みなさま、ごきげんよう。
今日は、なぜプロットをしっかり作り込む必要があるのか? について考えます。
私事ですが、現在コバルト短編小説新人賞用の作品を執筆しています。
一昨日のひらめきから三日で、ほぼ80%の進捗という状態です。30枚という短編であることを加味しても、かなり順調だといえると思います。
ではなぜ今回は、プロット着手から実際の執筆まで、ここまで短期間で出来たのでしょうか?
それは、イメージにあると考えます。
今回は、プロットを作り出す段階で、すでに意識には昇らなくても物語は脳内で映像化されていたのだと思うのです。
だから、プロットはその夢物語に順列を付ける作業だけで済むし、執筆は映像を見ながらノベライズするかのような状態であると思います。
では、脳内映像が完成しなければ執筆は出来ないのか? というと、それはちょっと違うと思います。全くゼロからの状態でも執筆は可能だと信じています。
重要なのは、情報量です。
それは取材だったり、あるいは勉強だったり。
とにかく、今書こうとしている世界に関して、どのくらいの知識を持っているか?
それがポイントだと気づきました。
プロットがあって、それに必要な知識を集めるのではなく、情報を集めていくうちに、自然と断片的な物語が生じて、それで初めてプロットが組めるのではないでしょうか。
今日は、なぜプロットをしっかり作り込む必要があるのか? について考えます。
私事ですが、現在コバルト短編小説新人賞用の作品を執筆しています。
一昨日のひらめきから三日で、ほぼ80%の進捗という状態です。30枚という短編であることを加味しても、かなり順調だといえると思います。
ではなぜ今回は、プロット着手から実際の執筆まで、ここまで短期間で出来たのでしょうか?
それは、イメージにあると考えます。
今回は、プロットを作り出す段階で、すでに意識には昇らなくても物語は脳内で映像化されていたのだと思うのです。
だから、プロットはその夢物語に順列を付ける作業だけで済むし、執筆は映像を見ながらノベライズするかのような状態であると思います。
では、脳内映像が完成しなければ執筆は出来ないのか? というと、それはちょっと違うと思います。全くゼロからの状態でも執筆は可能だと信じています。
重要なのは、情報量です。
それは取材だったり、あるいは勉強だったり。
とにかく、今書こうとしている世界に関して、どのくらいの知識を持っているか?
それがポイントだと気づきました。
プロットがあって、それに必要な知識を集めるのではなく、情報を集めていくうちに、自然と断片的な物語が生じて、それで初めてプロットが組めるのではないでしょうか。