学校時代の恩師はなぜか小・中・高・大とも最初に知り合った
1年の担任といちばんつながりが深くありました。
丸森小学校の一年生の時は担任が佐久間由紀先生。
怖い先生で、何かあると、柱と頭がごっつんこ。
でも卒業のころには退職されて舘矢間の家に暮らされていました。
私は、小学校、中学校と朝に舘矢間の市場に
自転車で家の野菜を出荷していたので、
ときどき野菜を先生の家に届けていました。
あんなに怖かったのに、不思議ですが、訪ねていました。
丸舘中学校一年の担任は月の輪道子先生でした。
大学を卒業されたばかりで、パワフルな英語の先生でした。
角田にあるお寺の娘さんで、生徒と一緒に、泣いたり笑ったり
青春ドラマに出てくるような先生でした。
後に、仙台三女の英語の先生と結婚されて、長町で英語塾をしました。
角田高校の一年の担任は、小松武先生で生物の先生でした。
あさのホームルームは毎日10っ個の単語が黒板に書いてあり、
覚えなさいと。一年間、続けてくださいました。
覚えていれば、私ももっとすごく優秀な人間になってたのでしょうが、残念。
大学では、面接があって、面接官の先生が私の研究室の先生になりました。
面接で、私は、「入学できたら農業をしようと思っています。」と話しました。
当時受験生は、高校から、失敗したときのために、
公務員の受験をさせられたのが普通でしたので、県職員の試験を受けていたので
だめだったら、県職員になろうと決めていました。
前の大学受験に失敗してましたので、それしかないと。
大学は、山田日本平にありましたが、大学が長町から移転して1年目でしたので
講義や研究棟は整備されていましたが、体育館などは旧学舎にあったり、
大学まで、電車からバスの乗り継ぎは長町が一番便利でした。
長町は大学生活で、私が安心して暮らせたり充実した活動をするのに運が良かった。
仙台三女高は長町の大年寺山のしたにあります。
くしくも、中学校の月の輪先生の旦那さんと高校の小松武先生が三女高で先生をしていました。
月の輪先生とは年賀状のやり取りをする間柄でしたので何度も訪問してました。
そして、三女高出身の後輩が言うことには
小松先生は、三女高で生物クラブの顧問をしていましたが、
夏には毎年丸森町の不動尊キャンプ場にクラブの生徒を連れてきていてくれたのです。
キャンプをしながら、生物調査をしたのでしょうか。
さっそく、宮城町にある自宅をみんなで訪ねたりしましたが、
目立たなかった私ごときでも覚えていてくださり、、感激しました。
大学を卒業した時も「新しい生活が始まりますね。」と
励ましの手紙をいただきました。