楽しい日々

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神社

2012-08-08 07:44:24 | Weblog
各地の多くの祠は なんのためにあったのか
よーく考えてみる必要が 今の時代だからこそ
あるのではないだろうか。

最近 神社仏閣の 建て替え工事や 修復工事が行われているけれど
先人のプログラムに 耳を傾け そして 何を目指してきていたのかを
くみ取って工事をしないと 
事は失ってしまってからでは 朱鷺のように回復が難しくなる。

私は人生七回の引っ越しのたびに 氏神様に挨拶し 散策して
時には子育てのため 
土地の様子を確かめてきた。
ひとつ気がついたのが 氏神様の祠には 
自然環境を残すためのプログラムがあることだ。
祠と称する人間の建てた建物には 以前書いたように 貧困救済の役割をもたせてきた。
一方 広い敷地を用意して 
楠木だったり銀杏だったり 人間の営みでは残せない環境を
祠をしるしに 少しの手入れで維持し 自然を根絶やしにしないプログラムのための場を
日本の有識者は 残してきていたのではないだろうか。

食を求めるための田畑ばかりにしてしまうのではなく
雉や狐や 鼬や 蛇 多くの鳥たちが 宝物を維持してくれることを
すでに太古の昔からくみ取って 残すために 祠をあちこち用意してきたのだと
最近感じるのだ。

どこの 仏閣や神社も その点の認識が薄く
駐車場で敷地は削りに削り 植樹と称して杜を好き放題にし
目に余るものがある。

近所の祠は むろん自治体の金がかかるから
丸坊主で葉が落ちて面倒がかからないようにし
草は根絶やしにされている。
民主主義も良いが ここまで人間の横暴がすすむと
日本は日本らしさを失い ぱさぱさな国に人になってしまわないだろうか。
蛙がむしをたべ 燕が帰ってきて 虫を食べ稲作をともに享受してきた
やさしい民族日本。

ぜひ 自然環境をまもってきた祠は 目印であって建物にあるのではないことを みんなに
知っていただきたい。せっかく残してきた神社、手の加え方をゆるめて 
いま日本に棲む動物たちの恵みあっての
日本だということを 思い出していただきたい。