日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(48)三上章先生、金谷武洋先生、日本語にも「主語」は有ります。

2018-07-07 12:06:18 | 「は」と「が」
(01)
① ソクラテスは人間である
といふことは、すなはち、
① ソクラテスといふ人間がゐる
といふ、ことである。
然るに、
(02)
伝統的な論理学では、「である」を主語と述語を結びつける語と解釈すると共に、それが存在を現わす「がある」の意味も同時にもっているところから、「である」も「がある」も共に、より根本的な存在の二つのあり方であると、解釈する。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、114頁)
従って、
(01)(02)により、
(03)
① ソクラテスは人間である。⇔
① ソクラテスといふ人間がゐる。
といふ「解釈」は「普通」であって、尚且つ、「伝統的な論理学」による「解釈」である。
然るに、
(04)
① ソクラテスといふ人間がゐる。
といふことは、
① ソクラテスといふ何者か(x)がゐて、その何者か(x)が人間である。
といふことである。
然るに、
(05)
① ∃x(ソクラテスx&人間x)
といふ「述語論理」は、
或るxはソクラテスであって、そのxは人間である。
といふ、「意味」である。
cf.
[二]① 有る。② あるいは。③ あるひと
(角川 新字源 改定版、365頁)
従って、
(01)~(05)により、
(06)
① ソクラテスは人間である。
といふ「日本語」は、
① ∃x(ソクラテスx&人間x)。
といふ「述語論理」に相当する。
従って、
(06)により、
(07)
① 私は理事長です。
といふ「日本語」は、
① ∃x(私x&理事長x)。
といふ「述語論理」に相当し、
① 或るxは私であって、そのxは理事長である。
といふ「意味」である。
然るに、
(08)
① ∃x(私x&理事長x)。
② ∃x{私x&理事長x& ∀y[(理事長y)→  (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x& ∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
④ ∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
⑤ ∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)& (理事長y)]}。
といふ「述語論理」は、それぞれ、
① 有るxは私であって、そのxは理事長である。
② 有るxは私であって、そのxは理事長であって、すべてのyについて、 yが理事長であるならば、yは、xと同一人物である。
③ 有るxは私であって、そのxは理事長であって、いかなるyであっても、yがxと同一人物でないならば、yは理事長ではない。
④ 有るxは私であって、そのxは理事長であるが、いかなるyであっても、yがxと同一人物でないならば、yは理事長ではない。といふわけではない。
⑤ 有るxは私であって、そのxは理事長であって、有るyはxとは別人であって、yもまた、理事長である。
といふ「意味」である。
然るに、
(09)
(a)
1   (1)∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→(y=x)]}   A
 2  (2)   私a&理事長a&∀y[(理事長y)→(y=a)]    A
 2  (3)   私a&理事長a                     2&E
 2  (4)           ∀y[(理事長y)→(y=a)]    2&E
 2  (5)               理事長b →(b=a)    4UE
  6 (6)                    ~(b=a)     A
   7(7)               理事長b            A
 2 7(8)                     (b=a)     57MPP
 267(9)              ~(b=a)&(b=a)     68&I
 26 (ア)              ~(理事長b)          79RAA
 2  (イ)              ~(b=a)→~(理事長b)   6アCP
 2  (ウ)           ∀y[~(y=a)→~(理事長y)]  イUI
 2  (エ)   私a&理事長a&∀y[~(y=a)→~(理事長y)]  3ウ&I
 2  (オ)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} エEI
1   (カ)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} 12オEE
(b)
1   (1)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} A
 2  (2)   私a&理事長a&∀y[~(y=a)→~(理事長y)]  A
 2  (3)   私a&理事長a                     2&E
 2  (4)           ∀y[~(y=a)→~(理事長y)]  2&E
 2  (5)              ~(b=a)→~(理事長b)   4UE
 6 (6)                      (理事長b)   A
   7(7)              ~(b=a)           A
 2 7(8)                     ~(理事長b)   57MPP
 268(9)              (理事長b)&~(理事長b)   68&I
 26 (ア)             ~~(b=a)           8アRAA
 26 (イ)               (b=a)           アDN
 2  (ウ)              (理事長b)→(b=a)     6イCP
 2  (エ)           ∀y[(理事長y)→(y=a)     ウUI
1   (オ)           ∀y[(理事長y)→(y=a)     12エEE
12  (カ)   私a&理事長a&∀y[(理事長y)→ ( y=a )]  3オ&I
12  (キ)∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ ( y=x )]} カEI
1   (ク)∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ ( y=x )]} 12キEE
cf.
1   (1)∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ (y=x) ]} A
1   (1)∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]} A
に於いて、
           ∀y[(理事長y)→ (x=y) ]
                   ∀y[~(y=x)→~(理事長y)]
は「対偶(Contraposition)」である。
(10)
(a) 
1   (1)∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→ ~(理事長y)]} A
 2  (2)   私a&理事長a&~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)]  A
 2  (3)   私a&理事長a                       2&E
 2  (4)           ~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)]  2&E
 2  (5)             ~[~(b=a)→ ~(理事長b)]  4UE
 2  (6)            ~[~~(b=a)∨ ~(理事長b)]  5含意の定義
 2  (7)              ~[(b=a)∨ ~(理事長b)]  6DN
 2  (8)              [~(b=a)&~~(理事長b)]  7ド・モルガンの法則
 2  (9)              [~(b=a)&  (理事長b)]  8DN
 2  (ア)            ∃y[~(y=a)&  (理事長y)]  9EI
 2  (イ)   私a&理事長a& ∃y[~(y=a)&  (理事長y)]  3ア&I
 2  (ウ)∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)&  (理事長y)]} イEI
1   (エ)∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)&  (理事長y)]} 12ウEE
(b)
1   (1)∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)&  (理事長y)]} A
 2  (2)   私a&理事長a& ∃y[~(y=a)&  (理事長y)]  A
 2  (3)   私a&理事長a                       2&E
 2  (4)            ∃y[~(y=a)&  (理事長y)]  2&E
  5 (5)              [~(b=a)&  (理事長b)]  A
  5 (6)            ~~[~(b=a)&  (理事長b)]  5DN
  5 (7)            ~[~~(b=a)∨ ~(理事長b)]  6ド・モルガンの法則
  5 (8)             ~[~(b=a)→ ~(理事長b)]  7含意の定義
   9(9)            ∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)]  A
   9(ア)              [~(b=a)→ ~(理事長b)]  9UE
  59(イ)             ~[~(b=a)→ ~(理事長b)]&
                     [~(b=a)→ ~(理事長b)]  8ア&I
  5 (エ)           ~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)]  9イRAA
 2  (オ)           ~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)]  45EE
 2  (カ)   私a&理事長a&~∀y[~(y=a)→ ~(理事長y)]  3オ&I
 2  (キ)∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→ ~(理事長y)]} カEI
1   (ク)∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→ ~(理事長y)]} 12キEE
従って、
(09)(10)により、
(11)
② ∃x{私x&理事長x& ∀y[(理事長y)→  (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x& ∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
④ ∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
⑤ ∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)& (理事長y)]}。
に於いて、
②=③ であって、
③=④ ではなく、
④=⑤ である。
従って、
(08)(11)により、
(12)
① 或るxは私であって、そのxは理事長である。
② 或るxは私であって、そのxは理事長であって、すべてのyについて、 yが理事長であるならば、yは、xと同一人物である。
③ 或るxは私であって、そのxは理事長であって、いかなるyであっても、yがxと同一人物でないならば、yは理事長ではない。
④ 或るxは私であって、そのxは理事長であるが、いかなるyであっても、yがxと同一人物でないならば、yは理事長ではない。といふわけではない。
⑤ 或るxは私であって、そのxは理事長であって、或るyはxとは別人であって、yもまた、理事長である。
といふ「日本語」は、要するに、
① 私は理事長です。
② 私は理事長であって、理事長は私です。
③ 私は理事長であって、私以外は理事長ではありません。
④ 私は理事長ですが、 理事長は私ですとは、言へません。
⑤ 私は理事長ですが、 私以外にも、理事長はゐます。
といふ「意味」である。
従って、
(08)(12)により、
(13)
① 私は理事長です。
② 私は理事長であって、理事長は私です。
③ 私は理事長であって、私以外は理事長ではありません。
④ 私は理事長ですが、 理事長は私ですとは、言へません。
⑤ 私は理事長ですが、 私以外にも、理事長はゐます。
といふ「日本語」は、
① ∃x(私x&理事長x)。
② ∃x{私x&理事長x& ∀y[(理事長y)→  (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x& ∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
④ ∃x{私x&理事長x&~∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
⑤ ∃x{私x&理事長x& ∃y[~(y=x)& (理事長y)]}。
といふ「述語論理」に相当する。
然るに、
(14)
② 理事長は私です。
といふのであれば、
② 理事長は一人しかゐない。
従って、
(14)により、
(15)
② 理事長は私です。
といふのであれば、
② 私は理事長である。
従って、
(11)(13)(15)、
(16)
② 理事長は私です。
といふ「日本語」、すなはち、
② 私は理事長であって、理事長は私です。
といふ「日本語」は、
②=③ であるところの、
② ∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(17)
よく知られているように、「私理事長です」は語順を変え、
 理事長は、私です。
と直して初めて主辞賓辞が適用されのである。また、かりに大倉氏が、
 タゴール記念館は、私が理事です。
と言ったとすれば、これは主辞「タゴール記念館」を品評するという心持ちの文である。
(三上章、日本語の論理、1963年、40・41頁)
従って、
(16)(17)により、
(18)
③ 私が理事長です。
といふ「日本語」は、
②=③ であるところの、
② ∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→  (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
といふ「述語論理」に、相当する。
従って、
(08)(18)により、
(19)
① 私は理事長です。
② 理事長は私です。
③ 私が理事長です。
といふ「日本語」は、
① ∃x(私x&理事長x)。
② ∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
といふ「述語論理」に、相当する。
然るに、
(20)
それでは、狭義の述語論理において究極的な主語となるものは何であろうか。それは「人間」というような一般的なものではない。また「ソクラテス」も述語になりうるし、「これ」すらも「これとは何か」という問に対して「部屋の隅にある机がこれです」ということができる。
そこで私たちは主語を示す変項x、yを文字通りに解釈して、「或るもの」(英語で表現するならば something)とか、「他の或るもの」というような不定代名詞にあたるものを最も基本的な主語とする。そこで「ソクラテスは人間である」といふ一つの文は、
 (xはソクラテスである)(xは人間である)
という、もっとも基本的な 主語-述語 からなる二つの文の特定の組み合わせと考えることができる。すなわち、
 SはPである。
という一般的な 主語-述語文は、
 Fx Gx
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、Fx はもとの文の主語に対応し、Gx は述語に対応していることがわかる。
(沢田充茂、現代論理学入門、1962年、118・119頁)
従って、
(19)(20)により、
(21)
① 私は理事長です。
という一般的な 主語-述語文は、
① ∃x(私x&理事長x)。
という二つの文で構成されていると考える。そしてこの場合、私x はもとの文の主語に対応し、理事長x は述語に対応していることがわかる。
従って、
(19)(21)により、
(22)
① ∃x(私x&理事長x)。
② ∃x{私x&理事長x&∀y[(理事長y)→ (x=y) ]}。
③ ∃x{私x&理事長x&∀y[~(y=x)→~(理事長y)]}。
であるところの、少なくとも、
① 私は理事長です。
② 理事長は私です。
③ 私が理事長です。
といふ「日本語」には、「述語論理」で言ふところの、「主語」が有ることになる。
然るに、
(23)
⑥ この世の人は、男は、女にあふことをする(世の中の男の人は、女と結婚をする:竹取物語)。
のやうな場合に、
⑥ 男は     が、「主語」で、
⑥ 女と結婚する。が、「述語」であるとすると、
⑥ この世の人は は、「主語」ではないのか、といふことになる。
従って、
(24)
日本語の「主語」と、英語のやうな「西洋語の主語」が、「全く同じ」である。
といふ風に、言ふつもりはない。
然るに、
(25)
① ソクラテスは人間である(Socrates is a human being)。
⑦ 中将はいづこよりものしつるぞ(Where did 中将 come from?:源氏物語)。
に於ける、
① ソクラテスは は、「西洋語」で言ふ所の「主語」であって、
⑦ 中将は    も、「西洋語」で言ふ所の「主語」である、はずである。
従って、
(24)(25)により、
(26)
私自身は、三上章先生や、金谷武洋先生が言ふやうに、「日本語に主語はない」といふ風には、思はない。
(27)
⑧ こんにゃくは太らない。
もちろん、この文が問題となるのは、「太らない」のが「こんにゃく」ではなく、それを食べる人間様の場合である。
(金谷武洋、日本語文法の謎を解く、2003年、84頁改)
然るに、
(28)
⑧ こんにゃくは太らない。
といふのであれば、
⑧ こんにゃくが存在し、ある人が存在して、その人はこんにゃくを食べ、その人は太らない。
然るに、
(29)
1  (1)∀x{蒟蒻x→ ∃y(人y&食yx&~太y)}  A
1  (2)   蒟蒻a→ ∃y(人y&食ya&~太y)}  1UE
 3 (3)∃x(蒟蒻x)                  A
  4(4)   蒟蒻a                   A 
1 4(5)        ∃y(人y&食ya&~太y)   24MPP
1 4(6)   蒟蒻a&〔∃y(人y&食ya&~太y)〕  45&I
13 (7)   蒟蒻a&〔∃y(人y&食ya&~太y)〕  346EE
13 (8)∃x{蒟蒻x&〔∃y(人y&食yx&~太y)〕} 7EI
13 (9)或るxは蒟蒻であって、或るyは人であって、yは蒟蒻であるところのxを食べ、yは太らない。
従って、
(28)(29)により、
(30)
⑧ こんにゃくは太らない。
といふ「日本語」は、
⑧ ∃x{蒟蒻x&〔∃y(人y&食yx&~太y)〕}。
⑧ 或るxは蒟蒻であって、或るyは人であって、yは蒟蒻であるところのxを食べ、yは太らない。
といふ「述語論理」に相当する。
従って、
(05)(06)(30)により、
(31)
① ソクラテスは人間である。
⑧ こんにゃくは太らない。
といふ「日本語」は、
① ∃x(ソクラテスx&人間x)。
⑧ ∃x{蒟蒻x&〔∃y(人y&食yx&~太y)〕}。
といふ「述語論理」に相当する。
然るに、
(20)により、
(32)
① ソクラテスは人間である。
① ∃x(ソクラテスx&人間x)。
に於ける「主語」は、
①    ソクラテスx
である。
従って、
(31)(32)により、
(33)
⑧ こんにゃくは太らない。
⑧ ∃x{蒟蒻x&〔∃y(人y&食yx&~太y)〕}。
に於ける「主語」は、
⑧    蒟蒻x
である。
(34)
「論理」は「論理」なのであって、それ故、「日本語(だけ)の論理」や「英語(だけ)の論理」のやうな、「特別な論理」といふものは、有り得ない。