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OPANDA

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2001年宇宙の旅

2007-02-21 13:28:30 | 映画

*****映画de閑話*****

  OPANDA中学1年生のみぎり、叔父に連れられ当時最高の映画館と言われた「テアトル東京」にこの映画を見に行った。   人生観が変わってしまった。  圧倒的な映像迫力、難解なストーリー、衝撃的なラスト、たった13歳のOPANDAには、そのインパクトは強烈すぎ、しばしば銀幕を直視できないような恐怖すら感じたのだが、その作品の引力は凄まじく、4時間をほんの一瞬に感じさせるほど、OPANDA少年を座席に釘付けにした。  ラストの「美しく青きドナウ」を聞きながら呆然として身動きもできなかったことをつい昨日のように思い出される。  あらすじ(ウェキペディアより) 遠い昔、ヒトザルが他の獣と変わらない生活をおくっていた頃、謎の物体(モノリス)がヒトザル達の前に出現する。やがて1匹のヒトザルが物体の影響を受け、動物の骨を道具・武器として使う事を覚えた。獣を倒し多くの食物を手に入れられるようになったヒトザルは、反目する同じヒトザルに対しても武器を使用して殺害する。 時は過ぎ月面で人類が住むようになった現代、アメリカ合衆国のフロイド博士は、月のティコクレーターで発掘した謎の物体「モノリス」を極秘に調査するため月面基地に向かう。調査中、400万年ぶりに太陽光を浴びたモノリスは強力な信号を木星に向けて発した。 18ヶ月後、宇宙船ディスカバリー号は木星探査の途上にあった。乗組員はデビッド・ボーマン船長ら5名の人間(うち3名は人工冬眠中)と、最高の人工知能HAL(ハル)9000型コンピュータであった。 順調に進んでいた飛行の途上、HALはボーマン船長に、今回の探査計画に疑問がある事を打ち明ける。その直後HALは船の故障を告げたが、実際には故障していなかった。2名の乗組員はHALの故障を疑い、思考部の停止について話し合うが、それを知ったHALは乗組員達を殺害する。唯一生き残ったボーマン船長はHALの思考部を停止させたあと、モノリスの件や探査の真の目的を知ることになる。ボーマン船長は一人で計画を遂行、木星圏内で巨大なモノリスと出合い、驚愕の体験を経て人類より進化した存在・スターチャイルドへと進化を遂げる。

 

 

画面左上から右へ1段左端:オープニング 「ツァラトゥストラはかく語りき」と共に始まるこの映像、何回見ても、期待感と感動で涙が出てしまう。2枚目:一夜明けると突然人ざるの前に現れる「モノリス」 幻想的な光景だ 3枚目:フロイト博士が月への旅の途中、宇宙船を乗り換える「宇宙ステーション」 一番脂がのっている頃のヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の「美しく青きドナウ」の名曲をバックに、地球からのシャトルが、ステーションの回転に次第にシンクロしながら、吸い込まれるように着艦する様子は何遍見てもウットリする。  ちなみに、この曲が気に入ったOPANDA、後日T.M.指揮N響の演奏で同じ曲を聴くのだが、あまりの違いに愕然とした。 オーケストラでは、指揮者が如何に重要か思い知らされた。4枚目:ステーションから月へ向かう船のキャビンアテンダント(もう無くなってしまった「パンアメリカン航空」:ワシらの世代では「兼高かおる世界の旅」を思い出させる) 2段左端:月基地 向こうは地球 アポロがまだ月へ行く前だよ、どーよ? ちなみにいまだに、人類月着陸を信じていない人達は、あの映像は「スタンリーキューブリック(この映画の監督)」が撮ったモノだと信じているそうです。2枚目:磁気を頼りに掘り出された「モノリス」 フロイト博士他がこわごわと、これに触る様子は、上の人ざると大差なく笑わせる 3枚目:木星に向かう「ディスカバリー号」 4枚目:同号の居住区 回転してるので疑似重力がある カプセルの中は人口冬眠中の3人のクルー・・・後にHALに殺害される3段左端:HAL9000の目 これがだんだん、生き物の目のように見えてくるから不思議だ。 キューブリックの卓越した映像表現がなせるワザだ。 このHAL、アルファベットで Hの次はI、Aの次はB、Lの次はMとなる つまり並べると「IBM」・・・ただの偶然か?2枚目:冬眠をしない2人のクルー、ボウマン船長とプール隊員 船内すべての会話はHALにモニターされてしまうので、一人乗りポッド(宇宙船)に入り、音声回線を切断し密談をしているところ。  ところがHALは、例の赤い目で2人の会話を読唇してしまう。  ここまでで約2時間、休憩が入る。  この「中入り」も実に効果的、2人の会話の内容は「HALちょっとおかしくないか?」「うんワシもそう思う」「もしもの時は論理回路を切断しよう」ってな内容。 HALにとって論理回路の切断は「死」を意味するに違いない。  現在の車に搭載されているコンピューターと同じ、ただ船の制御機械に成り下がることだから。 人間なら脳死状態ってことだ。許せないだろうね、じゃ、どうなるの?  休憩中の観客はとても、休んでなんかいられない、後半をあれこれ推理することになる。 ここで「自我」について。 映画の中の様々な哲学的な会話も、この作品を魅力的なものに仕上げている。この木星探査計画は世界中も注目し、ある日地球(BBC)からインタビューを受ける。  その際、インタビュアーはHALにもインタビューをし、その感想をもらす。「このHAL9000はまさに6番目のクルー、自分の職責に対し、誇りすら感じさせます。 彼は「自我」を持っていると思いますか?」 これにプール隊員「自我を持っているようにプログラムされています。」 ワシはここでちょっと失望するのだが、つづく次の答に満足する。 「ただ、本当に自我を持っているかどうか、誰にもわかりません。」  ”ただ自我を持っているようにプログラムされている”のと”本当に自我を持っている”のでは違いがあるのか?   ”あたかも感情を持っているように作られたロボット”と”実際に感情を持っている人間”はどこが違うのか?・・・・深く考えさせられる。   アリンコにとって人間は神以上の存在だろう。  否、ここに出てくる人ざるにとっても、車を走らせ、飛行機に乗り、携帯TV電話をかける我々は、神以上だろう。  じゃあ、我々より、千万年ほど進んだ文明を持った生命体を見たとき、我々は、これらと神を区別できるのか? 神以上の存在ではないのか?   この映画のテーマはこんなところにある・・・とワシは思っている。 3段3枚目:HALにより生命維持装置を停止させられてしまう3人の人口冬眠者  3人のバイタルサイン、脈拍・呼吸・血圧・体温等が次々とフラットになっていくシーンが凍りつくように恐ろしい。 4枚目:非常出口から緊急侵入するボウマン船長 偽の故障予報により船外活動に出たプール隊員はHALに遠隔操作されたポッドの体当たりを受け殺害されてしまう。  突然意思を持ったように回転し始めるポッド、機械に殺意を感じさせるニクイ演出だ。 それを救助に行った船長が戻ってくるのだが、HALは船長の帰鑑を拒み宇宙空間に閉め出してしまう。 命からがら船内に戻った船長は、論理回路室へ直行、HALの論理回路を次々と切断し始める。 HALの意識の後退が、悲しく、怖い。 どんどん意識が混濁して行き、彼の誕生の頃、始めた教えて貰った歌を歌い始める「デイジー」と言う歌だ。  この映画を見たモノなら、忘れられない歌になる。  ・・・で、最後、ボウマン船長はHALの深層心理の下に隠されたメッセージを初めて知ることになる。 4段目左端:木星軌道上に到達したディスカバリー号 突然目の前に「モノリス」が現れる・・・まるでボウマン船長を誘うように 2枚目:船長がもう一つ残ったポッドに乗り込んで「モノリス」に近づくと、突然異次元へと引きずり込まれる  このシーンは、CGが進んだ今では陳腐に写るかもしれないが、当時OPANDAは延々と続く驚愕的なシーンに気が狂いそうになった。 3枚目:衝撃的なラストへ向けての終章  突然現れる静寂、地球に戻ったのか? しかしこの無機的さは尋常ではない あまりに、清潔すぎ、美しすぎるロココ調の部屋に、なんとも不釣り合いなポッド 日常と非日常の同居 ボウマンがふと、部屋の鏡を覗くと、そこには、遙か老齢に達した自分が写っている 人の気配を感じ、隣の部屋を覗くと、更に老境に入った自分が食事をしている その食事をしているボウマンが床に落としたグラスに見入っている ふとベッドの上を見ると・・・・・既に臨終間際の自分 4枚目:正面には「モノリス」 人類が数百万年してきたように、それに触れようとするボウマン 次の瞬間・・・・・・・・ あとは見てのお楽しみ! ああ、書いてるだけで、興奮して、涙が出てきてしまう。 今日は仕事やめ。   ・・・っちゅうこって、当時叔父から、大好評上映中「猿の惑星」と、この「2001年宇宙の旅」どちらか連れてってやると言われ、その頃から少々あまのじゃくだったワシは、みんなが見ている前者より後者を選んだわけだ。  学校では、みんなが興奮して「猿の惑星」の話をしていたが、ワシには、まったくと言っては嘘になるが、それほどの興味は湧かなかった。  確かに「猿の惑星」はおもしろい。 しかしそのおもしろさは、単純なエンターテイメントのおもしろさと言ったらいいのか、例えば「ターミネーター」や「スターウォーズ」のおもしろさなのだ。   自分の人生に影響を与えるモノでは決してない。  その後、この映画は、機会があるごとに鑑賞した。 既に何十回見たかわからないが、見るたびに感動あらた、見れば見るほど感動する。  続編「2010年」も見たが、これは・・・・????  やっぱりキューブリックじゃないとダメ! なのだ。 だから、彼の前の作品「博士の異常な愛情」も見た。 これも大感動した。 クラークの小説も読んだ。  小説は脚本と同時に進められたので、映画のあとで出版された。  小説により「糸がほどけるように」とまではいかなかったが、映画の内容がかなり理解できたことは確かだ。 つづく小説「2010年宇宙の旅 」、更に「2061年宇宙の旅」、そして「3001年終局への旅」と読み進み、なんとなくクラークとキューブリックの言いたいことがわかってきたような気がする。 以来、この映画を越えるモノをワシは知らない。 大変残念である。  で、ことあるごとに、この映画こそ、 「映画のα(始まり)でありΩ(終わり)である」と、触れ回っている。 ワシだけじゃありません。 「スタンリー・キューブリックは究極のSF映画を創った。そして、誰にもこれ以上の映画を製作することはできないだろう。技術的に比較することはできるが、私は「2001年宇宙の旅」が遙かに優れていると思う」 ジョージ・ルーカス 但し、実際に「そのとおりだ!」と言う人にお目にかかったことは、ただの一度もない。 ( ̄(エ) ̄)y-°°° これ見た人で誰ぞおらんかの~?  

 

http://www.kubrick2001.com/  ← こちらも参考になりますよ。

コメント (4)
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