丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

「はらから」から、誕生ケーキが届けられました。

2015-01-21 14:21:04 | 日記

今日は21日私の誕生日です。

はらからの生クリームケーキです。ろくじゅううんさい

 

そのつ森にアクセスくださったみなさま、はじめまして。毎度の応援とご支援、ほんとうにありがとうございます。

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そのつ森の番頭です。ぜひ「ばんとーさん……」と色っぽく呼ばれたいです。どうぞよろしくお願いします。

はじめての投稿です。まずは自己紹介……は、おもしろくないので、今朝のひっぽの様子を紹介します。

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ひっぽをぐるりの阿武隈高地の山々は標高400から500メートル程度。いま紅葉がはじまったところです。見晴らしの良い岩に登って写真を撮ってきました。

最初はひっぽが世界に誇る「ひっぽの元気な味噌」の工房がある集落を撮りました。中央の赤い屋根がそうです。この写真の中に30人程度が暮らしています。番頭もこの集落に棲んでいます。何をするにも協力しあう、古き良き山人の集落です。

次の写真は着々と内装工事がすすむ、旧ひっぽ中学校付近です。ここがセントラルです。人口は約60人程度でしょうか。さすが中心地。過密地域です。向こうの山並みは伊達藩が薩長軍と戦った藩境です。いまの宮城・福島県境ですね。そういえば、ひっぽの長老が「あの戦争のときは……」と語りはじめることがあります。あんがいそれは戊辰戦争のことだったりするので油断なりません。ひっぽにも戊辰戦争の遺構があります。【ひっぽ遺産】に興味のある方は番頭が案内します。

次は稜線の紅葉です。だんだん紅色が多くなっていました。ここは登山道がありません。コナラとヤマザクラの気分の良い森を漕ぎながらたどり着きました。そのつ森では、ここに登山道をつくる事業を……あいや、それは番頭個人の趣味でした。酔狂な御仁がたくさんひっぽに来てくれたら道造り、やります。

さいごの写真は番頭家の裏山です。ここはスギを伐採したあとほったらかしになっていた場所です。せっせと植林をして5年。ずいぶん木樹が育ってきました。この写真の中に番頭家の茶トラがうつっています。レッツ・ネコさがし。見つけましたか?

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今日はこのへんで。うちの代表理事(みそ屋)と正反対の不真面目な番頭です。すみません。これから先、お手伝い(ボランティア)募集やアイデア募集の記事をUPする予定です。それではみなさん、今後ともそのつ森をよろしくご贔屓に。お願いします。

楽しいことはシェアします! by 番頭

 

そのつ森通信  No.1 (発行者:NPO法人そのつ森 2014年7月)

 

みなさまお元気ですか?今年の梅雨は全国あちこちで、大雨や雹(ヒョウ)による被害が出ています。ひっぽは、今のところ大きな災害は出ていませんが、ヒョウではなく、イノシシは出ています。原発事故後、獲って食べる人が少なくなり、爆発的に増え、今までより大胆に出没するようになりました。そのうち人間の方が電気柵で囲われて、イノシシに管理されているような状況になるかもしれません。

 

「そのつ森の原点」

朝日新聞の連載「プロメテウスの罠」では、6月10日から7月3 日まで原発事故から今までの丸森町で起きたことの記事でした。登場人物に次々と知り合いの名前が並び、原発事後直後の悪夢のような日々を思い出しました。旧ひっぽ中学校に避難していた南相馬の人たちとの交流は、そんな前の見えない状態だった私たちにも、何かできることがあるのでは?と目を覚まさせてくれる良い機会でした。津波で家や家族や友人を失った人。自宅が原発20キロ圏内で、帰る場所を失った人。彼らの話を聞いたり、避難所に手づくりの薪風呂を作ったり、コーヒーをふるまったり、マッサージをしたり、味噌や野菜を提供したり、子どもたちに本を提供できないか交渉したりと、私たちに出来ることをいろいろとやってみました。そうしていることで、逆に私たちが元気付けられていたのかもしれません。

そのつ森を始めることができた原点は、この避難所にあったことを私たちは忘れないでしょう。

 

原発事故後、ひっぽの広大な山や田畑を眺めながら言葉を失っていた私は、近所のばあちゃんの一言に動かされました。ばあちゃんは、腰を折り曲げて、今までと変わりなく農作業を続けていました。

「放射能?そんなの関係ないんだよ。こうして耕して、種を蒔いて、また作物ができるの。育っていくのを見るのが楽しいの。これがオラの生きがいなのよ。んだから放射能なんてーかまわねぇんだ。」

この時のばあちゃんの言葉は、とても美しく心に響きました。ひっぽのばあちゃんたちと、ずーっと一緒にいられたらなぁ、と思いました。そして私も、種を蒔いて、心を込めて育てていくことに生きがいを感じたいと思いました。これが私個人の「そのつ森」の原点です。

 

「さおり織り」

昨年11月、さをり震災支援「おもいのかたち拠点作り助成」というところから、さをり織り機、新品1台と中古3台、さをり糸を寄付していただきました。今、福島の「アートさをり」という福祉作業所を通して10人ほどが勉強中です。

さをりの創始者は、大阪に住む今100歳を超えて健在の、城みさをさんという女性です。織り機を簡素化させることによって完成しました。「差異を織る、感性を織り込む」という自己表現のアートです。あえて、機械織りのような規則的な模様は作りません。さをり織りは、生き方や人権、社会のあり方に対するアピールでもあり、現在は主に福祉作業所などで全国に普及しています。そのつ森では、生産活動のみならず、ひっぽに住む高齢者たちの生きがい作りに役に立てる予定です。またデイサービスが開始したら、リハビリとして活用することもできると思います。作品ができたら、またお知らせしますね!

「全国版新聞・映画上映会・渡辺一枝トークの会」

 

4月に河北新報と東京新聞にて「地域再生廃校校舎から 福祉・交流拠点へ再活用」というタイトルで、そのつ森の活動が記事になりました。先にご紹介した、朝日新聞「プロメテウスの罠」にも、7月2日の第23回で登場しました。いよいよ校舎の方も、来年4月のデイサービス開始に向けて、お風呂とトイレなどの改装工事が始まりました。

5月4日、旧ひっぽ中学校にて「ひっぽに映画とダンス&チェロがやってくる」というイベントを開催し、ドキュメンタリー映画「オロ」の上映会、山田せつ子さんのダンスと坂本弘道さんのチェロのセッション、そして子どもたちには、南椌椌さんによるお絵かきワークショップ(写真は、フォトジャーナリスト野田雅也さん提供)がありました。約140人がご来場され、そのつ森へ約8万円のカンパをいただくことが出来ました。参加された皆様、および、ご協力者の皆様どうもありがとうございました。

6月25日、そのつ森の代表、太田茂樹が、作家の渡辺一枝さんの「トークの会」11回目のゲストスピーカーとしてお呼ばれしました。一枝さんは震災直後から、南相馬市を中心に福島の支援活動を続けておられます。また、東京の人々に被災地の人たちの生の声を聞いてもらおうと、「渡辺一枝トークの会」というものを続けてきました。一枝さんは、そのつ森の計画段階から、ひっぽにも何度か訪ねてこられ、応援していただいています。25日は、約40人が、そのつ森の活動についてのトークに耳を傾けてくれました。

 

ひっぽオリジナルTシャツは いかがですか?

画家の南椌椌(みなみくうくう)さんが、ひっぽ応援Tシャツを作ってくれました!

一枚 2160円 です。サイズはいろいろあります。ご購入希望の方は、ご連絡ください。

左上 おひさまおはよ 

 

右上 ひのたまくうくう

左下 ぴいすくん

右下 うみちゃん

このTシャツの収益は、すべて

NPO法人 そのつ森 への寄付となります。

 

さて、そのつ森通信第一号、ようやく発行することが出来ました。今後も、年3~4回は、発行していきたいと思います。皆様からの投稿やご感想、大歓迎です。どんどんお寄せください。そして、みなさんと楽しみながら「そのつ森」を育てていきましょう!  

NPO法人そのつ森 広報担当 岩佐未弧 (電話&Fax 0224-76-2015)

 

「平成26年度丸森町地域活性化施設等整備事業補助金」

をいただき、旧ひっぽ中学校校長室はこのような
フロアーに仕上がりました。

さをり織りや、図書搬入は、
宮城県共同募金会「住民力・地域力・福祉を高める支援事業」
の助成を受け、消耗品や食費などに使わせていただいています。by Miko Iwasa