今日も地球は周ってる

管理人の趣味や日々のことを徒然に。宇宙戦艦ヤマト好きーが現在進行形。時々、六神合体ゴッドマーズ。ALの右オタも兼務

15の夜

2012-10-10 22:25:32 | 音楽
尾崎豊の横浜アリーナでのライブが映画化されることになったらしい。

http://news.mynavi.jp/news/2012/10/10/090/

私は観には行かない。
私にとっての尾崎は、私が15歳の時に共感した尾崎しかいないから。
その後もアルバムは買ったりしていた。
彼が最後に出したアルバムのジャケットは今でも覚えている。
まるで尾崎が十字架に架けられているように思えた。

それから暫くして尾崎は死んだ。

英国旅行中、友人に偶々電話をかけたら「尾崎が死んだよ!」って言われた。
さすがに英国ではニュースにならないし、旅行中はすっかり忘れていた。
帰国して、ホテルのテレビやロビーの新聞で尾崎に死を取り上げているのを見て、私はそこで初めて泣いた。

父には「ただのヤク中じゃないか」と吐き捨てるように言われた。
だけど、私はジャンキーじゃ無い頃の尾崎を知っている。
繊細で傷つきやすくて、だけど、何かを自分から絞り出さないと生きていけない人だったと思う。

ブレイクした後の「尾崎豊」の大き過ぎる虚像に、尾崎は苦しんでいたんだと思う。
彼のあの時の精神状況を知る人など誰もいない。
彼のあの時の苦しみを本当に理解できた人などいない。
きっと彼はずっと孤独だったのだと思う。

最近の10代は「15の夜」に共感できないらしい。
管理教育という名目で抑圧された学校時代を知らないからだろう。
表面は管理に従っていても、心の中では皆それぞれの叫びがあったと思う。
だから、あの時代に「15の夜」は生まれ、そして深夜のラジオ番組を通して少しづつ広まって行ったのだと思う。
今10代の子供達は恵まれているのだろうか。
学校で抑圧されることはないが、塾だ受験だ大学だ。と、せき立てられていて、自分達の事を振り返る余裕も無いのかもしれないと思ったりもする。
そうであれば、私達が「15の夜」をこっそり聴いていた頃よりも可哀想なのではなかろうか。

尾崎、今はもう缶コーヒーは100円玉だけじゃ買えない時代になちゃったよ。

「15の夜」

落書きの教科書と外ばかり見てる俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やり場の無い気持ちの扉破りたい
校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない
しゃがんでかたまり 背をむけながら
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして今夜仲間達は家出の計画を立てる
とにかく もう 学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている
15の夜
盗んだバイクで走りだす 行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜

冷たい風 冷えた躰 人恋しくて
夢見てるあの娘の家の横を サヨナラつぶやき走りぬける
闇の中 ポツンと光る 自動販売機
100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ
恋の結末も解らないけど
あの娘と俺は将来さえ ずっと夢に見てる
大人達は心捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
退屈が授業が俺達の全てならば
なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な
15の夜
盗んだバイクで走りだす 行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
覚えたての煙草をふかし 星空をみつめながら
自由を求め続けた 15の夜

盗んだバイクで走りだす 行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜

詞:尾崎豊