年を取ると認知症になるといいますが 良い年の取り方をすれば 機能が衰えることを受け入れ 毎日の決まった生活を維持することが 出来るかもしれません。
主人の病気が発覚して 92歳になる姑は 決まって主人が不安定な日に 電話をしてきます。
理解の機能がおとろえて 忘れやすくなっていても 子を思う気持ちは本能のようにわいてくるのか どんな様子か聞いてきます。
病院に検査に行った時も 電話があり 不安そうな声で容態をきいてきました。
偶然キャンセルの入った検査を 飛び込みでうけることが できました。
母の思いが呼び寄せたようでした。
毎日 仏さまをお参りして 墓の掃除をして落ち着くようです。
決まった時間に食事をし 庭掃除をし 生活の維持ができています。
年老いても 維持できる生活リズムは 崩さないほうがいいようです。
主人のかわりに 一人暮らしの母を訪ねると ガラス戸がこわれてました。
二人で障子に張り替えるとうれしそうだったのですが。
何かがなくなって 私が持っていいたからだと いつもの攻撃が
始まりました。
お義母さんには 三人の立派な息子が元気で活躍して 物はなくてもいいじゃないあきらめな。と 言ってしまいました。
不満そうでしたが 今日はそこで とまりました。
寂しさや 自分の状況を変えることは いくつになっても 難しいことなのですね。
今目の前にあるものが 見えないほど 記憶にとらわれて ないことだけが見えてる。してもらえることや してもらったことが 消えるほどなのです。
きっと もう ほしいものなどない 物は
なくてもいいとあきらめられると 目の前がみえるようになりたくさんのものが見え
かたずけもできるようになるのでは と 楽しみにすることにします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます