(01)
1 (1)∃x{花子x&象x&∃z(耳zx&~鼻zx)} A
2 (2) 花子a&象a&∃z(耳za&~鼻za) A
3 (3) 花子a&象a& 耳ca&~鼻ca A
4 (4)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
4 (5) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 4UE
3 (6) 象a 3&E
34 (7) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 56MPP
34 (8) ∃y(鼻ya&長y) 7&E
9(9) 鼻ba&長b A
34 (ア) ∀z(~鼻za→~長z) 7&E
34 (イ) ~鼻ca→~長c アUE
3 (ウ) ~鼻ca 3&E
34 (エ) ~長c イウMPP
3 (オ) 花子a 3&E
3 9(カ) 花子a&鼻ba&長b 9オ&I
3 (キ) 耳ca 3&E
3 9(ク) 花子a&鼻ba&長b&耳ca カキ&I
349(ケ) 花子a&鼻ba&長b&耳ca&~長c エク&I
349(コ)∃z(花子a&鼻ba&長b&耳za&~長z) ケEI
349(サ)∃y∃z(花子a&鼻ya&長y&耳za&~長z) コEI
349(シ)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z) サEI
34 (ス)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z) 89シEE
2 4 (セ)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z) 23スEE
1 4 (ソ)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z) 12セEE
従って、
(01)により、
(02)
∃x{花子x&象x&∃z(耳zx&~鼻zx)},∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}├
∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)
cf.
日常言語の文から述語計算の文への翻訳のためには、一般にあたまが柔軟なことが必要である。なんら確定的な規則があるわけではなく、量記号に十分に馴れるまでは、練習を積むことが必要である(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、130頁)。
従って、
(02)により、
(03)
或るxは花子であり、そのxは象であり、或るzはxの耳であり、そのzはxの鼻ではない。全てのxについてxが象であるならば、或るyはxの鼻であり、そのyは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。故に、或るxは花子であり、或るyはxの鼻であり、そのyは長く、或るzはxの耳であって、そのzは長くない。
cf.
変数という記号を採用することがいかに有効であるかは、進むにつれて次第に明らかになって行くだろう。さしあたりは、それは、代名詞「それ」(it)に似たようなはたらきをするものと考えておけば十分であろう(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、204頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
花子は象であって、花子の耳は鼻ではない。然るに、象は鼻が長い。故に、花子は鼻が長く、耳は長くない。
然るに、
(05)
花子は象であって、花子の耳は鼻ではない。然るに、象は鼻が長い。故に、花子は鼻が長く、耳は長くない。
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(02)(05)により、
(06)
∃x{花子x&象x&∃z(耳zx&~鼻zx)},∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}├
∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 象は鼻が長い。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)
「日本語(だけ)の論理」や「英語(だけ)の論理」のやうな、「特別な論理」といふものは、有り得ない。
従って、
(09)
逆に言へば、
① 象は鼻が長い。
② An elephant has a long nose.
③ L'éléphant a un long nez.
④ Der Elefant hat eine lange Nase.
⑤ La elefanto havas longan nazon.
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}.
に於いて、
①~⑤ は、「同等」であって、⑥だけが、「特別」である。
従って、
(10)
① 象は鼻が長い。
② An elephant has a long nose.
③ L'éléphant a un long nez.
④ Der Elefant hat eine lange Nase.
⑤ La elefanto havas longan nazon.
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}.
に於いて、
① の「主語」と、②~⑤ の「主語」を「比較する」ことは、
① の「主語」と、⑥ を「比較する」こととは、「同等」ではない。
然るに、
(11)
日本語などの東アジアの言語には必要のない「主語」は、明治維新以降は「脱亜入欧」の掛け声のもと、英文法を真似て導入されたものだった。大野晋も『日本語の世界』付録の丸谷才一との対談、その事情をあっさり認めてゐる。 明治以降、要するに英文法をもとにして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。その時に、ヨーロッパでは文を作る時に必ず主語を立てる。そこで『文には主語が必要』と決めた。そこで日本語では主語を示すのに『は』を使う、と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものを当てはめた。 ここまで言い切る大野なら、なぜ「日本語に主語はない」と文部科学省に断固抗議し、学校文法改正の音頭を取らないのだろう。言語学的に何ら根拠のない「ハとガの違い」の説明に拘泥し、三上章の「主語廃止論」を一蹴した国語学会の大御所である大野晋も、学問的に正しく批判さる日がやがて来るだろう。
(金谷武洋、英語にも主語はなかった、2004年、11頁)
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 象は鼻が長い。
② An elephant has a long nose.
③ L'éléphant a un long nez.
④ Der Elefant hat eine lange Nase.
⑤ La elefanto havas longan nazon.
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}.
に於ける、
① と ⑥ を「比較」した「結果」として、
① 象は鼻が長い。
といふ「日本語」には、「(少なくとも)二つの主語」が有る。
といふ風に、考へたとしても、「ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いはずである」といふ「態度」が、そのやうな「結論」へ「誘導」してゐる。
といふことには、ならない。
1 (1)∃x{花子x&象x&∃z(耳zx&~鼻zx)} A
2 (2) 花子a&象a&∃z(耳za&~鼻za) A
3 (3) 花子a&象a& 耳ca&~鼻ca A
4 (4)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)} A
4 (5) 象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 4UE
3 (6) 象a 3&E
34 (7) ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z) 56MPP
34 (8) ∃y(鼻ya&長y) 7&E
9(9) 鼻ba&長b A
34 (ア) ∀z(~鼻za→~長z) 7&E
34 (イ) ~鼻ca→~長c アUE
3 (ウ) ~鼻ca 3&E
34 (エ) ~長c イウMPP
3 (オ) 花子a 3&E
3 9(カ) 花子a&鼻ba&長b 9オ&I
3 (キ) 耳ca 3&E
3 9(ク) 花子a&鼻ba&長b&耳ca カキ&I
349(ケ) 花子a&鼻ba&長b&耳ca&~長c エク&I
349(コ)∃z(花子a&鼻ba&長b&耳za&~長z) ケEI
349(サ)∃y∃z(花子a&鼻ya&長y&耳za&~長z) コEI
349(シ)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z) サEI
34 (ス)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z) 89シEE
2 4 (セ)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z) 23スEE
1 4 (ソ)∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z) 12セEE
従って、
(01)により、
(02)
∃x{花子x&象x&∃z(耳zx&~鼻zx)},∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}├
∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)
cf.
日常言語の文から述語計算の文への翻訳のためには、一般にあたまが柔軟なことが必要である。なんら確定的な規則があるわけではなく、量記号に十分に馴れるまでは、練習を積むことが必要である(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英、1973年、130頁)。
従って、
(02)により、
(03)
或るxは花子であり、そのxは象であり、或るzはxの耳であり、そのzはxの鼻ではない。全てのxについてxが象であるならば、或るyはxの鼻であり、そのyは長く、全てのzについて、zがxの鼻でないならば、zは長くない。故に、或るxは花子であり、或るyはxの鼻であり、そのyは長く、或るzはxの耳であって、そのzは長くない。
cf.
変数という記号を採用することがいかに有効であるかは、進むにつれて次第に明らかになって行くだろう。さしあたりは、それは、代名詞「それ」(it)に似たようなはたらきをするものと考えておけば十分であろう(E.J.レモン 著、竹尾治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、204頁)。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
花子は象であって、花子の耳は鼻ではない。然るに、象は鼻が長い。故に、花子は鼻が長く、耳は長くない。
然るに、
(05)
花子は象であって、花子の耳は鼻ではない。然るに、象は鼻が長い。故に、花子は鼻が長く、耳は長くない。
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(02)(05)により、
(06)
∃x{花子x&象x&∃z(耳zx&~鼻zx)},∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}├
∃x∃y∃z(花子x&鼻yx&長y&耳zx&~長z)
といふ「推論」は、「正しい」。
従って、
(05)(06)により、
(07)
① 象は鼻が長い。
② ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(08)
「日本語(だけ)の論理」や「英語(だけ)の論理」のやうな、「特別な論理」といふものは、有り得ない。
従って、
(09)
逆に言へば、
① 象は鼻が長い。
② An elephant has a long nose.
③ L'éléphant a un long nez.
④ Der Elefant hat eine lange Nase.
⑤ La elefanto havas longan nazon.
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}.
に於いて、
①~⑤ は、「同等」であって、⑥だけが、「特別」である。
従って、
(10)
① 象は鼻が長い。
② An elephant has a long nose.
③ L'éléphant a un long nez.
④ Der Elefant hat eine lange Nase.
⑤ La elefanto havas longan nazon.
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}.
に於いて、
① の「主語」と、②~⑤ の「主語」を「比較する」ことは、
① の「主語」と、⑥ を「比較する」こととは、「同等」ではない。
然るに、
(11)
日本語などの東アジアの言語には必要のない「主語」は、明治維新以降は「脱亜入欧」の掛け声のもと、英文法を真似て導入されたものだった。大野晋も『日本語の世界』付録の丸谷才一との対談、その事情をあっさり認めてゐる。 明治以降、要するに英文法をもとにして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。その時に、ヨーロッパでは文を作る時に必ず主語を立てる。そこで『文には主語が必要』と決めた。そこで日本語では主語を示すのに『は』を使う、と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものを当てはめた。 ここまで言い切る大野なら、なぜ「日本語に主語はない」と文部科学省に断固抗議し、学校文法改正の音頭を取らないのだろう。言語学的に何ら根拠のない「ハとガの違い」の説明に拘泥し、三上章の「主語廃止論」を一蹴した国語学会の大御所である大野晋も、学問的に正しく批判さる日がやがて来るだろう。
(金谷武洋、英語にも主語はなかった、2004年、11頁)
従って、
(10)(11)により、
(12)
① 象は鼻が長い。
② An elephant has a long nose.
③ L'éléphant a un long nez.
④ Der Elefant hat eine lange Nase.
⑤ La elefanto havas longan nazon.
⑥ ∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}.
に於ける、
① と ⑥ を「比較」した「結果」として、
① 象は鼻が長い。
といふ「日本語」には、「(少なくとも)二つの主語」が有る。
といふ風に、考へたとしても、「ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いはずである」といふ「態度」が、そのやうな「結論」へ「誘導」してゐる。
といふことには、ならない。