近事変々

思いつくまま、気の向くまま綴る「おとりん」のサイトです。
※表題の「変々」は字面の遊びです。(念のため)

賑やかに第11回「伝統芸能まつり」が行われました。

2011-02-20 14:21:57 | 民俗・行事
きのうは、成増のアクトホールにて第11回「伝統芸能まつり」が行われた。
この催しは、郷土芸能伝承館を利用して練習に励んでいる団体の、年に一度の晴れ舞台なのである。
いわゆる「伝統芸能」ばかりでないので、「看板に偽りあり」ともいえなくもないが、暇を持て余している者にとっては格好の舞台でもある。

参加団体といえば今回は23団体、いつもお馴染みの組太鼓のグループが7団体、フラダンスのグループが4団体と群を抜いているのだが、他にも里神楽、日舞、着付け、民謡などいろいろな出し物があった。

わが町会からは、「徳丸宮元囃子連中」が、子ども達による「仁羽」を初めて披露した。
まだ覚えきれないような様子で微笑ましかったが、興味を持ってくれる子ども達がいることは心強く思う。
女性陣の「ウルベヒ・フラグループ」は、お揃いの衣装で華麗にフラダンスを踊ってくれた。

組太鼓の音と阿波踊りの音が響く中で私が興味を覚えたのは、お隣の町会である三交会のグループが演じた「銭太鼓」であった。
このグルーは今回初めて参加したようだが、島根県が発祥の芸能だそうである。
「銭太鼓」とは、穴あき銭を仕込んだ棒状の楽器で、それを振ったり、打ったり、回転させたりするもので、なかなか見応えがあった。

WEBで検索したら、格好のサイトがあったので紹介しておきたい。

銭太鼓/米倉@茂原市のいろいろ
http://blog.livedoor.jp/yonekura5/archives/50135885.html

12時半の開演から5時半頃までずっと見ていたが、最後は「赤塚鳶組合木遣り保存会」の朗々たる木遣り唄と纏いの振り、鳶頭の三本締めでフィナーレとなった。

いつも残念に思うのは、こうした催しでは写真撮影が禁止されていることである。
写真がないと、どうしても見た感じが半分も伝わらないと思うのだが、こればかりは規則なので致しかたがないことである。

秋田県由利本荘市の民俗芸能、「本海番楽」を観る。

2011-02-13 16:22:16 | 民俗・行事

きのうは、雪のちらつく中を一ツ橋ホールまで出かけ、全国農協観光協会主催の「民俗芸能と農村生活を考える会」の公演を観てきた。
演目は、秋田県由利本荘市に伝わる民俗芸能、「本海番楽(ほんかいばんがく)」である。
最初に由利本荘市の自然・文化を紹介するビデオが上映され、その後2時間半ほど各種の番楽が演じられた。

【本海獅子舞番楽】の概要

 「本海獅子舞番楽」は、江戸時代初期の寛永年間(1624~1644)、京都醍醐寺三宝院に属する修験者で芸能優れた本海行人(本海坊)が、秋田県由利本荘市鳥海町の村々に直接伝授した、修験の要素が濃い獅子舞番楽です。
本海行人最後の地とされる同市矢島町荒沢地区の白山長根には、「安永八亥 本海上人 三月十八日建立」と陰刻された碑が建立されており、また鳥海町上直根講中には、寛永3年7月に本海行人が記した「巻物」が伝わっていたことからもうかがい知ることができます。
 本海行人は、鳥海山の麓に位置する鳥海町を中心に、修験的な行事をとり入れた獅子舞・番楽を伝え、現在これを総称して「本海獅子舞番楽」と呼んでいます。一般的には獅子頭を使うものを「獅子舞」、獅子頭を使わないものを「番楽」としています。(由利本荘市HPより転載)

演目順に簡単に紹介するが、記述は当日配布された「民俗芸能と農村生活を考える会」のパンフレットからの引用である。

第22回 民俗芸能と農村生活を考える会/全国農協観光協会
秋田県由利本荘市「本海番楽」
http://www.znk.or.jp/event/20101005.php
 

【祓い獅子・・・下直根講中】

一般的に行われている獅子舞で、掛け唄に合わせて獅子を振ります。
家内安全・健康祈願の獅子舞で、獅子を振った後に合掌して座った人の頭と体を次々に噛んで悪疫を退けます。
本海番楽の獅子舞には、「天地和合」、「龍門の振り返し」、「三条のみ腰」の獅子舞の三大所作が受け継がれています。

youtube 上直根講中「祓い獅子」
http://www.youtube.com/watch?v=sTy_kidnS3w&feature=player_embedded
 

【三番叟(式舞)・・・猿倉講中】

翁舞いと対になっている演目で、一人舞です。
烏帽子を被り、切顎の黒色尉面(三番叟面)を着け扇と錫杖を持って舞います。
もともと猿能楽に発した演目で、悪霊を地に踏み鎮めるための足拍子が見どころです。
 

【御神楽(式舞)・・・下直根講中】

鳥兜、直面(ひためん)のもの二人が、右手に錫杖、左手に扇を採って対になり舞います。
「御神楽や いつ立ち初めしの御神楽や 今日立ち初めし 神の御神楽」という幕出歌を歌います。

youtube 下直根講中「御神楽(式舞)・三番叟」
http://www.youtube.com/watch?v=v1n6Gb2dwn0&feature=related
 

【三人立(神之舞)・・・猿倉講中】

高天原(天照大神をはじめ多くの神々が住んでいたとされる天上の世界)に四方の神々を集めての神遊びの一つで、三人の武者が扇と錫杖で舞い、後半は足拍子を揃えての太刀くぐりをする勇壮な舞です。

youtube 猿倉講中「女舞・三人立」
http://www.youtube.com/watch?v=y523g-nYSNw&feature=player_embedded
 

【山之神(神之舞)・・・猿倉講中】

番楽諸曲の中でも重厚な演目とされ、鳥兜に直面(ひためん)で両腰に太刀を帯びて舞います。
筋は山之神の本地を語り、年の豊作を祈り悪魔を祓って舞います。
修験風の荒舞で、足の踏み方に難しい作法があります。
 

【鐘巻(女舞)・・・下直根講中】

紀州あやめ伏屋の一人姫が鐘巻道成寺を拝もうと女人禁制を押して通り、鐘を撞こうとするが、かえって鐘の緒に巻き込められ蛇身となります。
そこへ山伏が出て間語(まがた)りをなし、蛇身を折り伏せると蛇身のものが成仏し、女姿に戻って舞うという筋のものです。
最初に女が出て扇を持って舞い幕に入ります。
 

【やさぎ獅子(獅子舞)・・・猿倉講中】

最も激しい獅子舞で、上下左右に頭を振り返し、唄掛けのない時は歯ぐいをする、後幕取りの軽妙なさばきに
特徴があり、「切り上げの獅子」として番楽の最後に舞われます。


私自身も、「番楽]というものを観たのは初めてのことなのだが、こうした会場では写真撮影はできないので、どうしても中途半端な説明にならざるを得ない。
youtubeに動画があったので、それを見て雰囲気を感じて頂ければ幸いである。
いってみれば、お神楽の範疇に入るもののような印象であったが、毎度、地方の伝統芸能を身近で見られることに感謝の念を禁じえないところである。


日本橋七福神の八社に参拝してきた。

2011-01-07 10:19:58 | 民俗・行事
毎年、お正月にご開帳となる七福神をお参りするようになってから、ことしで5回目になる訳なのだが、今回は家から近い場所ということで日本橋七福神の八社に参拝してきた。
日本橋七福神は地下鉄人形町駅の周辺にあり、すべてが神社であることと、弁天様と恵比寿様が二社に祀られており、神社は八社あるのである。

それではお参りした順を追って七福神を紹介しようと思うのだが、ご開帳されている七福神のお姿には全くといっていいほどお目にかかれなかった。
それに、日本橋という土地柄のせいなのか、境内のほとんど無い神社ばかりで、写真もいまいちといったあんばいになってしまった。

【巡拝記念の色紙】

これが巡拝記念の色紙である。
ちなみに、色紙の代金は朱印料共で二千円であった。



【小網神社・・・福禄寿と弁財天】

まずは福禄寿と弁財天の小網神社である。
福禄寿は金運長寿の神、弁財天は金運学芸の神であり、東京銭洗い弁天としても有名である。
11月に行われる「どぶろく祭り」は、奇祭として知られている。



【茶ノ木神社・・・布袋尊】

次は布袋尊の茶ノ木神社である。
その昔、神社の周囲には茶の木が巡らされていたので、この名がついたと伝えられている。
また、佐倉城主の屋敷があり、町方にも火事が無かったので火伏せの神ともいわれている。
布袋尊は福徳円満の神として信仰されている。



【水天宮・・・弁財天】

茶ノ木神社を出るとすぐ近くに安産の神として賑わう水天宮がある。
ここの弁天様は、有馬頼徳公が加賀百万石の前田公と能の芸を競うにあたって願をかけたところ、満願の日に
めでたく勝つことができたので、宝生弁財天ともいわれている。



【松島神社・・・大黒天】

水天宮を後に、大黒天を祀る松島神社へと向かう。
松島神社は大鳥神社ともいわれ、人形細工の職人、呉服商人、歌舞伎役者、葭町の芸妓傾城などの盛んであった。11月には酉の市が開かれている。
ここの神社は、なんと松島ビルというビルの一階に鎮座しているのだが、唯一、かろうじて大黒天の尊像を拝むことができた。



【末廣神社・・・毘沙門天】

松島神社から人形町駅の方に戻ると毘沙門天の末廣神社がある。
末廣神社は勝運を授け、災難をよける神様として400年以上前から信仰されており、この地にあった葭原(吉原)の守り神でもあった。



【笠間稲荷神社・・・寿老人】

末廣神社から清州通りに向かう道筋に寿老人の笠間稲荷神社がある。
日本三大稲荷の一つ笠間稲荷神社の東京別社であり、紋三郎稲荷と呼ばれ親しまれている。
寿老人は長寿、幸運の神様として運命を良い方向に切り開いてくださる福徳長寿の神様である。



【椙森(すぎもり)神社・・・恵比寿神】

笠間稲荷神社からは人形町駅前に戻り、さらに小伝馬町駅の方に向かうと恵比寿神の椙森(すぎもり)神社がある。
恵比寿神は商売の神、福徳の神として崇められている。
当社は創建一千年余を数え、江戸名所詰図絵にも掲載されており、境内には江戸時代の富興行を記念した富塚がある。



 【寳田恵比壽神社・・・恵比寿神】 

ここまでで七社を巡り、七福神に参拝したわけなのだが、もう一社、恵比寿神を祀る寳田恵比壽神社が残っているのである。
椙森(すぎもり)神社から5分ほどで到着したが、寳田恵比壽神社は宝田村の鎮守で、もとは皇居前にあったのだそうである。
1月20日に初恵比寿、10月19・20日に商売繁盛を祈る恵比寿講が開かれる。
恵比寿講の時には500軒もの露店が軒を並べる「べったら市」が立ち、おおいに賑わうことでも有名である。



 【おことわり】 

記事中の各社についての記述は、日本橋三越本店が奉納した「日本橋 七福神めぐり」のパンフレットの解説を引用したうえで、文脈を変えたものである。

徳丸北野神社の元旦初詣風景。

2011-01-02 15:45:56 | 民俗・行事
新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。



私の地元の氏神様である徳丸北野神社は、菅原道真公をご祭神とし、創建一千年を超える古社である。
年々、参拝客が増えているように思うが、学問の神様ということで受験生のお参りも少なくないのであろう。
ことしは晴天と相まって、お昼近くになっても、一の鳥居の外から二の鳥居を経て拝殿まで長蛇の列であった。
おそらくは、お参りできるまでに1時間くらいは待たされたのではないだろうか。

【拝殿までは長蛇の列】





近年、徳丸北野神社では、元旦に地元のお囃子団体である徳丸宮元囃子連中による寿獅子舞・巫女舞・大黒舞が奉納されているのだが、年明けとともに行われる初舞台はなかなか見に行けないので、午前11時からの舞台を見に行ってきた。

獅子舞と大黒舞は、いまでも三が日の間に地元の旧家を回って、悪魔払い、天下泰平・招福・家内安全の祈りを捧げているものである。
巫女舞はお神楽でお馴染みだと思うが、小学生の女の子が巫女に扮し、二人一組で振り鈴と扇子を手にして舞うものである。

【寿獅子舞・・・みかんを玩ぶ獅子】





【あでやかな巫女舞】









大黒舞は大黒様に扮した舞手が、打ち出の小槌を振りながら福を授けるという祝福の舞で、舞の終わり際には打ち出の小槌からお宝が飛び出す。
お宝は福銭のおひねりで、お菓子などと一緒に観客に向けてバラ撒かれるのだが、私も撮影を止めて福銭を頂戴してきた。
「こいつは春から縁起がいいわい」となるやもしれないと思っているところである。

【大黒舞・・・打ち出の小槌にはお宝が】




「第60回全国民俗芸能大会」観覧記

2010-11-23 09:10:59 | 民俗・行事
先日の土曜日(11/20)に、毎年恒例になっている全国民俗芸能大会を見に行ってきた。
この大会は、財団法人日本青年館と全国民俗芸能保存振興市町村連盟の主催、文化庁の後援でで開かれているものであり、ことしで60回目を迎える民俗芸能の祭典である。

会場は千駄ヶ谷の日本青年館で、60回目を迎えた今回は節目を記念する意味もあり、出演団体はすべて国指定の重要無形民俗文化財に登録されているものに限定されていた。
出演団体は以下の通りである。

「天津司舞(てんづ しまい)」・・・山梨県 甲府市小瀬町「天津司舞保存会」

「那智の田楽(なちのでんがく)」・・・和歌山県 那智勝浦町那智山 「那智田楽保存会」

「山屋の田植踊(やまやのたうえおどり)」・・・岩手県 紫波町山屋 「山屋田植踊保存会」

「武雄の荒踊(たけおのあらおどり)」・・・佐賀県 武雄市高瀬 「高瀬荒踊保存会」

「長滝の延年(ながたきのえんねん」・・・岐阜県 郡上市白鳥町長滝 「長滝の延年保存会」

この会場では録音録画のために写真撮影は全面禁止ということになっているのだが、毎年、撮影をしている者がいるし、時たまフラッシュの光さえ目に届く。まったくもって嘆かわしい限りである。
そんな訳で、この記事中の写真はグーグルの画像検索で探した物であることをお断りしておく。
また民俗芸能の解説文は、案内パンフレットからの転載である。

全国民俗芸能保存振興市町村連盟
http://www.zenminren.gr.jp/


「天津司舞(てんづ しまい)」

 今NHKの人形芝居新三銃士が人気ですが、わが国も古くから人形芝居が行われています。
7月19日に天津司神社に安置されている人形が鈴宮諏訪神社に渡御し、境内でオフネという舟形の幕で囲んだ中で九体の人形が太鼓と鼓、笛の囃子で田楽を踊ります。
人形の使い手は一人から三人で行い舞い終わるともとの天津司神社にもどり、人形はオクズシと言って解体され保管されます。めずらしい芸能です。



【寸評】
文楽などと同じ人形芝居なのだが、舞台はオフネという舟形の幕で、その中で人形を操作するため観客には人形しか見えない。
二人か三人で人形を操作するのだが、突然人形が幕の内部に隠れ、かなり離れた場所から再び姿を現すという動きには、ちょっと驚いた。

天津司舞/国指定文化財等データベース
http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=302&item_id=66

天津司の舞(てんづ しのまい)/甲府市観光ガイド
http://www.city.kofu.yamanashi.jp/kanko/event/0404.htm

天津司舞/客神の足跡
http://www.ne.jp/asahi/maroudo/somin/contentsmatsurisaijiki/tendushinomai.html


「那智の田楽(なちのでんがく)」

 熊野三山のひとつ熊野那智大社の夏の火祭り(扇祭り、扇会式)の一部として境内の仮設舞台で田楽が行われます。多数の曲目が伝えられ形式が整っていることから田楽の代表的なものとして評価が高く人気があります。応永10年に京の田楽法師を招いて習得させ、明治維新のときに中絶したものの大正10年に復活させたものといいます。"雅の世界"へ皆さんを誘います。



【寸評】
ここの田楽は、大きなビンザサラの使い手を中心に演目が進むところに特徴が見られた。
演目は全二十一曲あるのだが、素人の身にはどんな意味があるのかほとんどわからずじまいであった。

那智の田楽/Kansai Windw
http://www.kippo.or.jp/j/art/report_detail_4.html

那智の田楽/国指定文化財等データベース
http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=302&item_id=110

那智の田楽/フリー百科事典「ウィキペディア」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E6%99%BA%E3%81%AE%E7%94%B0%E6%A5%BD


「山屋の田植踊(やまやのたうえおどり)」

 東北地方に多い小正月に座敷でその年の五穀豊穣を願い踊るものです。三番叟をはじめ、田植えから稲刈り、収穫までの一連の過程を歌と踊りで豊かに表現します。他の地域では見られない早乙女の花笠を回す「笠ふり」も一見です。また、一八と呼ばれる道化が狂言回し役で出て来、これに嬶(かかあ)がからんで面白く囃したてます。可笑しさと楽しさのある芸能です。



【寸評】
きらびやかな衣装で田植えの過程を踊りで表現するものだが、私には「田植踊」という文字が衣装に染め込まれているのが、どうも気になってしかたがなかった。
早乙女もそうだが、神前で舞う翁の背にまで「山屋の田植踊」という文字が躍っていたのである。
国指定の重要無形民俗文化財というものが、このように変節していいものか、少なからず疑念を感じた。
踊り自体では、早乙女が頭に冠った花笠を激しく回転する「笠ふり」は、なかなか見事であった。

山屋の田植踊
http://www.bunka.pref.iwate.jp/dentou/kyodo/shousai/geinou_005.html

山屋の田植踊/国指定文化財等データベース
http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=302&item_id=10


「武雄の荒踊(たけおのあらおどり)」

 伝承として戦国時代に戦勝の宴で足軽たちが即興で踊ったのが起源だといわれています。現在ではお彼岸の9月22~23日に
大小二本の脇差をさした若者たちが、宿から隊列を組んで松尾神社まで道行きをして境内で奉納します。
高瀬の荒踊り、素朴ながら「腕鉾」の所作をはじめ、手の振りや足の上げ方など流麗さの中に力強差を見ることができます。
  


【寸評】
脇差をさした若者たちの素踊りといった感じであったが、輪の中心で踊る者は大小二本をさしており、外側で踊る者は一本というのが役割を表しているようであった。
衣装を別にすれば、現代のよさこいソーランにも似ているような力強い踊りであった。

武雄の荒踊/国指定文化財等データベース
http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=302&item_id=137

武雄の郷土芸能/川良讃歌
http://www.geocities.jp/kawaranmon/AI14.htm


「長滝の延年(ながたきのえんねん」

 古く鎌倉時代から長滝白山神社の修正会に行われていました。明治の神仏分離で僧たちによる伝承が困難となり、民間人に教えたものです。六日祭りと称して神社の拝殿で延年が行われます。
神事のあと、「酌取り」が始まります。拝殿の中央に菓子台がおかれ無言の菓子讃めが行われ式が終わると菓子は群衆に撒かれます。その後「当弁・露払い・乱拍子・田歌・花笠・代すり・倶舎・大衆舞」の九つの演目が厳かに舞われます。



【寸評】

延年というもがどういうものか知らないが、「しろすり」という演目では、大きな鍬で田を耕す仕草が面白かった。
しかし、最初は一人だった農夫が一通り踊ったあとで二人目が現れ、二人してまったく同じように踊るで、ちょっと飽きが頭をもたげてきたのも事実である。
すべての演目を舞うためには2時間あまりもかかるそうなので、一部を見ただけでは全体の様子をうかがい知ることはできない。

長滝の延年/国指定文化財等データベース
http://www.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp?register_id=302&item_id=73

長滝の延年/客神の足跡
http://www.ne.jp/asahi/maroudo/somin/contentsmatsurisaijiki/nagatakinoennen.html


ともあれ、このように全国各地の民俗芸能を身近に見られるというのは、たいへん貴重な機会である。
来年以降も案内が来ると思うが、時間の許す限り見に行きたいと思っているところである。

佐倉時代まつり-2010

2010-04-27 17:08:26 | 民俗・行事
25日の日曜日は好天に恵まれ、各地のイベントもさぞ賑やかだったことだろうと思う。
この日、北区では大赤羽祭(馬鹿まつり)、練馬区では照姫まつりも行われていたのだが、かねてから予定していた千葉県佐倉市の時代まつりを見に行ってきた。

京成佐倉駅からメーン会場の成田街道まで10分余り、旧堀田邸まで約30分ほど歩いた。
まだ少し時間が早かったので、旧堀田邸の緑地で昼飯を済ませてメーン会場に戻って、しばらく待機していた。

仲町の山車の巡行に続いて佐倉音頭の総踊りが延々と続いたあと、時代行列が進んできた。
初代から10代までの歴代藩主を先頭に、鎧兜に身を固めた甲冑隊に、官軍、新撰組、腰元衆、女務者、侍女衆などが続き、しんがりは七福神の乗った宝船であった。
まあ、いってみれば、どこの時代まつりも同じような形態であることには変わりがないものである。


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全体の様子は、下記のアルバムサイトへどうぞ。

(サムネイルをクリックして下さい。 戻る場合はブラウザの「戻る」で。)

佐倉時代まつり-2010佐倉時代まつり-2010 by (C)otorin

「第10回地域伝統芸能まつり」を観覧。

2010-03-01 16:55:10 | 民俗・行事
きのうはNHKホールで行われた「第10回地域伝統芸能まつり」という催し物を観覧してきた。
毎年抽選なので、昨年は落選して今回が初めての観覧だったが、年々参加希望者が増えているとのことである。

午後1時から入場券の引き換えが始まるというので、12時半前には到着したのだが、入口周辺はずらりと長蛇の行列で、ざっと200人くらいは並んでいたのではないかと思う。
幸いにして雨は上がったので濡れずに済んだが、雨が降っていたらどうだったかなどと思いながら列に加わり、40分ほど待って入場券を手にした。

入場券を受け取ったものの、開演までには1時間も間があるので、渋谷駅のほうに行って時間をつぶそうと思ったのだが、適当な店がなくて、ただ付近をうろうろしただけに終わってしまった。
少し早かったけれど、ホールに入って開演を待っていたのだが、30分ほどの待ち時間がやたら長く感じた。



公演はNHKが後日テレビで放送するため、NHKの水谷彰宏アナと生稲晃子さんの司会により、出演団体へのインタビューを交えて進められた。

演目は以下の通りだが、写真撮影は禁止されていたので、「地域伝統芸能まつり」のホームページから写真と説明を引用した。

地域伝統芸能まつり
http://www.jafra.or.jp/matsuri/index.php


銚子はね太鼓(千葉県 銚子市)


はね太鼓は、江戸時代に漁民が大漁を願い太鼓を叩いたことが起源とされる銚子市の無形民俗文化財です。徐々にパフォーマンス要素が加わり、“魅せる太鼓" として見る者を圧倒してきました。その特徴は、二人の打ち手が首とあばらで太鼓を支え担ぎ、打っては跳ね、跳ねては回り、太鼓もろとも宙を舞う勇壮な太鼓演奏です。極め付きは「ねかせ打ち」、相手を地に這わせ、太鼓を打ちまくる、黒潮躍る海の男の力と技の太鼓です。


武雄の荒踊(たけおのあらおどり)(佐賀県 武雄市)


佐賀県武雄市の「武雄の荒踊」は旧佐賀藩武雄領のみに伝わる芸能です。その起源は約470年前、武雄領主後藤氏が島原領主有馬氏との戦いに勝利したことを祝して、足軽たちが即興的に踊ったのが始まりとされています。3地区で継承される踊りの所作はそれぞれ違いが見られますが、今回は優美で手の振りに特徴のある「中野の荒踊」をご覧いただきます。


白石踊(しらいしおどり)(岡山県 笠岡市)


笠岡市白石島に古くから伝わる盆踊りで国の重要無形民俗文化財に指定されており、源平水島合戦で戦死した人々の霊を慰めるために始まったと伝えられています。一つの音頭と大太鼓で男踊・女踊・娘踊・奴踊など十数種類の異なる踊りが一つの輪になり混然一体となって雄壮活発・豪華絢爛に踊られる全国でも他に比を見ないものです。今でも島民の暮らしと密接に結びついており、白石島の文化を代表するものの一つとなっています。


大海の放下(おおみのほうか)(愛知県 新城市)


三方を山に囲まれた大海地区。「大海の放下」は、毎年8月の14、15両日に行われる盆の行事で、高さ3mもの大団扇を背負い、腹に太鼓をくくりつけ、古くから伝わる歌謡に合わせて舞い踊ります。平安末期、歌と念仏をもって放浪した放下僧のわざが、時代を経て大道の芸となり、この地に根を下ろしたものといわれています。夕刻から初盆の家々を訪ね、新仏の供養をして廻ります。哀調を帯びた節回し、鉦や笛の音が宵のまちに響きわたります。


この公演には地域伝統芸能のほかに古典芸能も演じられ、休憩時間後に以下の演目が登場した。

狂言「楽弥陀(らくあみ)」(大蔵流)

組踊「二童敵討(にどうてきうち)」


後半の地域伝統芸能は以下の演目であった。


萩野鹿子踊(はぎのししおどり)(山形県 新庄市)


新庄市北部の萩野地区に伝わる民俗芸能で、毎年9月23日に地区の宝積寺の祭礼と、8月26日の新庄まつり後に新庄城跡戸沢神社と護国神社に奉納されています。この地方では五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降ると豊作になるという言い伝えから、五穀豊穣を祈願する踊りと考えられています。7人の踊り手と "ささら"という楽器を用いた2人の「地方」で構成され、カモシカを模した鹿子踊りは全国唯一のものといわれています。


長崎くんち 龍踊(じゃおどり)(長崎県 長崎市)


龍踊は、長崎諏訪神社の大祭「長崎くんち」の奉納舞(国指定重要無形民俗文化財)の一つで、勇壮な伝統芸能として広く知られています。唐人屋敷と密接な関係にあった長崎本籠町の町民が唐人達の指導うけ、三百余年の間に踊り方が非常に巧みになり、日本独特の巧妙な演技を見せるに至りました。長さ20mの龍体が唐服を着た玉使いが操る玉を追って独特な唐楽拍子に合わせて、まるで生きているかのように踊る様は実に壮観です。


個々の演目についての感想もあるにはあるのだが、このように、全国的な郷土芸能の数々を身近に観られるのは、なんといっても捨てがたい魅力がある。
願わくば、次回も抽選に当たりたいとは思うものの、結果は「神のみぞ知る」といったところであろう。

なお、NHKテレビでの放送予定は次の通りなので、興味のある向きはご覧頂きたい。

3月13日(土) 13:30 ~17:00 NHK BS2
3月27日(土) 14:00 ~15:30 NHK 教育テレビ

新宿区落合地区の備射祭(びしゃまつり)

2010-01-16 10:06:47 | 民俗・行事
1月13日、都内でも珍しい民俗行事である備射祭を見るため、新宿区の哲学堂公園近くにある落合の地まで出かけた。
この備射祭は、西落合二丁目にある葛谷御霊神社(くずがやごりょうじんじゃ)と、中井二丁目の中井御霊神社(なかいごりょうじんじゃ)に古来から伝わっているもので、新宿区の無形文化財に指定されているものである。
午前中は葛谷御霊神社、午後からは中井御霊神社へ行って、備射祭の一部始終を見てきた。

備射祭というのは、馬に乗らず矢を射る歩射(ぶしゃ)がなまって備射となったそうだが、同じ落合の地区に二つの御霊神社があるのは珍しいのではなかろうか。
また、弓も矢も伝統的にすべて手作りというのも、昔からの行事らしい趣きがある。

葛谷御霊神社では、午前10時に太鼓が打ち鳴らされて行事が始まったが、神殿での儀式が1時間半ほども続けられ、その間、古いお飾りを燃やす火のそばで暖を取りながら待っていた。

普通、どんど焼きと呼ばれる物は野積みにして火をつけるものだが、ここの神社では四方に注連縄を張った中に、大小2つの鉄製のカマドが設えてあり、大きい方で古いお飾りを燃やし、その熾き火を小さいほうに移し、そこに網を被せ、氏子の人達が持参したお餅を載せて焼いていた。
どんど焼きの火でお餅を焼き、無病息災を願う風習はどこにでもあるが、こういうのは初めて見る光景であった。





神殿での儀式が終わったあと、鳥居に掲げられた的に向かって矢を射る引弓の儀が執り行われた。
裃で正装した年番の方が二人で交互に弓を引くわけだが、20mも先にある鳥居に掲げられた的には矢は1本も届かなかった。
矢が的に当ると、ことしの豊作が約束されるのだそうだが、なかなかうまくはいかないらしい。
引弓の儀が終わったのち、関係者一同が鳥居の前で記念撮影して、こちらの行事は終了した。





葛谷御霊神社から妙正寺川沿いに、次の目的地である中井御霊神社へと向かったが、土地不案内のため、途中でちょっと道を迷いかけてしまったが、どうにか中井の坂上にある御霊神社に到着した。

式典が始まるのが午後2時からということなので、西武新宿線の線路沿いにある落合公園で昼飯を済ませた。
開始時間まで間があるので、付近を少し散歩してから中井御霊神社へ戻り、こちらの備射祭も見学した。
境内は三方に幕が張られ、中央の入口には注連飾りと的が設えてあった。



こちらでは、午後二時を期して、木遣り衆を先頭に神官や氏子、頭家(年番)の人達が拝殿に進み、拝殿内での儀式が始まった。





拝殿で祝詞奏上の後、しばらくして弓射の儀に移り、拝殿の前から的に向かって矢が射られる。
まず、頭家二人が射たあと参列した総代全員が射るのだが、やはり、20mも先にある的には頭家の矢は当たらなかった。
しかし、総代の中には的に当てた人もいて、見物人から大きな拍手が沸いていた。
この間に、見物人には温かい甘酒が配られ、甘酒を片手にカメラを構えていたが、冷えた体が温まる感じがして美味しかった。







弓射の儀は神官が最後に矢を放って終了し、拝殿では謡いを唱和、手締めで備射祭がお開きとなる訳だが、そちらの内容は遠くから見ているだけなので皆目分からなかった。
同じ備射祭といっても、その進め方にはかなり違いが感じられた。


おびしゃ祭り(葛谷御霊神社)/東京のまつり・近藤英一郎

おびしゃ祭り(中井御霊神社)/東京のまつり・近藤英一郎

深川七福神に新年のお参りをしてきた。

2010-01-10 11:28:51 | 民俗・行事

昨日、年来の予定である深川七福神めぐりに行ってきた。
土曜日ということもあり、格好の晴天と相まって、同好の士がたくさん見られた。

スタートは、地下鉄大江戸線の門前仲町駅を出て、富岡八幡宮へ、ここには恵比寿様が祀られている。
拝殿のほうは、松が明けてもお参りの順番を待つ人達が長蛇の列列を作っていた。
恵比寿様は境内左手の末社のほうにお祀りされていた。

 

 続いて、冬木弁天堂に祀られている弁天様にお参りした。

葛西橋通りを西にすすみ、清澄通り沿いにある心行寺へ歩を進める。
ここには福禄寿が祀られているのだが、お社の前には石造の福禄寿がにこやかに立っていた。

 

仙台堀川を渡り、都立清澄庭園の前で右折し、東に進むと円珠院がある。
ここでは大黒天にお参りした。

 さらに歩を進めて、龍光院の毘沙門天にもお参りする。

 ここから、深川江戸資料館前の通りを西に進み、清洲橋通りを渡った奥に深川稲荷神社がある。
拝殿右手のお社に布袋尊が祀られているが、ここでは、隣に町内会館がありお茶の接待が行われていた。
せっかくなので一杯頂いたが、渇いた喉のせいか、ことのほかお茶が美味しく感じられた。
こういうのは、非常に有り難いことである。 

残すは、寿老神だけとなり、小名木川に架かる萬年橋を渡り、森下駅に近い深川神明宮へと向かった。
神明宮の拝殿は大きくて立派だったが、ここでも寿老神は右手のお社に祀られており、お参りをする人の背後からでは寿老神を写真に撮ることは叶わなかった。 

ざっと、このような経路を2時間ほどで回りきった訳だが、さほどの距離を歩いていない割には腿の辺りが少しおかしかった。
やはり運動不足は否めなかったようである。

こちらが御朱印を頂いてきた色紙である。

 

なお、ご開帳は15日までなので、行ってみたいと思う方はお急ぎ頂きたい。

 「深川七福神」公式ホームページ
 http://www.fukagawa7.net/

 


お祭り事始め・・・王子・狐の行列

2010-01-05 11:16:59 | 民俗・行事
皆様、新年おめでとうございます。
ことしも、よろしくお願い致します。


さて、新年最初の記事は、「お祭り事始め」と題して、王子・狐の行列をご紹介したい。

昨年に引き続き、年末年始は王子の街に狐の行列を見に行ってきた。
寒波の襲来という天気予報が出ていたので、それなりに支度はしていったのだが、やはり少々寒かった。

出発点の装束稲荷前にはたくさんの人が詰めかけ、式典を待っていた。
お参りを済ませて程なく式典が始まり、主催者・来賓の挨拶、鏡開き、鬼剣舞と型どおりに進んだ。
今回も、鏡開きのお神酒を頂くことができ、幸先のよい新年を迎えることができた。





例によって、行列の出発まで地元町会の模擬店のある「きつね村」で、熱燗を買い求めて時間を潰していたが、今回はなぜか出発時間が予定の午前零時からかなり遅れたため、沿道で長々と待たされてしまった。

じりじりしながら待つこと1時間近く、午前零時半すぎになってようやく行列が動き出した。
例によって、狐のメイクをし、狐のお面を頭に、手には提灯を持った善男善女が続々と続いていた。









写真を撮りながら行列を追いかけ、北トピア前から京浜東北線のガードを潜り、森下通り商店街の入口にある権現坂での引き継ぎ式を見て、そのまま王子稲荷神社の参道を行く行列についていった。
狭い参道は行列と見物人でごった返しており、王子稲荷神社への初詣は、ことしも諦めざるを得なかった。





参拝を諦めて神楽殿に回ってみた。
神楽殿では王子狐ばやし連によるお神楽のにんば舞と寿獅子舞が披露され、最後に観客共々手締めで新年の幕開きを祝った。
それを合図に参詣客も帰り始めたので、一緒にやや暗い道をたどって王子駅に向かった。