おしる子日記

流山市限定の地域タウン情報です!!是非見て下さいネ。特ダネ満載とはいきませんが・・・?

千葉日報1月18日(水)に「流山の歴史を知る街歩き1」が紹介されました

2023-01-18 | Weblog

地理的歴史的魅力を持った地域として、流山が紹介されました。



流山を知れば知るほど、歴史的な街と紹介する千葉日報記事

以下、誌面より

千葉地理学会連載


おもしろ半島ちばの地理再発見  流山の歴史を知る街歩き1

千葉県の発祥を伝える

 

 流山市は千葉県で唯一、他県と接して埼玉県だけと接している位置にあります。県南の人にはややなじみの薄い地域と言えるかもしれませんが、地理的歴史的魅力を多く持っています。そんな流山の街歩きは紹介すべきことが多いので2回に分けて案内していきます。

 
 都会のローカル線として有名な琉鉄流山線では最近オムライス電車が話題を集めています。これまで色別の列車編成だったのですが、修理や更新の関係で黄色と赤色各1両をつないで運用したところ、まるでオムライスのようだと人気を得ているのです。オムライス電車のヘッドマークを付け、今日も走り続けています。

 流山駅を降りると各種パンフレットも用意されており、駅前の観光案内板とともに街歩きの良き資料となります。流鉄開業100年の掲示板もあり、鉄道の歴史を知ることもできます。

 駅を出たら流山街道を右折して市の博物館に向かいましょう。市役所先の高台が博物館で、市の歴史を学ぶことができまs。特に流山が県庁所在地であったことや、みりん生産、利根運河に関わる展示が充実しています。


 ここ流山には江戸時代駿河田中藩(現在は藤枝市)の下総領約宇1万石を治める鵜陣屋が置かれていました。田中藩は幕末に徳川宗家が静岡に入った際に安房国長尾に移された房総ともゆかりの深い藩です。その流山陣屋に東葛県、そして印旛県の県庁が置かれました。

 葛飾県は廃藩置県直後に下総国内旧幕府領地を所轄したもので、その後、佐倉、関宿など旧藩の領地も合わせて印旛県となったものです。博物館脇に葛飾県印旛県庁跡の碑があります。

 博物館を出たら旧流山街道に向かいましょう。街道沿いに歴史を感じる建物がいくつも残っています。国の登録文化財に指定されているものとして、まず鬼瓦が立派な呉服新川屋店舗があります。少し先を左手に折れると今は寝具店を営んでいる笹屋の土蔵があります。さらに進むと今も文化時財の店舗で営業している和菓子清水屋の母屋兼店舗と、現在は万華鏡ギャラリーとなっている旧寺田屋茶舗が向かい合わせの位置にあります。これらの街並みを地元では流山本町江戸回廊としてPRしています。

 この街道には古い社寺も多く、江戸初期の創建と言われるこの地域の鎮守である浅間神社には立派な富士塚があります。

 近くには鎌倉時代創建の日蓮宗常興寺があり、千葉大学教育学部発祥の地を伝える石碑があります。1872年に学制が定められると印旛県ではいち早く学校教育を始めることとし、地域の子どもたちを集めた流山学校と教員養成を行う印旛管員共立学舎をここ常興寺に置いたのです。流山学校は千葉県で最古の小学校と言えるかもしれません。

 共立学舎は千葉県の発足時に千葉町に移り千葉師範学校となります。今年はこの時から数えて千葉大学教養学部も流山小学校も創立150周年を迎え、それぞれに記念行事が行われました。

                 (つづく)

(敬愛大生涯学習センター講師   鎌田正男)

 

森の図書館「郷土かわらばん」4号に「近代千葉教育の発祥の地流山」として紹介されています。

http://www.subaru-shoten.co.jp/tosho/mori/issue/pdf/kyodo/vol004kyodo.pdf

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