今日も地球は周ってる

管理人の趣味や日々のことを徒然に。宇宙戦艦ヤマト好きーが現在進行形。時々、六神合体ゴッドマーズ。ALの右オタも兼務

そういえば、時代がというか環境が違いすぎるんだよな

2012-10-11 20:23:39 | 音楽
昨日の記事で尾崎豊のことを書いた。

尾崎は、憧れの対象ではなくて、同志みたいな気持でいたから、あの当時からずっと"尾崎"と呼び捨てにしてる。


「15の夜」のあの頃、スマホやケータイどころか、ポケベルすら無かった。
コンタクトを取るには
直接喋る
授業中にメモを回す
相手の自宅に電話をかける
ぐらいしか無かった。

今ならメールで済むようなことも、あの当時はハラハラしたりドキドキしたりしながら電話してたもんだ。

長電話でもしようものなら、親から「いつまで喋ってるの!」という声が入る。
それを合図に電話を切ったりしていた。
私の最長長電話時間は4時間だけども(爆)←相手は女子ですw

そういうバックボーンが無いと、「15の夜」は理解しづらいのかもしれない。


自分の感覚では、あまり時代とか変わってないよな。って思ってたのだけど、
細かい視点で見ると凄い勢いで変わっていたんだな。

某SNSで尾崎についての日記を全体公開したのだけど、「10代の代弁者」「教祖」とは思っていません、一人のミュージシャンとしてみています。 と、いうご意見を戴いた。
先方の年齢が判らないけれど、「10代の代弁者」「教祖」と言う言葉が出てくるあたり、尾崎がブレイクした後、若しくは死んだ後から尾崎を知った人だと思う。
私が尾崎を聴いていた頃は、尾崎に対してそんな表現を使うメディアは無かったから。

尾崎にレッテルを張ったのは他でもない、若い頃の尾崎が叫びを上げていた"大人"だ。
そんな自分を彼はどう思っていたのだろう。
それは未だに判らない。

昨日、尾崎がアルバムを出して間もなく死んだ。と、書いたけれど、少し違っていました。
レコーディングを終え、発売直前に彼は逝ってしまったのだ。
そして私は当時15歳じゃなかった(爆)17歳だった。記憶がごっちゃになってるな。
尾崎と私って1年しか歳が違わなかったんだ。もう少し年上だと思ってた。
だから自分は15歳だったと思いこんでいたんだろうな。

歴史にifは無いけれど。
もし、尾崎が生きていたら今、どんな曲を作ってくれていたのだろう。
ふと、そう思った。

100円のぬくもりは、私の命が終を迎える頃には幾らになっているんだろう。
あちらの岸で尾崎に逢ったら、「もう缶コーヒーは100円じゃないんだよ」って言ってあげようと思う(笑)
きっと尾崎は苦笑いするだろう。

ま、缶コーヒーが1000円ぐらいになるまで生き延びてみようか(爆)