丸森町から! 一條己(おさむ)のほっとする丸森

15頭の乳牛と田に30羽の合鴨。畑に特産ヤーコンを作っています。訪れるだけで「ほっとする町」丸森町の様子をつづります。

平成26年度予算議会。3月議会

2014-03-22 21:28:20 | 日記

 私の一般質問への回答は

バイオマス産業都市について

 

町長答弁「十分な検討が必要」

質問 自然エネルギーに関心のある町民から、北海道の下川町を照会された。

問①国の言う、バイオマス産業都市とは、経済性が確保された一貫システムを構築し、地域の特色を生かしたバイオマスを軸とした環境に優しく災害に強いまち・むらづくりを目指す地域だ。

今後5年間に約100地区の構築を目指し、関係府省が共同で地域を選定・支援するとしているが、町長はどう思うか。

答①平成23年度にじっしされたバイオマス関連事業218事業の4分の1は目的の明確化が不十分だった。また、6割の事業では地域の課題解決につながらなかった。このようなことから、実際に事業を展開する際には、地域が抱える課題を検証し、十分な検討が必要である。

問②旧下川町では、バイオマス総合産業を軸とした環境に優しく災害に強いエネルギー完全自給型の地域づくりで、高齢者と若者による社会コミュニティの再構築事業を進めている。同じ森林の町として、伐期サイクルで生みだされる継続的経済効果を将来計画の中に盛り込んではどうか。

答②旧健全な山林を維持するには、植え・育て・伐採するサイクルが必要である。国産材を積極的に利用することで需要が高まる。高齢者生産活動センターや町営住宅などの公共建築物に可能な限り地域材を使い、利用拡大に努めてきた。

次は、大変嬉しいことですが、元筆甫中学校の利用方法が決まりました。

「そのつ森」というNPOにより、福祉や子供たちの研修のために利用して頂くようになりました。

元大内中学校の障害者施設、元丸森町東中学校の高齢者福祉施設に次ぐものです。

 あとは、元丸森町西中学校ですが、早急に水道敷設をして有効に利用してもらいたいです。

 

イノシシの駆除費用は26年度は2000頭だそうです。

 

今回の議会は驚くことが

行政ってこうなのかと思うことがありました。

一つは、農林課長や原発対策室長の説明では、「国では、町営牧場のプラウで反転する除染が失敗しても福島並みの表土はぎとりは福島以外は認めない。」

プラウによる反転では、空間線量は下がるが、校庭の子供たちと違って、牧草の根っこは土の中に伸びて水分を媒介に栄養を吸い上げてるのだろうから、表土に落ちた放射性物質を塊のまま土の中に隠してもなんの成果もでなかったのですが

国の今後の指導はカタカナで言われたのでわからなかったのですが、課長によると「牧草の根っこのマットを取り除く。その場合土がついても良い。」だそうで

ちょっと変だと言ったら、これを福島では「表土のはぎとり」という。ということでした

行政は一度言ったら、変えないんですね。

目で見える、機械的な除染作業でそうですから

福島原発がコントロールされているとか、損害賠償・検査・医療など見えない事はますます認めたり、変更したりしないですね。

二つ目は、町の説明では26年度は町道などの道路整備などに多くの予算を計上してるから、財政調整基金が少なくなる。繰越金を昨年より3500万円多くしたが和牛振興のための基金を26年度計上するので、それにあてるためである。

 選挙の年はそうなりますね。

 

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丸森病院の菅野武先生が東北大に帰ることになりました。

2014-03-22 10:45:44 | 日記

丸森病院の菅野武先生が東北大に帰ることになりました。先生のブログです。その中で

皆の悲しみと不安と希望を語ってくださいました。快く講演なども引き受けてくださり、ました。

http://flat.kahoku.co.jp/u/flockofbirds/9fe1OsvQDBR5uMGAwT8L/

よく、遠くの神様がありがたいといいますが、少し離れたところの先生は今よりずっと私達の中に留まるでしょう    下は、菅野先生のブログの一部です。

祈りと決意 震災1年に向けて

こんばんは。菅野武です。
寒い日が続いていますね。インフルエンザもまだまだ流行っています。
体調を崩されたりはしていませんか。

今日私は、出先で石巻赤十字病院(被災時石巻市立病院)の内山哲之先生の講演を聞く機会を得ました。石巻市立病院は港の近くにあり、津波によって1階部分が浸水、病院機能が壊滅した中で、私達志津川病院と同じく、患者を守り、皆で支えあったというお話を聞きました。
そして内山先生はその後も石巻で医療をされ、被災地の医療の立て直しに尽力されています。
今日の講演の中で、「今起こったことを今後は全て想定内としなくてはいけない」という言葉がとても響きました。私も含めて、被災した者が語り伝える意味はより良い明日を創ることで、震災の悲劇を少しでも繰り返さずに済むようにしたいという願いです。

サバイバーズ・ギルト(Survivor's guilt)「生き残った者の罪責感」という言葉があります。事件や災害などあまりに悲しい出来事の中で、生存者が亡くなった方に対して罪悪感を抱く、というものです。実は今回の震災でも多くの方が抱えている感情です。被災地、非被災地に関わらず、「救えなかった。もっと助けてあげたかった。」という気持ちを感じた方は少なくないと思います。
震災からもうすぐ1年。Survivor's guilt は行き過ぎれば自らを追い込んでしまう感情ですが、少し気持ちの方向を変えれば大きなエネルギーを秘めた感情なのではないかと思っています。私自身いまだ津波の光景を忘れられませんし、失った町や友への悲しみは色濃く残っています。死を悼み、別れを悲しむ感情は、それ自体が悪いものではありません。その気持ちの上に、初めて困難を乗り越える新しい力が生まれてきつつあるはずです。

3月11日を前に、皆さんにお願いがあります。
どうか、悲しみに目をそむけないでください。受け止めきれない思いもいまだありますが、でも向き合って手を合わせましょう。
祈りを経てそれから、これから10年20年かけて作る未来を考えましょう。明日への決意を自分の心に記しましょう。

私は、震災1年を過ぎた後はこのブログを書くべきか迷っています。
この心情の変化を書き留めておくことが必要なのか、復興の兆しを私が伝えてゆくべきなのか、などと少し葛藤しています。
必死に走り抜けた1年間でした。
Survivor's guilt は私の中にもあります。震災直後ヒーローのように報道された時に私の中に渦巻いた感情はまさにguilt 罪の意識でした。「あんなに助けられなくて、悔しくて必死に生きただけ。悔しいからその後も生き残った人のために避難所で医療をしただけなんだ」と評価と反対の感情を持っていました。けれど多くの人の支えで、「着目されたことは、伝えてゆく使命を課せられたのだ」と思えるようになり、外に居てもできる支援として仙台に移ったのちも伝え続けました。
この3月11日を前後して、多くの報道・講演・話し合いなどの機会をいただております。でも、そこを突き動かしているのは夢や正義感などよりももっと奥底から押し寄せるguilt に近い感情からのエネルギーのように感じます。

長文でごめんなさい。それと、読まれた方はどうぞ気兼ねなくコメントをください。今後どんな方向で私達からのメッセージを伝えてゆくべきか、ご意見ください。

震災の1年ほど前に、長女と南三陸の町をお散歩した時の写真です。こんな穏やかな風景に戻りたいです。


菅野 武

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