平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

花火大会

2005-07-19 | 日記
日曜日 横浜の山下公園前で
国際花火大会がありました
”★。::*き'☆”。::*れ'★。::*い'☆”でしたが すごい人でした。

 ☆(((≪*☆*ドーーーン!!*☆*≫)))☆

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 梅雨も開け いよいよ夏本番ですね♪

出生体験? シックスセンス?

2005-07-19 | 日記
私は無宗教だけれど 何故か神の存在、というより
宗教を越えた「何か」の存在みたいなものを信じている。
それは 物体ではなくて 宇宙エネルギーのようなものではないかな?・・と感覚的に思うのです。
宗教や国が違っても「神」とか「仏」と呼ばれるものがあるのは 
ただ 人間が勝手に創り上げただけのものとも思えない。(考え方こそ相違はあっても世界中の宗教の根っこには共通点があるから)
また、「デジャヴ」などの既視感や輪廻などの感覚的なとらえかたにも共感を覚える。

ほんの小さな頃から 高熱を出すときまって見る夢があった。
それは私の中の「出生の記憶」なのではないかな・・と思ったのは長女を妊娠したときの
不思議な感覚からです。
読書をしているときなど ときおり唇がしびれるような感覚を覚えたのでした・・。

瞳を閉じてその感覚に集中させると
歯がない自分の口腔を舌が覚えてる。
唇がしびれるような感覚は 子どもの頃から
夢の中でうなされた時の感覚そのもの。
何層もの粘膜のようなものに体全体がもみくちゃにされながら
苦しくて 苦しくて
歯車の中にはさまれてしまっているような感覚。
視覚的には暗いトンネルの向こうに ものすごい光の出口が見える。
触覚的には 唇が裏返されてしびれているかんじ・・。
だけどこの苦しみをのりこえると 光の向こうにまばゆいばかりの草原があり
たくさんの人がいるのが見えるのです。
大人になるにつれて そこにいる人たちが
祖父母であったり 若くして亡くなった友人であったり・・亡くなった人であることに気づきました。
(これは出生の記憶にはなりませんね・・)

今でこそ胎児の記憶とか臨死体験というテーマはしばしば話題になることですが
当時はまだ 輪廻とか臨死体験とかメディアで見聞きすることはありませんでした。
ですから わずか3歳くらいから熱が出るたびに ずっと経験してきた感覚が 子どもの頃から不思議でたまりませんでした。
誰にいうのでもなく ただ熱がでるとどうして同じ夢をみるのかな・・?くらいに思っていました。
3歳くらいから・・と思うのは単にその頃の年齢から記憶があるだけのことで
多分それ以前の乳幼児の頃もそのような体験があったと思うのです。
なぜなら 私は「夜泣き」をする赤ちゃんだったそうだから(これは こじつけ。。笑)

ところがある日 中学生の頃だと記憶していますが
たまたまNHKのまじめな番組で
アメリカにおける「臨死体験」について体験者が語っているのに衝撃を覚えました。
臨死体験という言葉もそのとき初めて知ったのですが その主な体験として

① 暗いトンネル
② まばゆいばかりの光
③ 緑の光に包まれた草原のようなもの
④ 三途の川のようなものの向こうから誰かに呼ばれているが渡らず引き返した
⑤ 自分が横たわっているのを天井あたりから見ている

というようなものだったと思います。
もちろん私は臨死体験なんてしたことがありませんので 当然なのかどうか ④ ⑤の
経験はありませんが
(⑤に近い夢としては宇宙(?)まで飛んでいく視覚的な感覚はよくありますが・・)
①~③を聞いて泣いてしまうくらい衝撃的だったのです。

それ以来 何故そんな夢をみるのか 夢をみるたびに考えましたが 
自分でも意味がわかりませんでした。

大人になって長女を妊娠したときに 起きているときにその夢を見ているときの感覚が
何故か唇に蘇ったのです。
そのとき もしかしたら 私の場合は「臨死体験」ではなくて
「出生の記憶」なのではと思いました。

そしてその理由に納得したのは 長女のまさに生まれた直後の顔でした。
真っ赤な顔で元気な産声をあげるわが子の唇を見て
腫れあがっていることに気づいたのです。
出産の本にもそんなことは書かれておりませんし
その腫れは 数時間後には スヤスヤと安らかに
天使のように幸福そうに眠る赤ちゃんの唇にはもうありませんでした。

出産時の新生児の写真を先生が撮ってくださり
待合室にあるアルバムにたくさんの新生児の写真(出産直後)が貼られているのを数日後あらためてみると
どの赤ちゃんもみんな唇が 真っ赤に腫れているのでした。 

私の小さな頃から 高熱をだすときに見る夢は
粘膜にもみくちゃにされ せまい産道をとおってきたときの出生の苦しみの記憶なのだと
このときにあらためて思いました。

三島由紀夫さんも産湯に使った記憶があると本で読んだのもこのあとのことです。


そんな 本当かどうかもわからない ただ勝手に感覚的に思い込んでいることなのですが
もし輪廻とか魂というものがあるのなら・・

人は魂が宿るのは出生の瞬間で 
生物としては胎児は母体の中で生きてはいるけれど
まさにこの世に誕生する瞬間に「魂」が宿るのではないかと思うのです。
魂というより 記憶を持ったエネルギーのようなものなのかも知れないけれど・・。

何層もの粘膜にもまれながら真っ暗な産道のトンネルをくぐり
苦しさの中で まばゆいばかりのこの世の光を見て、
そこに出た瞬間からすべての苦しみから解放され 光に包まれ至福の時を迎える。

そしてまた 人は死ぬ時、魂が抜ける瞬間にこの記憶が蘇るのではないだろうか・・・。
あるいは 暗いトンネル まばゆいばかりの光というのは細胞や視覚が記憶する生死の境なのかもしれない。

肉体が死んだとき 存在していたエネルギーはそこに残り 新たに誕生した肉体に宿る・・。

生きているということは 肉体を得て光の中にいること・・
死ぬということは肉体はなくてもエネルギーとして存在すること・・感覚的にはそんな感じがする・・。

光があるからいろいろなもが カタチや色として見えるだけのこと。
空気があるから香りがするだけのこと。
生きていて五感があるからいろいろなものを感じることができるだけのこと。

エネルギーは暗闇でも存在する。
けれど五感で感じられるエネルギーはそれなりの大きさがないとだめでしょ?

この宇宙が存在する前だって 「無」ではなくてエネルギーがあったから・・?

有る・・・存在ってなんだろう。
無・・・ってなんだろう?・・。

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このこととはべつに 子どもの頃から霊感のようなものを強く感じ
不思議な経験がたくさんあるのは何故なのだろう・・・シックスセンスがあるのかな?(笑)
でも それはやっぱり 気のせいなのかもしれない。。。
こうやって書いている自分の感覚や考えさえ
何がなんだかわからなくなってきますし(笑)
すべてが感覚だけで 何の根拠もないのですから。

ですから 幼い頃からずっと 自分でもわからないことを人に言うということはできず
子どもの頃から 家族や友人にこのような話をすることはありませんでした。
自分でも信じられないような感覚ですし
人に信じて欲しいという思いもないからです。

けれど 娘や夫に話すようになり はじめは笑って相手にしてくれなかったけれど
私の様々な体験や 霊感のように感じること夢で見たことなどを何気なく言って
それが本当になることがしばしばあるのを
目の当たりにして 驚きとその不思議さに
みんなでびっくりするのでした。

娘のうちの一人にも 私と 同じような感覚があるようですし・・(笑)

そんなわけで 3年ほど前からここにちょっと書いてみようかな・・と思っていたことを
なんとなくつづってみました。