかったので困惑したのを覚えています(もちろん日常ではニックネームで呼び交すことが多くなります)。そのリトアニアの若者は現在に至るまで僕が知る限り最も複雑なファミリーネームの持ち主でした。スペルは当然分かりませんし、ただ意地で繰り返し復誦していたのでなんとなく覚えてはいて、、「ヅヴィグルゾアウスカシュ(名字)」というような感じでした。


 留学生向けの寮というのはそれなりに活性化された国際交流の舞台となるもので僕には貴重な時間となりました。


 なかでも感動的だったのが、ある女性との出会い。


 その女性は当時の僕より2、3歳年上だったかと思いますが、なんとアルメニア出身だったのです。


 アルメニア!


 僕の感激はひとしおでした。



 


 黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方のほぼ南端に位置し、20世紀まで旧ソ連邦に属していましたが、古くから東方の遊牧騎馬民族、帝国主義ロシアはもとより、西は宗教を異にするトルコ人国家と国境を接し歴史上長きにわたって過酷な争乱、惨禍の舞台となった土地(国家)です。近代史に於けるバルカン半島と並ぶ「世界の火薬庫」。現代に至るまで特にトルコ、アゼルバイジャン(ナゴルノ・カラバフ問題)との間で政治上の難解な争点を抱えています。



 「アルメニア」という呼称の共同体は最古のキリスト教国家であったともいわれています。


 民族として、「アルメニア人」というのはポジティヴ、ネガティヴいずれの評価に於いても特異な優秀性をあまねく認められているという点で「ユダヤ人」とやや類似した存在と言えます。上記に述べた通り祖国が度々他国の侵略軍の馬蹄と軍靴に蹂躙された結果多くのアルメニア人が父祖の土地を離れヨーロッパ、中東方面に移住を余儀なくされた(現在は特に多くがアメリカ、フランスに居住)と言われますがこれも「ディアスポラ」、「離散」と呼ばれる民族の悲劇を経験したユダヤ人の民族史と大いに重なるところです。

 ユダヤ人ということでしたら、なにより歴史上の特殊な経緯によって育まれた特異な「商才」について。これに関してはネガティヴなイメージの代表としてシェイクスピアが作品構成上の格好のモチーフとして利用して描いたユダヤ人商人「シャイロック」を挙げるまでもなく、、ドイツ出身のユダヤ人がその家祖であり、後にロンドンから本格的に世界的金融グループとして巨大な成長を遂げた「ロスチャイルド家」。アメリカでいうなら「ロックフェラー家」はじめ枚挙に暇がなく。。。これらユダヤ人がその独自のネットワークや「やむにやまれぬ事情」から結果的に国際金融ビジネスの最大の担い手となったことはご存知の通りです。


 ….そのうえで紹介したい有名な表現があります。なんとなく覚えているのですが「賢いユダヤ人が10人集まっても1人のアルメニア人に敵わない」、と。。。。

 それほどまでにアルメニア人というのは古くから欧米での認識として良くも悪くも卓越した評価を得てきた民族なわけです。

 でもいかんせんユダヤ人社会に比べると圧倒的に人数も少なくそのコミュニティも小規模なのです。

 アメリカの大富豪にも実はたくさんのアルメニアの家系出身者が含まれています。ユダヤ系よりもさらにはっきりと名前から判別することができます。移民社会であるアメリカに於けるアルメニア系の割合の小ささを考えるとその富裕階層の分厚さというのは特筆すべきものかもしれません。

 (もう少しアルメニア人について書き続けて構わないでしょうか、、ありがとうございます。…ちなみにこれはただの下らぬ『余話』に過ぎませんのでどんどん画面下の方にスクロールするという手もあります...)



 これまたユダヤ系の人々と共通するのですが、音楽の世界にもアルメニア人の大きく偉大な足跡がしるされてきました。


 「剣の舞」を作曲したアラム・ハチャトゥリアンはその最たるものですが、、、、


 絶後の大指揮者であるヘルベルト・フォン・カラヤン(アルメニア風に発音するなら"カラィアン"か)。このひともオーストリアの裕福なアルメニア系の家系出身なのです。


 


 僕にとっては既に歴史上の人物みたいなものでしたが、とにかくカラヤンへの憧れがひどく強かったということもあり。。。。


 長々と書いてきましたが、僕はヨーロッパに居る間に本物(?)の「アルメニア人(アルメニア系のひと)」に会ってみたいという思いがぼんやりとあり、それが滞独最終盤のその頃ついに叶ったのです(寮同士で行われる親睦会みたいな場で)。



 で、、まあ、それ以上話の広がりはなくて、その女性は至って目立たず素っ気ないタイプの人物でした。


 いろいろ聞きたいこともあったのに(ブドウは好きですか?にはじまる)言語的な力量の不充分さ、と、、、なによりその女性の他者からは一目瞭然のトリツクシマノナサグアイ(孤立していた…さすが孤高の民)。


 しょぼくれた僕のアルメニア熱はそこで39.2℃の高熱から一挙に35.9℃の結構低め平熱にまで下がったのでした(変温動物)。



 人と人、、、縁もなければそんなもの。



 (なんじゃそら)



 なんでしたっけ、なんの話を書こうとしていたのか既にぽっかり忘れていますが、その寮で休日に友人達(というほどでもないが)と暇を持て余していたとき「もっとも美人が多い国はどこか」という当然避けては通れない話題になりまして、、、少なくとも「ドイツじゃない」ということはその場に居た5人全員直ちに一致していました。「イラン」という者(イランのひと)が居て、「ロシア」という者が居て、、、、僕はある程度の自信を持って「間違いなくイギリス(連合王国の意)だ」と言いました。

 たった4人5人ですが、その場に居た者達が不思議と「それもそうか」という感じで大体に於いて納得の姿勢を示したのです。皆そのような実感が少なからずあったのでしょう。そのときはたどたどしい英語とドイツ語交じりの「断言」だったわけですが、これがヨーロッパ滞在中もっとも人々を感心納得させた最初で最後の事績となりました。英国すごいな。





 



 ところでここからが本題ですが、その僕が認定する日本で最も美人率の高い街、札幌に出張で行ってきました。たった2泊3日の「瞬札」でしたが。



 


 グレーの分厚いウール(ヘリンボーン柄)のコートをしっかり羽織って。靴はなんとなくチャーチの「ディプロマット」で。


 




 


 2泊とはいえちょっと資料とか色々荷物が多かったのでメインのラゲッジと、、、北海道だから?ということであまり使っていない「ソメスサドル」(北海道のメーカー)のビジネスバッグも持って行きました。


 朝の便で空港に着き、そこから札幌駅。会社がとっているホテルはすぐそこ。まずトロリーを預けて時刻通りに支社にむかう。



 



 入っているビルは札幌駅からきれいな地下通路を通ってすぐのところ。
 


 ずっと屋根があって寒くもなんともなかった。



 



 いろいろあって、やっと空いた時間にはビルの外に出て北の空気を感じてみました。 




 午後の日に照らされる札幌。



 



 所詮今回はゆるめの出張でしたので、街を少し歩いたりも。

 

 

 
 

 



 本当にこの街は空気が澄んで独特の透明感を随所に感じる。



 


  
 だからこそ夕暮れがとてもやわらかく目にうつります。



 





 



 夜は現地の人間と会食(?)的な。これ以降の時間は写真とか全く撮り忘れていますね。



 あっという間。。。2泊じゃ物足りなさ過ぎて、天候の関係で帰りの飛行機欠航にならないか、と強く念じていましたがなんともなく飛び立ちやがりました。。。



 



 また周囲に運動してこういう機会作ってもらおうー




 プロローグ(アルメニア話)ばかりが異常に長くて、もう剣折れ力尽き。。。




 剣が容易に舞うものか。




 ではさようならー




 
  


 



コメント (16)
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