大寒の早朝に散歩をしました。
昨年までは母に会えない辛い思いを空気や景色に包んでもらいました。
母なのに、コロナ禍とはいえ傍にいられないことに何度涙したことでしょう・・・。
家族で話し合いを続け、昨年末から母を住み慣れた自宅で看取る準備をしました。
お正月気分は無く、実家へ帰る準備をしていると、朝早くお義姉さんから電話が入りました。
「お父さん(私の兄)が朝から右足が重いって言うの・・・」
直ぐに病院へ行くことを薦め、お義姉さんは救急車を呼び兄は緊急入院しました。
左脳梗塞でひと月程の入院予定です。
姪からスマホに緊急入院の知らせと診断書の写メが届きましたので、
直ぐに実家へ向かいました。
新幹線からの景色は途中から雪景色で、深々とした中で凛とした気持ちになりました。
実家へ着くと直ぐにお義姉さんと相談しました。
明後日、実家に母が帰る日でしたので、二人で頑張ってみよう、と。
近くには心安くしている姪も二人いて心強く思えました。
母を実家で迎えるにあたって、仏間の座敷部屋にベッドを置く準備、ケアマネさんと
今後の打ち合わせなどをしました。
無事に母を迎えられ、やっと傍にいられる幸せを嚙み締めました。
温かいガーゼで顔を拭いてあげられる、ヘルパーさんと一緒にお世話をさせてもらえる、
何より夜に横で一緒に寝られることの幸せを感じました。
お義姉さんは「お義母さんの表情が全然違うね。穏やかで優しい顔になってるわ」と。
9日は母の96歳の誕生日でした。
母が大好きだけどずっと会えなかった孫と曾孫が奈良から駆け付けました。
私が初めて買ってもらった古いピアノと孫のバイオリン演奏で♪ハッピーバースデーを
近くの孫と曾孫もかけつけて、お義姉さんも一緒に歌ってお祝いしました。
その日は看護師さんから「今日は血圧も脈も酸素濃度も心音も良いですよ」と
言われており、珍しく目をずっと開けてくれていて、皆が交代で声かけをしていました。
賑やかな一日が終わって、お義姉さんと二人で喜びを噛み締めました。
やはり自宅だからこそ出来たお誕生日会のお祝いでした。
その夜は静かに更けていき、深夜2時頃に少し痰がらみの声がしただけで朝まで寝ました。
朝6時頃に目覚めて、お布団の中から母の横顔を見ても変わりは無いように見えました。
まだ寝てる‥と思っていました。
少し経って、そろそろ温かいガーゼで顔でも拭こうかと起きてみると
いつもと違う雰囲気を感じました。声をかけながらそっと額に手を当てると冷たいのです。
直ぐにお義姉さんを呼んで、医師と看護師に連絡を取りました。
こんなに静かに息を引き取るものなのかと思いました。
医師は死亡診断書に「老衰」と書かれました。
昨日、お誕生会を賑やかにやって体調も良かったという話をすると
「皆さんに会えて安心して逝かれたんですね」と。
たった5日間だけでしたが、私にとって幸せな毎日でした。
母が大好きだった音楽をかけたり、昔の懐かしい話をしたり、身体を触ったり、
ピアノを弾いたり、リンや木魚を鳴らしたり、写真や動画を見てもらったり・・・
母には感謝の気持ちでいっぱいです。
昨年までは母に会えない辛い思いを空気や景色に包んでもらいました。
母なのに、コロナ禍とはいえ傍にいられないことに何度涙したことでしょう・・・。
家族で話し合いを続け、昨年末から母を住み慣れた自宅で看取る準備をしました。
お正月気分は無く、実家へ帰る準備をしていると、朝早くお義姉さんから電話が入りました。
「お父さん(私の兄)が朝から右足が重いって言うの・・・」
直ぐに病院へ行くことを薦め、お義姉さんは救急車を呼び兄は緊急入院しました。
左脳梗塞でひと月程の入院予定です。
姪からスマホに緊急入院の知らせと診断書の写メが届きましたので、
直ぐに実家へ向かいました。
新幹線からの景色は途中から雪景色で、深々とした中で凛とした気持ちになりました。
実家へ着くと直ぐにお義姉さんと相談しました。
明後日、実家に母が帰る日でしたので、二人で頑張ってみよう、と。
近くには心安くしている姪も二人いて心強く思えました。
母を実家で迎えるにあたって、仏間の座敷部屋にベッドを置く準備、ケアマネさんと
今後の打ち合わせなどをしました。
無事に母を迎えられ、やっと傍にいられる幸せを嚙み締めました。
温かいガーゼで顔を拭いてあげられる、ヘルパーさんと一緒にお世話をさせてもらえる、
何より夜に横で一緒に寝られることの幸せを感じました。
お義姉さんは「お義母さんの表情が全然違うね。穏やかで優しい顔になってるわ」と。
9日は母の96歳の誕生日でした。
母が大好きだけどずっと会えなかった孫と曾孫が奈良から駆け付けました。
私が初めて買ってもらった古いピアノと孫のバイオリン演奏で♪ハッピーバースデーを
近くの孫と曾孫もかけつけて、お義姉さんも一緒に歌ってお祝いしました。
その日は看護師さんから「今日は血圧も脈も酸素濃度も心音も良いですよ」と
言われており、珍しく目をずっと開けてくれていて、皆が交代で声かけをしていました。
賑やかな一日が終わって、お義姉さんと二人で喜びを噛み締めました。
やはり自宅だからこそ出来たお誕生日会のお祝いでした。
その夜は静かに更けていき、深夜2時頃に少し痰がらみの声がしただけで朝まで寝ました。
朝6時頃に目覚めて、お布団の中から母の横顔を見ても変わりは無いように見えました。
まだ寝てる‥と思っていました。
少し経って、そろそろ温かいガーゼで顔でも拭こうかと起きてみると
いつもと違う雰囲気を感じました。声をかけながらそっと額に手を当てると冷たいのです。
直ぐにお義姉さんを呼んで、医師と看護師に連絡を取りました。
こんなに静かに息を引き取るものなのかと思いました。
医師は死亡診断書に「老衰」と書かれました。
昨日、お誕生会を賑やかにやって体調も良かったという話をすると
「皆さんに会えて安心して逝かれたんですね」と。
たった5日間だけでしたが、私にとって幸せな毎日でした。
母が大好きだった音楽をかけたり、昔の懐かしい話をしたり、身体を触ったり、
ピアノを弾いたり、リンや木魚を鳴らしたり、写真や動画を見てもらったり・・・
母には感謝の気持ちでいっぱいです。