日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(704)「前件否定の誤謬」と「漢文法基礎(二畳庵主人)、P325」。

2020-09-05 13:43:23 | 訓読・論理学

(01)
(ⅰ)
1  (1) ~P→~Q A
 2 (2)     Q A
  3(3) ~P    A
1 3(4)    ~Q 13MPP
123(5)  Q&~Q 24&I
12 (6)~~P    3RAA
12 (7)  P    6DN
1  (8)  Q→ P 27CP
(ⅱ)
1  (1)  Q→ P A
 2 (2)    ~P A
  3(3)  Q    A
1 3(4)     P 13MPP
123(5)  ~P&P 24&I
12 (6)   ~~P 25RAA
12 (7)     P 6DN
1  (8)  Q→ P 27CP
従って、
(01)により、
(02)
① ~P→~Q≡Pでないならば、Qでない。
②  Q→ P≡Qであるならば、Pである。
に於いて、
①=② である(対偶)。
然るに、
(03)
②  Q→ P≡Qであるならば、Pである。
③   P→ Q≡Pであるならば、Qである。
に於いて、
②=③ ではない。
cf.
「順が真であるとして、そのであるとは、限らない。」
従って、
(02)(03)により、
(04)
① ~P→~Q≡Pでないならば、Qでない。
②  Q→ P≡Qであるならば、Pである。
③  P→ Q≡Pであるならば、Qである。
に於いて、
①=② であるが、
①=③ ではない
従って、
(04)により、
(05)
(ⅰ)Pでないならば、Qでない。然るに、Pでない。故に、Qでない。
(ⅱ)Pであるならば、Qである。然るに、Pでない。故に、Qでない。
に於いて、
(ⅰ)は、「推論」として「正しい」ものの、
(ⅱ)は、「推論」として「間違ひ」であって、このとき、
(〃)を、「前件否定誤謬」といふ。
従って、
(05)により、
(06)
「記号」で書くと、
(ⅰ)~P→~Q,~P├ ~Q
(ⅱ) P→ Q,~P├ ~Q
に於いて、
(ⅱ)は、「前件否定の誤謬」である。
然るに、
(07)
(ⅰ)~P→~Q,~P├ ~Q
(ⅱ) P→ Q,~P├ ~Q
に於いて、
P=~P
Q= R
といふ「代入」を行ふと、
(ⅰ)~~P→~R,~~P├ ~R
(ⅱ) ~P→ R,~~P├ ~R
然るに、
(08)
「二重否定律」により、
~~P=P
従って、
(07)(08)により、
(09)
(ⅰ)~~P→~R,~~P├ ~R
(ⅱ) ~P→ R,~~P├ ~R
といふ「連式」は、
(ⅰ) P→~R,P├ ~R
(ⅱ)~P→ R,P├ ~R
といふ「連式」に、「等しい」。
従って、
(06)~(09)により、
(10)
(ⅰ) P→~R,P├ ~R
(ⅱ)~P→ R,P├ ~R
に於いて、
(ⅱ)は、「前件否定の誤謬」である。
然るに、
(11)
 P=弁舌がある  (祝鮀のやうな弁舌が有る)。
 Q=ハンサムである(宋朝のやうな美貌が有る)。
 R=やっていけない(今の時世を無事に送ることは、難しい)。
~R=やっていける (今の時世を無事に送ることは、易しい)。
とするならば、
① ~P&Q→R
といふ「論理式(命題)」は、
① 不有祝鮀之佞、而有宋朝之美、難乎、免於今之世矣=
① 不〔有(祝鮀之佞)〕、而有(宋朝之美)、難乎、免(於今之世)矣⇒
① 〔(祝鮀之佞)有〕不、而(宋朝之美)有、難乎、(於今之世)免矣=
① 〔(祝鮀の佞)有ら〕ずして、而も(宋朝の美)有らば、難いかな、(今に世に)免るること=
① 〔(祝鮀のやうな弁舌が)有る〕のではなく、而も(宋朝のやうな美貌が)有るだけならば、難しいことだよ、(今の時世を)無事に送ることは。
といふ「漢文訓読」に、相当する。
然るに、
(11)により、
(12)
(ⅰ)(Q&~P→R),(Q&P)├ ~R
といふ「連式」は、
(ⅰ)(ハンサムではあっても、弁舌がなければ、やってゆけない。)然るに、(ハンサムであって、弁舌がある。)従って、やっていける。
といふ「意味」である。
従って、
(10)(11)(12)により、
(13)
(ⅰ)(ハンサムではあっても、弁舌がなければ、やってゆけない。)然るに、(ハンサムであって、弁舌がある。)従って、やっていける。
といふ「推論」は、「前件否定の誤謬」である。
然るに、
(14)
(ⅰ)弁舌がなければ、やってゆけない。
といふことは、
(ⅰ)弁舌があることは、「やってゆく」ための「必要条件」である。
といふことである。
然るに、
(ⅱ)弁舌を兼ね備えてこそ、はじめてやってゆける。
といふのであれば、この場合も、
(ⅱ)弁舌があることは、「やってゆく」ための「必要条件」である。
といふことである。
従って、
(13)(14)により、
(15)
(ⅰ)(ハンサムではあっても、弁舌がなければ、やってゆけない。)   然るに、(ハンサムであって、弁舌がある。)従って、やっていける。
(ⅱ)(ハンサムの上に弁舌を兼ねそなえてこそ、はじめてやってゆける。)然るに、(ハンサムであって、弁舌がある。)従って、やっていける。
といふ「言ひ方」は、両方とも、「前件否定の誤謬」である。
然るに、
(16)
 そこで話をもとにもどしてみる。 ① の場合、-a+bであると訳すと「弁舌はなくて、ハンサムというのは、あぶない(ハンサムの上に弁舌を兼ねそなえてこそ、はじめてやってゆける)」ということになる。 (二畳庵主人、漢文法基礎、1984年10月、325頁)。
従って、
(01)~(16)により、
(17)
(16)で引用した、 「漢文法基礎(二畳庵主人)、P325」は、
(ⅰ)(ハンサムであるとしても)弁舌がなければ、やってゆけない。然るに、弁舌がない。故に。やってゆけない。
(ⅱ)(ハンサムであるとしても)弁舌がなければ、やってゆけない。然るに、弁舌がある。故に。やってゆける。
に於ける、
(ⅰ)ではなく、
(ⅱ)であるが故に、「前件否定誤謬」である。