もう3年ほど前になりますが、新聞の文化のページに、作家の五木寛之さんが ご自分のお母様を亡くしたことの戦争の悲劇を描いた運命の足音(幻冬社)について述べていらしたことを紹介します。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
21世紀は宗教が 重用な意味を持つと思います。そして、世界の宗教が共存するために
日本が提供できる知的資源がある。それは 山河にも魂はあるというアニミズムと、神も仏も拝む シンクレティズム(諸教混交)ではないか。「あいまいさ」は 恥じることではない。日本人は、その値打ちに気付いていないんです。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
私も 無宗教でありながら 神のような存在を日頃から感じるのですが、それは 神とか仏というより、宗教を超えた何か宇宙的なエネルギーのようなものでないかと思うのです。自然の中にいると そういうエネルギーや不思議な癒しを感じるのは誰にでもありますね・・。日本人はいにしえの時代からひとつの神や仏にとらわれず 山河草木、森羅万象に精霊が宿るというアニミズム思想を持ち、美しい四季の中で農耕生活を中心として、自然を崇拝する精神は素晴らしく誇りを持つべきことだと思います。自分の中にひとつの宗教を持つこともよい事かもしれませんが、明治生まれの祖母が「お天道様」の光に手をあわせる姿を小さな頃から見て育った私は、多宗教、あるいは無宗教であるというあいまいであることの大切さも必要であるといつも思っていましたのでこの記事を読んだ時、言いたいことをおっしゃってくださった気がしてちょっと嬉しくなりました。また 次のようなこともおっしゃっていました。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
手を合わせて 「いただきます」「ごちそうさま」
という習慣を 子供達に教えて欲しい。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
これも 日本人のこころですね・・・。誰かに手を合わせるとか 感謝しなさいというのではなく、自然に手を合わせて 日常の挨拶をすることで、自然や身近なものに対しても、感謝のこころや豊かなこころが 養われるようにも思えます。教えるのではなく、日常的に親がしていれば、嫌味な感じや宗教心を与えるというのではなく さりげなく子供たちに自然に身につくでしょう。古きよき時代の日本の教育の良さを見直したいですね。
<iframe marginwidth="0" marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=yukarinrinblo-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4062740834&IS1=1&fc1=000000&lt1=_blank&lc1=0000ff&bc1=ffffff&bg1=ffffff&npa=1&f=ifr" frameborder="0" scrolling="no" style="WIDTH: 120px; HEIGHT: 240px"> </iframe> <iframe marginwidth="0" marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=yukarinrinblo-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000BEYCEK&IS1=1&fc1=000000&lt1=_blank&lc1=0000ff&bc1=ffffff&bg1=ffffff&npa=1&f=ifr" frameborder="0" scrolling="no" style="WIDTH: 120px; HEIGHT: 240px"> </iframe>
五木氏のメッセージは日本人として忘れかけていた 魂のようなものを呼び戻してくれるような気がするのです。それは氏が自殺さえ思ったことがあるほどの多くの苦しみを経験し、その不安を力にかえて生きてきたからこそ、そして 今もなお考え続けることによって
生み出されてきたものだと思うのです。
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
「人はみな大河の一滴である。 しかし、無数の他の一滴たちとともに大きな流れをなして、確実に海へとくだっていく。高い嶺を登ることだけを夢見て、必死で駆けつづけた戦後の 半世紀をふり返りながら、いま私たちはゆったりと海へくだり、また空へ還っていく人生を思い描くべきときにさしかかっているのではあるまいか」
という言葉の中にマザー・テレサのメッセージを思い出します。
「私のしていることは大海の一滴にすぎないかもしれない。でも、大海というものはその一滴一滴が集まってできるものだ。」
-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
解釈の仕方が違いますが、原点は同じですよね・・・。
私たちは誰もが皆「大河の一滴」「大海の一滴」であることを忘れてはいけないのです。また五木氏が以前NHKの「私はあきらめない」という番組の中で、
* あきらめる とは 明らかに極めることだ *
とおっしゃっていました。つまり・・・「諦める」のではなくその状況を 明らかに受け止めて極める、受け入れながら克服し、その状況の中で生きるということなのでしょうか・・。物事はマイナス思考であってもそれを明らかにして受け入れることで、プラス思考に変化するのだということがわかるような捉え方だと思いました。
.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:._.:*~