先月のブログで扱った春章の作品を豆本にしたものである。
百点ものしっかりした画像がすんなり集まることは滅多に無いので、手早く完成出来た。
この作品には別の版があり豆本の底本にしたものは流布本というもので、天智・持統両天皇だけ和歌は別ページになっている。
もともとは別版のように上部に和歌を書くはずだったことは明らかである。別版には廻りの枠が無い。
別版は文字が異なり、人物や衣服の柄は同じようでもカラフルである。全く違うものもある。
枠付の流布本にも絵が同じでも文字が全くちがうものもある。
流布本には、古今和歌集の選者紀貫之が仮名序で言及し、のちに六歌仙と称される六歌人の歌風に対する評語を絵で表したものが添えられている。以下六点。
僧正遍照 ・ 在原業平 ・ 文屋康秀
喜撰法師 ・ 小野小町 ・ 大友黒主
10月16日の横長豆本「富嶽八八選」に対する姉妹編で、富士と撰に変えて区別している。
開いたページは広重の富士三十六景で左相模川は富士が薄くて見えないが、ゴッホのタンギー爺さんに用いられたものである。
◎ 富士を描いた切手三点
左端は昭和11年発行の切手だが、来年は88年目ということで加えたもの。
右二点は現行のものではあるが、実物はまず目にすることはないと思われるもの。
◎ 左は宮田雅之の切絵「赤富士」で、作者は日本人初の国連公式認定画家として、国連のアートコレクションに加えられたもの。
右は元横綱の日馬富士の描いた作品。彼日馬富士はモンゴルで美術を専攻したということで、引退後も絵画作品展を開く本格派だそうである。
※ 日馬富士作品蛇足
下左も日馬富士の作品で、右は鈴木其一の富士作品に描かれた太陽を持ってきて填め込んだ私の悪戯である。
おわかりだろうか、こうすると絵そのものが「日・馬・富士」と表現していることになる訳である。
富士に太陽を描いた作品は数多くあるし、悪戯といっても悪ふざけではなく、日本人ならこういったユーモアは理解されると思うのだが。
謹告
本年のご高覧有難うございました。
勝手ながら明後31日は休業、本年は本日で終了させていただきます。
また来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいませ。
世界遺産登録から十年ということもあって作った作品。
膨大な数の富士絵画作品から、百とか千とか選ぶことは最初から無理な話で、従ってこの作品は富士の名画を選りすぐった作品ではなく、とにかく富士山が画面の中央にあろうが、はるか遠くに霞んでいようが、老生の目に引っかかった物をランダムに並べた豆本である。ただ「八八」という数字には複数の理由があって、その第一は漢数字の「八」は富士の形に似ているし、ましてタイトルの勘亭流だと富士そっくりなのである。二つ目は私の豆本では、56p. 72p. 88p, あたりが基本ページでこの数字以外だと作りにくかったり白紙ページが出たりと厄介なのである。そしてもう一つの理由が・・・・・ということである。
開いたページ 左・山下清、 右・ゴッホ
◎ 収録作品の一部
雪舟
尾形光琳
葛飾北斎 伊勢物語 東下り
喜多川歌麿 初夢 一富士二鷹三茄子び
昭和13年~23年までの紙幣
東京五輪記念硬貨
歌川重宜といっても耳慣れない人も多いと思うが、歌川広重に師事し広重の養女と結婚して二代目を継いだ人である。
それが名跡狙いの結婚だったかは判らないが後に離婚して、「喜斎立祥」と名乗って活動することになる。
この「五十三次」は重宜名義での版であるが、やはり初代の名作には及ばず、彫りなどもなんとなく野暮ったい感じがする。
こうしたマイナーな作品を纏まって目にすることは滅多にないし、ましてー本になることはまずないだろうから、へそ曲がりにとっては恰好な豆本素材で、世界で最初に本したのは私という自己満足に浸れ、「人不知而不慍、不亦君子乎」という訳である。
起点・日本橋と終点・三条大橋
蛇足ながらこの二つは五十三の数には含まれない。なぜなら五十三はこの二点の間にある宿場駅・中継地のことだから。
なお立祥名義の「東海道五拾三駅」という縦版の作品も有って、これも以前に豆本化してあるのだが現物が見付からない。
日本橋 ・ 箱根 ・ 三条大橋
こんなことばの本がある訳ではなく、自分勝手に使う大豆本、小豆本を敢えてこのように読み替えただけである。
私の作る画集豆本は通常、ご覧のようなトランプカード大のB8版(64×91mm) 上段のもので豆本としては大きい方だと思うので「大豆本」、つまりだいず本なのである。
中段はその半分のB9版で、これぐらいか少し大きいA8版(52 ×74mm)が普通に言う豆本サイズであろうか。
視力や手先の衰えで繊細な作業がやりづらくなって最近試しに作ったのが下段のA9版で、文字の豆本ならこれより小さい作品はたくさんあるはずだが、広重・北斎の東海道や富嶽となると他にあるとは思えない「あずき本」だと思っているのだが。
なお上段のB8の倍の作品も作ってあり特大豆本として過去に記載しているが、これは文庫本に近いのでもはや豆本の仲間に入れられず小型本とでも言うほかは無い。
過日扱った榮之作品を豆本化したもの。
上段のように左右一組の歌人を見開きの左右に置き、一枚めくった次のページ左右に下段のように和歌を並べた72ページの作品である。 ご存知のように歌合せは左右に別れ、古式の左方上位からすれば当然左・中古→右・中世となるが、この左と右は当事者または最高の観覧者にとっての左右で、対面する下位の観覧者からは逆になる。この本では絵の右上にある「左・右」の文字に従って並べたが、右綴じの本は右の方がページが若いので中世、左中古と時代が逆になってしまうのは如何ともしがたい。
この榮之の作品には、下のように小式部内侍が二種類あって歌を記した色紙が作者名、書式、背後の模様など大きく異なり、絵も着物の柄などもちがっている。他にも『伊勢」が仮名になっていて、つまり二種類の版があったことを窺わせる。
五輪の競技や施設などを示すピクトグラムという絵文字は、今回の開会式で活人劇となって評判を呼んだが、このピクトグラムは前回1964年の東京オリンピックで初登場して以来、毎回各国で用いられるようになった。つまり韓国風にいうなら「ウリジナル」というものだが、もちろん各国は全く同じものではなく、その国を象徴するものがモチーフになっている。
この豆本には前東京大会以後のピクトグラムとエンブレムを収録してあるが、なにしろトランプカード大の豆本なので一覧表は個々の競技が見分けにくいのは仕方が無い。それで日本の五輪だけは個々の競技を拡大して一ページに二つずつ今回のパラリンピックとともに収めてある。
前回と今回のピクトグラム
コーヒーシリーズの豆本として当ブログの日曜コーヒータイムに登場したり今後するかもしれない女性を纏めた豆本全五冊。
「Konstantin Razumov」と「Kira Panina」作品はそれぞれ一冊に独立させ、その他の諸作品を三冊に纏めたものである。
前作の「コーヒー オウル」の姉妹編「ブック オウル」で、本とフクロウのイラスト約100作品を収めた豆本。
大人向けの画集だと画像修整やタイトルの確認とかけっこう面倒な下準備をせねばならないが、こういう類のものは比較的気楽。
物好きで勝手にやってることを億劫がるのるというのも矛盾した話なのだが、これも年のせいで、自動車と違うのはアクセルを踏んでも暴走しない代わりにブレーキを踏まなくても勝手にとまってしまうところ。