マチュピチュと言えば南米ペルー インカ帝国が思い浮かびますが
その東洋のマチュピチュと言われるところが
愛媛県新居浜市の標高750メートルの山麓にあるのです。
別子銅山です。
今回で2度目の訪問となります。(前回来たときはお盆だったので大渋滞でこの駐車場も満車でした)
長崎の軍艦島のようですが
こんな山奥に一つの都市があったのです。
学校も病院も娯楽施設もデパートもあったそうです。
そりゃ250年の歳月が流れれば
こういった施設ができても当たり前なんですが
ここに来ると歴史を感じ当時の生活が想像できて面白いんです。
松山市が1万5千人の人口の時、東平(とうなる)では1万にいたらしいのですから
想像が膨らむわけです。
別子銅山の採掘が始まったのは1690年ですから元禄です。
そんな昔から山を掘り続け750メートルのこの地から
海底1000メートルまで掘り続けたのですから驚く労力です。
この階段、元はインクラインと言って
傾斜面にトロッコを走らせるケーブルカーのようなところだったんですね。
220段の階段はいい運動になりました
3000万トンの総出鉱量
65万トンの銅
今の住友グループの礎となったんでしょうね。
昭和43年に休止となり山を採掘した跡は
住友グループが植林することで山を自然に戻したそうです。
「レオ! ここは資料館ですよ!君は入れませんよ
だって今日は休館日ですって」
車1台がやっと通れるような山道をクネクネ曲がりながら辿り着く東平に
こんな町が有り人々が生活してた事を偲びながら
東洋のマチュピチュをあとにしました。
存在してたとは
初めて知りました。
美しい処ですね。
(栄枯盛衰)。。。
でも、うらぶれた感がないのは、
企業の力なんですね。
別子銅山
教科書では習ったけど、
多くの人たちの営みがあったのですね。
おかげで、いろんなところを見せていただき感謝です。
なかなか行く機会がないですよね。
それにしてもすごい山奥にありました。
もっとたくさん写真撮ったのですが
うまく表現できなくて
ボツにしてしまいました。
おっしゃるとおり山を元に戻すあたりが
日本のトップ企業の誇れるところですね。
住友財閥はあり得ませんね。
かつての鉱山街には
なんともいえない風情がありますね。
よく鉱山を見つけましたね。
住友グループの面々は研修でここを訪れるんでしょうね。
訪ねる機会がありました。
筑豊炭田華やかな時代の繁栄と
エネルギー革命後の都市の衰退。
そのコントラストがすごいですね。
残酷ですが現実ですね。
でもその地へ行くと一瞬でも繁栄時の
ロマンの感じられるのがいいもんです。