楽しい日々

ホームページを作ることが 与えてくれた楽しみや 主婦の日々の思わぬ出来事を 聞いて聞いて!  

ズボンのあげおろし

2017-04-14 23:56:18 | Weblog
年をとると痛みがあってなかなかトイレで苦労することも多いものです。
昨日ひざを痛めていた時もズボンのあげおろしに苦労しました。

そこで紐を通してはくタイプのズボンにしました。
その紐を ゴムにして
そのゴムを紐通し口からさらに延長して
前合わせを折り返し後ろが二重になるようにしました。
ゴムだけが脇と後ろをかえして後ろで縛った形です。

こうすると 用を足すときは後ろのゴムだけが残り
腰に引っかかるのです。
下の方にズボンが移動しないのであげる時楽です。

見苦しいのですが 生活の支障には勝てません。
しばらくこれで痛む作業をカットして生活時間短縮です。

何かと身体の支障がでてくる年齢になったのですが
面白いとおもえばたのしいかもしれません。

膝の痛みにサポーターがよいかもしれませんが
なにぶん効果が保障されず高価です。
とにかく今のところ 曲げすぎなければ痛くないので
とりあえず薄い本のおまけでもらった膝かけを
軽く巻きつけてしのぎました。不織布のようなフリースです。
ズボンの下で丁度とどまり しめつきすぎず
暖かいです。歩きやすくなりました。

今日はいたみがほとんど
膝をひねらなければありません。やれやれです。



日本の桜

2017-04-13 22:01:08 | 日本文化
日本の桜

五条川の桜も大好きですが なんといっても故郷の桜は
格別です。これが日本の桜の風景だと描いていた景色です。

田に引く水の小川を河川敷の草たちがかこみ 苦労して人力で積みあげた
土手の堤に植えられた桜が 大切に育てられ続け 
のびのび枝をのばして咲き誇っていました。

御油は御世話になった小学校の先生のお宅があります。
毎日 日記を書いて登校すると
その日のうちに読み 赤ペンで感想や修正をしてくれた方です。
以後そんな先生はあらわれていません。

文章をつづるという作業は 脳でいろんな作業をすることになります。
反省をしたり 感情がもりあがったり
日記の題材はいろいろあります、 
そんな脳の中を整理し文章を組み立てることで
本当の気持ちがみつかったり
考えているうちに 発見があったり
今思うと その日記を付けた経験が
自分の長い命を維持するためにも役だった気がします。

市場の心配より漁獲の心配

2017-04-11 13:12:15 | 日本文化
いやはや 物騒な政治環境になり 不公平による貧困も深刻になり
のんきな主婦でも心配しています。
東京都では市場の問題がヒートアップしていますが主婦としては
漁獲のほうが 本当に深刻になるのではと思っています。
市場が立派でも 売るものがなければねえ。

カルビーなる大手が ジャガイモがなくて仕事ができないとは
これも深刻です。
別にチップスが食べたいわけではないのですが企業の在り方や
商売の哲学の問題でして 主婦としては 心配なのです。

人類がこれだけ繁栄しているのも芋の御蔭だと思ってきておりましたので
芋が作付できない戦争にだけはなってほしくなく 心配です。

そうそう核を保有しなくても 核を保有すれば
その地は自いつか自滅するわけでして
なにもあわてることはありません。
大金でもそうですが もつものが あわてる話です。


シャスターデージー

2017-04-04 18:51:19 | 日本文化

今日低学年の女の子とおばあちゃんが我が家の花の名前を尋ねてみえました。
女の子は何か言いたげにじーっと私を見つめていました。
おばあちゃんは 
「この草に隠れて咲く花は何という花ですか?」
といいました。
「あーデージーです。」と答えると 
不思議そうに首をかしげてみえました。

庭といえるほど手を入れているわけではないのですが
花が咲いてくれると楽しいものです。
昨年の秋 パンジーとデージーの種をまきました。
肥糧不足と寒さのせいでしょう 苗は8センチほどで小さく
花がつくかと心配していました。

そのデージーがこのところの雨と暖かさで
8センチほどの葉が十枚に満たない株に
3センチ以上もあろうかという花をつけました。
とても売られているデージーとは違うので
花好きのおばあちゃんのようでしたが
デージーとは答えられなかったようです。

女の子が学校帰りに可愛い花が咲いてると
おばあちゃんを誘ってきてくれたとのことでした。

小さなお子さんは本当に素直ですね。
 
冬の間小さな苗ですごしたデージーが
春の訪れにさきました、
一花だけでもと命を紡ぐため 頑張って大きな一輪を咲かせたのです。
ずんぐりむっくりした花なのですが
その女の子は理屈なしに 立派でかわいいと感じたのですね。

「種まきをして苗を作ったのだけれども
土地がやせていて さらに今年の寒さに小さくしかなれなかったのです。
これでもデージーなんです。」
そう話すうち 女の子は目を輝かせてきいてくれました。









南方熊楠の残してくれたもの

2017-04-02 23:29:53 | 日本文化
ひとりでも 訴えかければ 世の中で生き残るいのちがあるのなら
今日は叫んでみようかしら。

毎日通る公園や神社で次々に木は都合で切り落とされ きれいにすると称して
除草剤に枯れて行く草に叫びたくなる思いをしているのです。
ほどほどが良いと思うのです。

田では蛙の姿が消え 燕が本当に少なくなり
愛知県はもう自然いらないらしいです。
残る神社や空き地が どうしたら残せるか考える人はなく
あらゆる動物が人間の都合で絶滅にむかうのです。

それは大したことに思わない人が大半でしょうが
実は大変なことです。

動物たちは長年工夫を重ねていつもしてきた生活に
ほんのわずかな変化をプラスして生きています。
それが ある日突然ショベルカーで川底から一気に生活を奪われていくわけで
ほんの数日前にも 
トンボの里と看板のある公園の周りが 根こそぎ
ソーラー発電場になりました。
ちいさなビオトープは日光にさらされ始めました。

公園さえ残せばトンボが生きられると考えたのか
トンボの里など必要がないのか その残酷さに驚いています。
二度と戻らぬトンボの里ということになろうかと落胆です。

古来 神社は守るべき動物と共存していくためのしるし
お賽銭は 貧困救済のための仕組み
自分の願い事をするのは 脳に目標をもたらすため 

 脈々とした神社のシステムは 農作や漁の季節をしらせ
知恵を授けてきていました。
その美しい自然との共存は 日本の宝だったと思っているのです。
 人が立派に尊厳を以って生き抜くための工夫に満ちた
システムが 神社だったと思っているのです。

ところが 社に重きを置いて 森は刈り込み草一本なしにしてしまいます。
セメンで城塞のようになり 虫も棲めない いやゴキブリは棲んでるかもしれない。
 精神は おおよそ引き継がれなくなってしまった。
落胆と焦燥とが 胸に渦巻きます。

このままでは 魚も家畜も植物も 危うい感じがしてなりません。