志賀島に入って右から回るか
左から回るか迷ったけれど
1周に1時間もかからないので
地図の左下にある金印公園から行くことにしました
関西の朝の番組で「よーいどん」という高視聴率の番組があります。
この時間帯でテレビを観てる人の50%が{よーいどん」を観てるらしいんですよ
その番組の火曜日のコーナーで「いきなり日帰りツアー」という企画があります。
そこで紹介されたのが志賀島(しかのしま)だったのです。
たむらけんじがおばちゃんたちを連れて行ってくれるのですが
もちろん誘われることもないので自力で行くことにしたんです
志賀島の左側の海はとっても穏やかでしたが
右側の玄界灘は荒れ狂ってました この差はなんなんだ
漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)
江戸時代、百姓が偶然見つけたそうです。
この金印の本物は福岡の博物館に収められていますが
純金(95.1%)だそうです。
中国の漢の時代(2000年前)の物なのでいろいろな説があるようですが
すごい技術を持っていたのですね
続いてやってきたのが
「蒙古塚」
蒙古軍供養塔です。
これもまた中学校の歴史で習いました。元寇
「いになよ」 「いにはい」で先生に習ったように覚えています。
(なんで何十年も前のことは覚えているのに昨日今日のことは忘れるんだろう)
1274年文永の役 1281年弘安の役
2度もモンゴル軍が襲来してきたんですよね。
今日のような玄界灘の荒波が日本を救ったのですね
先に今夜の宿にチェックインしてからもう少し回ることにしました。
何十年も前のことって
不思議なくらいに覚えていますよねぇ。
最近は人の名前も覚えられないのに。
西には知らないところが、たくさんあります(^^ゞ
大きな影響力を持つ国として認められた証
貴重な文化財がここで見つかったのですね。
蒙古軍も高麗に言われて軍を
仕方なく日本に向かわせただけなのに
大きな損害が出てしまい大変だった事でしょう。
数字は強いんですがねぇ。
西日本が多いように思いますね。
クビライ(フビライ)・ハーンでしたね。
弘安の役の時は
人数だけは多いのですが
寄せ集めの大群で
指示系統も乱れていたようですね。
フビライ・ハーンでしたね。
ご指摘ありがとうございます。