尾崎豊の横浜アリーナでのライブが映画化されることになったらしい。
http://news.mynavi.jp/news/2012/10/10/090/
私は観には行かない。
私にとっての尾崎は、私が15歳の時に共感した尾崎しかいないから。
その後もアルバムは買ったりしていた。
彼が最後に出したアルバムのジャケットは今でも覚えている。
まるで尾崎が十字架に架けられているように思えた。
それから暫くして尾崎は死んだ。
英国旅行中、友人に偶々電話をかけたら「尾崎が死んだよ!」って言われた。
さすがに英国ではニュースにならないし、旅行中はすっかり忘れていた。
帰国して、ホテルのテレビやロビーの新聞で尾崎に死を取り上げているのを見て、私はそこで初めて泣いた。
父には「ただのヤク中じゃないか」と吐き捨てるように言われた。
だけど、私はジャンキーじゃ無い頃の尾崎を知っている。
繊細で傷つきやすくて、だけど、何かを自分から絞り出さないと生きていけない人だったと思う。
ブレイクした後の「尾崎豊」の大き過ぎる虚像に、尾崎は苦しんでいたんだと思う。
彼のあの時の精神状況を知る人など誰もいない。
彼のあの時の苦しみを本当に理解できた人などいない。
きっと彼はずっと孤独だったのだと思う。
最近の10代は「15の夜」に共感できないらしい。
管理教育という名目で抑圧された学校時代を知らないからだろう。
表面は管理に従っていても、心の中では皆それぞれの叫びがあったと思う。
だから、あの時代に「15の夜」は生まれ、そして深夜のラジオ番組を通して少しづつ広まって行ったのだと思う。
今10代の子供達は恵まれているのだろうか。
学校で抑圧されることはないが、塾だ受験だ大学だ。と、せき立てられていて、自分達の事を振り返る余裕も無いのかもしれないと思ったりもする。
そうであれば、私達が「15の夜」をこっそり聴いていた頃よりも可哀想なのではなかろうか。
尾崎、今はもう缶コーヒーは100円玉だけじゃ買えない時代になちゃったよ。
「15の夜」
落書きの教科書と外ばかり見てる俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やり場の無い気持ちの扉破りたい
校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない
しゃがんでかたまり 背をむけながら
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして今夜仲間達は家出の計画を立てる
とにかく もう 学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている
15の夜
盗んだバイクで走りだす 行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
冷たい風 冷えた躰 人恋しくて
夢見てるあの娘の家の横を サヨナラつぶやき走りぬける
闇の中 ポツンと光る 自動販売機
100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ
恋の結末も解らないけど
あの娘と俺は将来さえ ずっと夢に見てる
大人達は心捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
退屈が授業が俺達の全てならば
なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な
15の夜
盗んだバイクで走りだす 行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
覚えたての煙草をふかし 星空をみつめながら
自由を求め続けた 15の夜
盗んだバイクで走りだす 行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
詞:尾崎豊
http://news.mynavi.jp/news/2012/10/10/090/
私は観には行かない。
私にとっての尾崎は、私が15歳の時に共感した尾崎しかいないから。
その後もアルバムは買ったりしていた。
彼が最後に出したアルバムのジャケットは今でも覚えている。
まるで尾崎が十字架に架けられているように思えた。
それから暫くして尾崎は死んだ。
英国旅行中、友人に偶々電話をかけたら「尾崎が死んだよ!」って言われた。
さすがに英国ではニュースにならないし、旅行中はすっかり忘れていた。
帰国して、ホテルのテレビやロビーの新聞で尾崎に死を取り上げているのを見て、私はそこで初めて泣いた。
父には「ただのヤク中じゃないか」と吐き捨てるように言われた。
だけど、私はジャンキーじゃ無い頃の尾崎を知っている。
繊細で傷つきやすくて、だけど、何かを自分から絞り出さないと生きていけない人だったと思う。
ブレイクした後の「尾崎豊」の大き過ぎる虚像に、尾崎は苦しんでいたんだと思う。
彼のあの時の精神状況を知る人など誰もいない。
彼のあの時の苦しみを本当に理解できた人などいない。
きっと彼はずっと孤独だったのだと思う。
最近の10代は「15の夜」に共感できないらしい。
管理教育という名目で抑圧された学校時代を知らないからだろう。
表面は管理に従っていても、心の中では皆それぞれの叫びがあったと思う。
だから、あの時代に「15の夜」は生まれ、そして深夜のラジオ番組を通して少しづつ広まって行ったのだと思う。
今10代の子供達は恵まれているのだろうか。
学校で抑圧されることはないが、塾だ受験だ大学だ。と、せき立てられていて、自分達の事を振り返る余裕も無いのかもしれないと思ったりもする。
そうであれば、私達が「15の夜」をこっそり聴いていた頃よりも可哀想なのではなかろうか。
尾崎、今はもう缶コーヒーは100円玉だけじゃ買えない時代になちゃったよ。
「15の夜」
落書きの教科書と外ばかり見てる俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やり場の無い気持ちの扉破りたい
校舎の裏 煙草をふかして見つかれば逃げ場もない
しゃがんでかたまり 背をむけながら
心のひとつも解りあえない大人達をにらむ
そして今夜仲間達は家出の計画を立てる
とにかく もう 学校や家には帰りたくない
自分の存在が何なのかさえ 解らず震えている
15の夜
盗んだバイクで走りだす 行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
冷たい風 冷えた躰 人恋しくて
夢見てるあの娘の家の横を サヨナラつぶやき走りぬける
闇の中 ポツンと光る 自動販売機
100円玉で買えるぬくもり 熱い缶コーヒー握りしめ
恋の結末も解らないけど
あの娘と俺は将来さえ ずっと夢に見てる
大人達は心捨てろ捨てろと言うが 俺はいやなのさ
退屈が授業が俺達の全てならば
なんてちっぽけで なんて意味のない なんて無力な
15の夜
盗んだバイクで走りだす 行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
覚えたての煙草をふかし 星空をみつめながら
自由を求め続けた 15の夜
盗んだバイクで走りだす 行く先も解らぬまま
暗い夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと 逃げ込んだこの夜に
自由になれた気がした 15の夜
詞:尾崎豊
当時好きだった作品の同人誌の一文に彼の曲の歌詞が使われていており、レンタルレコード店(わっ、時代がばれる!)に行って借り、初めて聞いた時胸が痛くなったことを覚えています。(たしか「I LOVE YOU」だったかな?)
高校卒業後、自分でレコードやCDを購入し、仙台で行われる同人即売会に電車で行くときは片道2時間、ずっと彼の曲を聞いていました。
そんな時、あの日はたしか土曜日の夜でした。
突然ニュースで彼が亡くなったと聞き、呆然としてしまった自分がいました。
その日の夜は彼の曲を聴きながら泣きました。
葬儀は地方に住んでいる自分は行けませんでしたが・・・
今自分は彼の年齢をすでに超え、彼の息子も彼の亡くなった年に近づいています。
レコード、CDは震災で失われてしまいましたが、それでも彼の曲を時々耳にすると、あの頃を今でも思い出します。
尾崎の曲って、10代、20代始めの頃に凄く心に沁みるんですよね。
私は15歳のときに15の夜を聴いて「自分達の気持ちを代弁してくれてるみたいだ!」って思いました。
そんなにハマらなかったので、アルバムを買う程度でしたが…。
尾崎の訃報は、当時、尾崎から離れていた私でも泣けました。
自分の感性が豊かな頃によく聴いた曲とかって、ずっと心に残るんですよね。
私も地方に住んでいたので葬儀には行けませんでした。
震災で失われてしまったんですね。心中お察し申し上げます。
でも、彼の歌や言葉は心の中であの時のまま残っていますよね。
あれから20年経ったとはとても思えません。
つい先日だったような、そんな錯覚にとらわれてしまいます。