じいじのひとりごと

高齢者の悲哀と愚痴を綴っています
唯一の相棒、mシュナウザーのベルが残り人生を伴走してくれます

無情の雨

2016年04月21日 | 日々のこと
熊本地方では屋根をブルーシートで覆った家が目立ち始めました。
倒壊や傾きを免れても瓦屋根が落ちた家は雨漏りが避けられない。
とは言え二階建て家にシートを掛けるのは簡単なことではないでしょう。
そのうえ余震続きですから思うように進まないことですね。
あれから二度目の大雨です、被災者は不安と諦めに襲われていることでしょう。


気にも留めてこなかったが、1981年以降の家は耐震構造になっているらしい。
我が家は1983年築なので、それなりの耐震仕様になっているのかも知れませんが、
それも初期なので十分ではないでしょう、瓦屋根ですし。
地震には平屋建てで屋根は最近の軽量鉄板屋根がいいらしいが、今更です。
それでも震度7が二度も起ればひとたまりもないでしょうね。
一応5年前から地震保険に入っています。


以前にも一度書きましたが、
私は昭和南海地震をはっきりと覚えているのですね。3歳半のころです・・・
夜中の長い揺れに家族が布団を被って抱き合っていたことが蘇ります。
今にして思えば萱葺きの小屋のような家でしたが倒れませんでした。
M=8以上の地震でしたが、調べてみるとこの地では震度4~5程度だったらしい。
しかし主に太平洋側の各地で倒壊や火災、津波で1000人以上の死者が出たようです。
なんとこの終戦前後の 1943,44,45,46年の毎年、死者1000人超の大震災がたて続きに4回あったと。
あれから70年、、そろそろ間もなくかもしれない。

明日、郵便局へ行くので遅ればせながら義援金してきます。

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4 コメント

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Unknown (ビーバー)
2016-04-22 05:34:56
こんにちは
耐震新基準が1981年とは知りませんでした。親が1986年に建て替えましたが阪神大震災で建物は壁にひびが入る程度でしたが駐車場や塀生垣などひどくやられました。新基準だと業者の方がこられていってました。
それにしてもイツまで地震がつずくのですかね。
カルデラ大噴火でないと思いますが。
米国のイエロストーン国立公園を訪ねたとき火口平野広大さ外輪山から一時間走っても出てくる溶岩台地走り去ってふりかえれば200メートルもの高さ カルデラ大噴火跡だったとは 身震いしました。
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Unknown (ジョナサン)
2016-04-22 17:52:24
我が家は1980年に建てたので耐震構造にはなっていません…
あちこちリホームするのが精一杯で耐震対策 まではできない状況です
一応 福岡の西方沖地震からは地震保険にも加入しています
今回のようなM 7の地震では予想できない被害になるでしょうね…
昨日は1日強い雨が降りましたが熊本の方達には不安と心配が増したのではないでしょうか
今度の地震が起きたとき孫たちが泣いて震えていたそうです
まだ余震が続く中 1日も早い地震収束を祈らずにはいられません
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Unknown (ottch)
2016-04-22 21:16:43
ビーバーさん、
詳しくは知りませんが、1981年の前後の基準の違い、
旧基準では震度5程度の地震に耐えうる住宅との規定が、
新基準では『震度6強以上の地震で倒れない住宅』と変わったそうです。
震度7となれば保証はないですね。

阿蘇のカルデラは世界一と言われますがイエローストーンほどではないのでしょう。
カルデラ内に多くの市町村がありますし・・・考えてみれば恐ろしいですね。
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Unknown (ottch)
2016-04-22 21:17:20
ジョナサンさん、
耐震診断を無料でやってくれる代わりに工事を勧められ、自治体の補助があっても
100~200万円かかるそうですね。
一坪ほどの強固なシェルターも売れているとか。今更と言う気もしますが・・・

余震も少し落ち着いてきた模様ですね。
ボランティアも活躍し始めました、一日も早い収束、片づけ復旧が待たれますね。
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