平凡であることの幸せ

人生は光に導かれる旅

☆Life is a journey towards the guiding light

Cherry Blossom Festival♪ 

2008-04-03 | 日記
今日も春うらら。春爛漫。


今年は桜の開花も早く お彼岸の頃には桜がほころびだし、3月末には満開になりました。

先週の土曜日  満開の桜と好天気に恵まれ、横浜 上瀬谷の海軍道路(環状4号線)脇の米軍施設の広場で開かれた日米親善桜祭り に わんこを連れて娘といきました。

昨年は桜が開花しておらずすごく寒くて早めに終わってしまったのですが 今年は人でいっぱい。わんこもいっぱいでした。


*(ハート)* 続きと写真はこちらからどうぞ


今日は狂犬病の予防接種にいってきました。
春はわんこも 病院季節で 半年分のフィラリアのお薬と
1~2か月後には 混合接種もしていただきに獣医さんに行かなくては。。。

今夜は久しぶりのコンサートにでかけます♪

・・・と その前に 固定資産税を払いこみにいかなくちゃ・・・・。
4月は 次女の前期の学費もくるし・・・。その後は車の税金、車検・・・。

*(桜)* さくらちるちるまいちるさくら。 *(桜)*
おかねもちるちるまいちるはる。(涙)






米海軍上瀬谷支援施設 日米親善桜まつり2008

2008-04-03 | お酒 ワイン

Sakura1 今年は桜の開花も早く お彼岸の頃には桜がほころびだし、3月末には満開になりました。

先週の土曜日  満開の桜と好天気に恵まれ、横浜 上瀬谷の海軍道路(環状4号線)脇の米軍施設の広場で開かれた日米親善桜祭り に わんこを連れて娘といきました。

昨年は桜が開花しておらずすごく寒くて早めに終わってしまったのですが 今年は人でいっぱい。わんこもいっぱいでした。

Sakura2 Sakura3 Sakua4

 Sakua5  Sakura6

模擬店も並び Tシャツなどの米海軍厚木基地飛行隊グッツの販売や フードブースではハンバーガーやホットドッグ、BBQなどの手作りのアメリカンフーズが楽しめ ライブやイベントもいろいろあって盛り上がっていました。米軍の警官かっこよかったですし 映画の中にいるような気分にもなって まさに Cherry Blossom Festival な雰囲気を楽しみました。アメリカン缶ビールは 車だったのでお持ち帰りでしたが ひと缶3ドル(300円)はちょっと高すぎ。。。 今度の日曜日の6日には厚木基地でも桜祭り が開かれるそうなので(桜はもう終わりそうですが)お天気がよければそちらにも行ってみたいなあ。でも厚木はペット禁止なのでわんこはお留守番。でも上瀬谷は原っぱだけで何もなく 厚木の方は米海軍・海上自衛隊航空機地上展示もあるそうなので また違った楽しみがあります。

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Sakura7 翌日 花冷えの日曜日。雨も降り出し お花見には寒すぎでしたが ちょこっと思い立って 夕方から弘明寺商店街の桜まつりへ。桜は前日満喫したので こんどは ライトアップされた大岡川沿いの夜桜をブルブルふるえながら 傘をさしてちょこっと愛でたあと、今夜のお花見食卓(?)のための お惣菜お買いもの(笑)。

ここの商店街は レトロな雰囲気がただよい お惣菜を見て歩くのも楽しいのです。でも買うのはいつもきまっていて ふじ方さんでお豆腐や豆腐コロッケなどのお惣菜を 寒かったのでおでん♪も購入(笑)。そのお隣の「とり忠」さんでは 焼き鳥を。あとは和菓子やさんでお赤飯や和菓子を買いました。

そして 最後に ほまれや酒舗さんで かわいらしい桜のお酒や 雨後の月 スパークリング「微紅」や、おすすめの日本酒。 リーズナブルなドイツワイン(白 Q.m.p カビネットで1000円位)。英王室ご用達の珍しいカベルネのオーストラリアの赤のスパークリング ティレルズ スパークリング カベルネ ソーヴィニヨンなどを買って帰りおうちで宴会♪でした。 「微紅」は微発泡酒でジャパニーズシャンパンといった感じで特に女性におすすめのお酒ですが 広島 相原酒造さんの「雨後の月」もとってもおいしくてお勧めの地酒です♪ 

Wine_2 赤のスパークリングは 日本ではまだ珍しく いつもはワインショップエノテカでお気に入りの ピノ ノワールのブルゴーニュの赤 PARIGOT BOURGOGNE ROUGE BRUT (パリゴ・ブルゴーニュ・ルージュ・ブリュット) をまとめて購入しているのですが 価格がこのティレルズのほうが安いのと オーストラリアでも赤のスパークリングがブームになっているので飲み比べてみることにします。

(※ 追記  う~~ん。。やっぱりブルゴーニュの方が好みでした。。。♪)

でも本当は今回も、ほまれやさんでは  甘口の日本酒 村祐と 同じく村祐酒造の「花こしじを買うのが目的だったのですが今年はなくてがっかり。お店の方のお話によると 以前 TV番組で話題になってから 小さい蔵で造りも少量しか仕込めないのに、お客様が殺到して手に入らなくなってしまったとのことで、14代のようにプレミアがついてしまいそうですし、ファンにとってはあまり有名にならないほうがいいなあと思ったのでした。

弘明寺に行ったときは すぐ近くにある 海洋深層水のお風呂。「みうら湯」もおすすめですが 海洋深層水といえば やっぱりちょっと遠くても 観音崎のSPASSO(スパッソ)。が一番のお気に入りで ときどき癒されに行きます。

翌日 月曜日は 主人の両親と お気に入りの和食屋さんで お花見ランチ。夕方から晴れてきたので またまた海軍道路へお花見ドライブを楽しみました。開花が早かったけれど 咲いている期間も長くまだまだ楽しめそうです♪

春のロゼワイン


卯月

2008-04-03 | 日記
母が亡くなってからもうすぐ半年。

明日は母の誕生日。

去年のバースデーに みんなでファミレスでパーティーをした後、
満開の夜桜を一緒に見に行ったことを思い出す。

桜より おしゃべりに夢中だったよね。おかあさん(笑)。

その時 プレゼントした スワロフスキーのネックレスを とっても気にいってくれて
お礼のお手紙まで書いてくれたっけ。

母の趣味がコーラスなので 舞台でクリスタルがきらきら光るといいなあと思って選んだのに
今は私の首もとで きらきら光っています・・。


お母さんが死んでから 遅い秋がきて

寒い冬が過ぎ

今年は 早く桜が咲きました。


満開の桜の木の下で

桜の季節の思い出がよみがえるとき、

小学校の入学式は パパとおばあちゃんがきてくれたこと

小学校の卒業式はひとりぼっちだったことも思い出す。

授業参観も運動会も学芸会もほとんどきてくれたこともなかった。

母は小学校の教師をしていたから

行事が重なってしまい来られないのはあたりまえだった。


ものごころついた時の記憶をたどると
保育園の赤ちゃん部屋のことからはじまる。
保育園では朝は一番 帰りは一番最後のお迎え。
規定の時間が過ぎてもお迎えに来ないので
先生が帰り支度を始めるのが悲しかった。

熱が出ても 体の具合が悪くても これくらい大丈夫といわれて 学校へ行った。

学校で高熱になってしまい 保健室の先生に早退しなさいといわれると 
祖母がタクシーで迎えに来てくれて病院にも連れていってくれた。

熱が出て ひとりぼっちで寝込んだときの話相手は 枕元に並べたぬいぐるみやリカちゃん人形たちだった。


いつもお友達のお母さんをみてうらやましいと思った。

土曜日のお昼は姉と二人でインスタントラーメンか菓子パン。

ときどき お友達のおうちでお昼をご馳走になるのがとても楽しみだった。

手作りのおやつもいつも夢。
友達には お菓子缶いっぱいにお菓子が買ってあるほうが羨ましいと言われたけど(笑)



今は 働いているお母さんがあたりまえの時代だし

育児休暇をはじめ 子どもの行事などで休暇もとれる時代にもなった。

母の務めていた時代は 女性が働くことは大変な時代で

子どものために 早く帰るとか休むなんてできなかった。

でも 仕事は母の生き甲斐でもあったし
母は家事や育児より仕事が好きだった。



だから 私は 小さなころから平凡な主婦にあこがれたの。

けれど 母にとっては 家事や子育て以外なにもできない のんきな娘にしか見えなくて
いつも あなたの歳に私は・・・と叱られた。


当然のように 母と私にこころのすれ違いが生まれた。(態度には出してないつもりだったけど 母もなんとなく気づき それが何故なのかわからないようだった。)

けれど 母に文句をいったり反発をするというのではなく
母のいうことをきき、母の好きなようにさせることが
私のせいいっぱいの親孝行のつもりだった。

そして いよいよ年老いたら そのときからは いろいろしてあげて大事にしようと思っていた。
だから 父を亡くしても 
「パパがいないのは寂しいけれど 私はとても幸せ!!人生もうひと花咲かせるわ!」
と 人生を謳歌している母を 元気で子孝行な母親だと思うようにしていた。
親と言っても それぞれの生き方や考え方があるのだから
親は親。子は子。と、わりきる考え方は 親に何かを求めるとか依存してはいけない。という子供のころから
自分自身へ言いきかせてきたことでもあったような気もする・・。 


でも母は娘がかまってくれなくてさびしいといつも周囲の人にこぼしていたみたい。
誕生日 母の日 お正月 ひな祭り クリスマス 敬老の日 お彼岸 お月見・・・と行事などのときはいつも一緒にお祝いしたのに
行事だけすればいいってものじゃないと言っていた。と聞いて涙しかでてこなかったけれど・・。

娘たちは
おばあちゃんは なんだかんだいっても
お母さんだけには言いたいこといえて
おじいちゃんの次に お母さんのことが好きだったんだとおもうよ。
そんなこと見てればわかるし。
他人にお母さんの愚痴をこぼすのは 自分にかまってほしかったからだけのことだとおもう。
でも なぜかわからないけど おばあちゃんはお母さんに対してヤキモチみたいなのもあったよね。
というのだけれど、
そういうことも 実は 年頃になった頃からずっと感じていた・・。

母親が娘に嫉妬する・・・。
いろいろな場面で耳にしたり 実際そういう母親を知っているけれど
年頃の娘を二人持つ私であっても 「娘に嫉妬」する気持ちはどうしても理解できない・・。
やはり人それぞれなのだろうか・・。
(お姑さんがお嫁さんに嫉妬するというのは 息子がいない私でも理解できるけど。。(笑))



でも・・・

突然 元気なままたおれて死んでしまった。

毎日お仏壇で手をあわせてごめんね・・おかあさん。とあやまりながら、

親孝行って親のためにするのではなく
自分のためにすることだったのか・・・と気づいた。

父が病気で亡くなったときは 後悔も罪悪感もなく

お疲れ様・・・いままでありがとうね・・パパ。
という気持ちで見送れたのは 精一杯の介護ができたから。


病気で痛みや苦しみの中で亡くなる姿は本当にかわいそうだった。

でも 母のように 生涯現役!という死に方は
悲しみというよりも あまりに衝撃的で
後悔と罪悪感だけが残される。


母ももっとやりたいことがたくさんあったはずだし、死にいたるまでのプロセスって
本人にも周囲にも大切なのではないかなと思う。

先日 新聞を読んでいたら 「やすらぎの長寿考  老いも病もこわくない」(吉永馨 著)というの本の紹介で 
医師の作者が 母校の同窓会仲間とのメーリングリストのやりとりのなかで

「ピンピンコロリは本人が死後の準備ができず、家族も途方にくれてしまい、あまりいいとはいえない」

というようなことが書かれていたのにもうなづけた。



でも どんなにいいわけしたところで
母へのごめんなさいの気持ちは 生涯私の中で もっと早く気づいてあげれば助かったかもしれない、私が殺してしまった・・・という罪悪感として残るでしょう。

けれど 母にとっていつまでも娘のままであった私の「娘時代」に終止符がうたれた今

いつまでも罪悪感をひきずるより
これから家族みんなが笑顔でいることが
父や母への親孝行になると信じて生きていこうとおもう。

だけど 結局わたしはわたしのままで
なにもかわりはないのだけど。

そしてまた 明日 母の誕生日にお仏壇のまえできっということばは

ごめんね・・おかあさん。



でも 去年のお正月あけ 七草粥を作って一緒に食べたとき 初めて!ほめてくれたよね(笑)


「あなたは こういうことちゃんとするけど 私は何もしなかったし そういえばサトイモの皮をむいたことがなかったわ」



はじめてほめてくれた年に

    あなたは亡くなりました・・。




ねぇ?おかあさん 知ってた?

子どものころからいつも
お風呂やトイレやキッチンをピカピカにして
戸棚やタンスの引出しの中ををきれいにしたり
洗濯物をとりこんで きれいにたたんでみんなのタンスにしまったり
パパのYシャツにアイロンをしたり
お庭に水をまいたり 花壇の手入れをしたり

娘時代は 料理学校やパン教室でならった献立を家で作ったりしたのも

みんなみんな いつもお母さんが「ありがとう 助かるわ!」といって喜んでくれたからなんだよ♪
なので 子どものころから「長所」や「趣味」の欄に一番に書いたことは「整理整頓」♪(笑)

結婚してから それが新しい家族のためだけになってしまったけれど
私が 今でもお掃除や家事が大好きなのは おかさんのおかげなんです。
(綺麗好きなのは 父と祖母似なのだけど。)

でも かなり手抜きのところと
わがままなところはお母さんに似てるけれど(笑)
だから パパも娘たちもわんこも わがままな私に苦労してそうです。。。。
だって・・・(←この言葉がわがままの象徴~(笑)) 子どもの頃さびしかったぶん、今はみ~んなに思い切り甘えられるんだもん。。。♪