今日も地球は周ってる

管理人の趣味や日々のことを徒然に。宇宙戦艦ヤマト好きーが現在進行形。時々、六神合体ゴッドマーズ。ALの右オタも兼務

ブランドとプライドと

2016-01-17 12:07:30 | 日記

2ケ月近くもブログ書いてなかった…

TwitterやFacebookで仲の良い人が出来つつあったと言うのも、ブログを書いてなかった一因だけども。

 

先日、地元唯一の百貨店に行ってきた。

クリニックに行った帰りにちょっと立ち寄ったら、催事場で「全国うまいもの市」みたいなのが開催されていたので行ってみた。

この百貨店は私が高校を卒業してすぐに就職した百貨店だ。

ここで教わった事は、ほとんど何も無い。

上司たちが低レベルだったから。

何も教えて貰う事もなく、学んだのは「自力でやるしかない」って事だった。

3年は辛抱しろと言われて、丸4年で辞めた。

高卒で入社3年の二十歳になるかならないかの人間にも、経営方針の不可思議さが気になったからだ。

辞めてから、一緒の店にいた仲が良かった人達に「早くに辞めて正解だったよ」と、口を揃えて言われた。

そして、間もなく私が最後にいた店舗は無くなった。

 

1年半ほどフリーターして、IT企業に就職した。

忙しい毎日を何年も続けて、気が付いたら私がいた百貨店は関西の大手スーパーに吸収合併されていた。

辛うじて本店だけは本来の屋号を残せたものの、他の店舗は全て大手の名前に替わった。

これを切っ掛けに退職した人も多いと、同期の友人から聞いた。

 

催事場に行ってみた。

「こんなに狭かったっけ」

西三河に住んでた時期が10年ほどあったから、百貨店の催事場と言うと、名古屋の百貨店が基準になっていて、地方の小規模百貨店の催事場が、本当に小さく思える。

なんだか寂しく悲しい気持ちになった。

5分もあれば一周出来るような小さな催事場。

そこで、私は舟和の芋ようかん5個入りを一つだけ買い求めた。

レジへ行ったら、私がこの百貨店に勤めていた頃に某売り場でトップだった男性店員さんがレジをしてくれた。

相手は私の事など覚えていないだろうから、黙っていたけれど…。

何だか接客が雑だな。って思った。

法被を着ていたから、応援で駆り出されたのだろうか。

あの頃のハツラツとした雰囲気は全く無かった。あれから20年以上経ってると言うのもあるけど。

吸収合併されたから、親会社から来た人が上に立っているだろうことは解る。

もしかしたら、旧会社時代から残っている人は、冷や飯食いなのだろうか。とも思ってしまった。

 

私が子供の頃から、この百貨店はこの商圏で一番のお店で、お中元やお歳暮はこの百貨店の包装紙じゃないと駄目と言われるほどのブランド力を持っていた。

そして、その分店舗への信頼度も高かった。

それは単なる客だった自分も解っていたし、従業員になっても身に沁みて分かっていた。

だけど、一族経営と次期社長と目されていた専務(社長の息子)の無軌道な出店計画が徒になってしまった。

どうして商圏が被る所に店舗だすかなあ…って。19の小娘にもおかしいって分かってたんだよ?

常務(社長の娘婿)が陣頭指揮を取っていれば、こんな事にはなってなかっただろうな。

そのぐらい、常務はキレ者で社員の多くも常務を支持していた。

 

などと、昔の事を考えている間にレジが終わった。

法被を着ていない、ピシっとしたスーツを着て、髪をしっかり固めた若い男性店員さん。

あの人は親会社から来ている人なんだろうな。

見た目で区別がついてしまう。

だって、旧社員(見覚えある人ばかり)は、なんだかやつれてるんだもの。

 

そういう寂しさを抱えつつ、食料品売り場に行った。

食品売り場だけは、親会社の名称で営業している。

そして、関西系列だけに、品揃えもこの辺りの他のスーパーとは違う。

関西系の食べ物が好きな私には、ここでたまに関西系のお惣菜を買うのが密かな楽しみなのだ。

レジのオバチャン達はニコニコと元気一杯だった。

 

地元の老舗百貨店と言うブランド。そのブランドに勤めていると言うプライドのあった店員。

吸収合併され、ブランドは残ったけれど、プライドを失ってしまったのだろうか。

若い客層はみな名古屋に行ってしまう。この百貨店に来るのは地元の高年齢層ばかりだ。

一度地元を離れた事があるだけに、余計に複雑な気持ちになってしまったのは確かだ。