歌川重宜といっても耳慣れない人も多いと思うが、歌川広重に師事し広重の養女と結婚して二代目を継いだ人である。
それが名跡狙いの結婚だったかは判らないが後に離婚して、「喜斎立祥」と名乗って活動することになる。
この「五十三次」は重宜名義での版であるが、やはり初代の名作には及ばず、彫りなどもなんとなく野暮ったい感じがする。
こうしたマイナーな作品を纏まって目にすることは滅多にないし、ましてー本になることはまずないだろうから、へそ曲がりにとっては恰好な豆本素材で、世界で最初に本したのは私という自己満足に浸れ、「人不知而不慍、不亦君子乎」という訳である。
起点・日本橋と終点・三条大橋
蛇足ながらこの二つは五十三の数には含まれない。なぜなら五十三はこの二点の間にある宿場駅・中継地のことだから。
なお立祥名義の「東海道五拾三駅」という縦版の作品も有って、これも以前に豆本化してあるのだが現物が見付からない。
日本橋 ・ 箱根 ・ 三条大橋