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斜陽族などクソ食らえ

2011-12-15 17:29:52 | 日記
先日、用事があって大船の行政センターにいったのだが、
そこで係員の女性に対して、めちゃくちゃ怒鳴っている若者が
いた。

なんの話をしているのか、誰が正しいのかはわからないが、
はっきりいってその若者はめちゃくちゃカッコ悪いと思った。

まあ、彼のようなやくざな野郎が、なんの目的で行政センターに行くのかは
すこし考えればわかる話だが、第三者的にみて、ああいった風貌で、
わけもわからずがなりたてているのだから、100人中、99人は「彼が悪い」
と思ってしまうだろう。

弱い人、老人、女性や子供に牙をむくというのは、どんな時であれ私に
とってはあり得ないことであるので正直おどろいた。

抗議することが権利のように思っている人もいるのだろうけど、
カッコ悪いことはやめなよ。そういうのを誤った価値観に「生かされてる」
っていうの。「騙されている」っていうの。

世の中、あんなバカな野郎がまだいたとはね…。

ただ最近、老若男女を問わず、そういう人が増えている気がしてならない。

死んだような目つき、まるでブロイラーをみているみたいだ。

切ない奴らめ…。

日本国民がなすすべもなく一斉に夕日をボーっと見つめている。
悲しいけど、それが今の日本の現状なのだろう。

俺は俺でやるしかない…。

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『Carey & Lurrie Bell/SON OF A GUN』 聴かずに死ねるか その3

2011-12-04 17:18:02 | 日記


『Carey & Lurrie Bell/SON OF A GUN』

レコード・ジャケットに映っているブルースマン・ギタリストの写真を見て、
ふと気がついたことがある。
ほとんどの写真がギターを構えて映っているのだが、「ピックを持って」
いる人がいないということである。
ひとつにはジャケットの撮影は演奏風景を映したものではなく、カメラの前で
ギターを構えて、にっこり笑っているところを意図的に撮影するものである、
ということ。もうひとつ、これが本題なのだが、「そっちの方がカッコいい」
ということがある。

そう、ギタリストにとって「指弾き」は憧れなのである。

私は舞台ではごくたまに指で弾くこともあるが、99%はピックで演奏している。
その曲にだすべきサウンドによって使い分けているともいえるが、実は指弾きで
できることの大半は、ピックをもちながらでもできる。
ところがその逆に、ピック弾きでできることが指弾きでできるとはかぎらない。
とくに、「トリル」といわれる、素早く上下にトゥルルルルーとやるやつ、
あれは難しい。
(いぜん、指弾きで吾妻さんがそれをやっているのを見たが、あの人は、別格、
気違いにちかい!)
練習すればいいのだが、わざわざ今さらピックを止める必要性もないし、
だいたい時間がもったいない(と言い訳をしておく)。

それでも指弾きはカッコいい。ピック弾きにくらべて、より高度なテクニック、
スピード、正確さ、コントロールが要求されるからである。

だからブルースをやっている人の大半は「指弾き」にあこがれたことがあると
思う。ギターの弦をピックで弾くのと指で弾くのでは全然音もちがうしね。

切り裂きギターといわれるあの鋭い音色で有名なアルバート・コリンズ、
彼にしてもやはり指引きである。

鋭い音がでるというだけでなく、やはり深みがちがう。
ご存じのとおり、指はどれだけ鍛えてもやはりピックにくらべれば柔らかい。

たとえば青竹を切るとき、日本刀でズバッとやるのと、空手チョップでやる
ようなちがいだ。
どう考えたって、空手のほうがインパクトは大きい。
必然、ギターのサウンドだってそちらのほうがリスナーにあたえるインパクトは
大きいのではないか…。

とはいえ、やはりピック弾きのほうが多様性があるし、私はいつも、なるべく
指引きに近いようなサウンド・メイキングをしている。
実は、一時期かなり真面目に練習したのだが、あの指引きのもどかしさといったら
気が狂いそうになるし、手はつるし、根性がたりないせいか、あきらめた。

前置きがながくなったが、上記のレコードのLurrie BellはCarey Bellの息子
である。Carey Bellはブルース界の中でもビッグ・ネーム中のビッグ・ネーム。
Lurrie Bellは単独で日本に来たこともあるが、彼らはよく二人のネームでアルバム
を出している。
以前に一度、このブログでも一枚紹介したことがあるのだが、上記はそれ以上に
カッコいいぞ。そのLurrieだが、彼こそ「指弾き」の最高峰だと私は思う。
ゲイトマウス・ブラウンのような指弾きでもピックですらできないような、
まさしく神がかりな巨人もいるが、私にとってはゲイトマウスは存在が大きすぎるし、
いかんせんトリッキーで、言い方は悪いが少し「曲芸的」だ。

その点、Lurrieには「肉声」のようなもの、情緒や感情の荒々しさを感じる。
私にとってはすごく好感度が高い。
尊敬するブルースマンを聞かれたら、真っ先にこの人の名前を挙げると思う。

なにしろ、カッコいい。カッコよすぎる…。

そしてそんなにカッコいい彼の演奏の中でも、『SON OF A GUN』は群を抜いて
カッコいい。

これを聴かずしてブルース・ギターを語ることなかれ。


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『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』

2011-12-02 16:05:24 | 日記


『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』(ロバート・シャインフェルド)

私は活字中毒なので、小説から、精神世界系(スピ系)、成功法則系、
政治経済系、医療系、健康系、技術系、楽譜、はたまたお経(笑)まで、
おもしろそうなもの、興味のあるものはかたっぱしから読む。

これでも通勤電車時間がなくなってしまってからは、読書時間がすごく
減ったと思う。以前は毎日通勤の往復2時間は読書にあてていたわけだから…。

今日紹介したいのは、…うーん、何系だぁ???
アマゾンなどのレビューでは、精神世界系となっているが、タイトルは
もろに経済系、あるいは成功法則系である。

その対比がおもしろいので、さっそく書店にいって読んでみたら、
おもしろかったので買った。

私が常々思っていることの一つに、

「願望は叶わないものだ。」

というのがある。
数ある成功法則本のほとんどを敵にまわしてしまいそうな危険思想だが、
例えば、以前に出版され大反響を生んだ本『ザ・シークレット』などは、
「この本を読んで、どれだけの人がこの本を理解し、実際に「成功」
できるのかは甚だ疑問だ。」と思った。

「お金は追いかければ逃げてゆく、追いかけるのをやめれば向こうからやってくる」

私はこの法則は、この世のどんな原理にもあてはまると思っている。

此岸にいるものは、どれだけの方法論を模索したところで、それが彼岸に至る
手段となることはない。少なくとも此岸から脱出できないかぎりは…。

そう、「やり方」などないのである。

努力をかさねているうちになぜか突然視界が拓けて、ストンと腑に落ちるという
経験をされた方もいるだろう。

そういった意味で紹介した『「ザ・マネーゲーム」から脱出する法』は
確実に「抜けた」視点から書かれている。

そしてこの本の重要なポイントは「いかに抜け出るか」であり、
いかにして成功を収めるか、いかにしてマネーをゲットするかという視点では
書かれていないのである。
「抜け出るためのプロセス」を紹介しているワークブックであるが、
結局、実践するのは読者本人である。
本を読めば、即成功できるものというものではない。
そういう点がいままでの「成功法則本」とは大きく異なっている。


もちろん、『ザ・シークレット』しかりで、世に出回る成功法則のすべてを否定する
つもりはない。
ただし、それらの本が効力を発揮するのは、「抜け出た」ものに対してのみであると
思う。

まあ、そういう自分が抜け出ているかというと抜け出ていないわけで、
だからこそ抜け出るために、抜け目なく努力を重ねる次第である。

目からウロコとはいかず、まだ顔のどっかにくっついているんだよね(笑)。


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『Pat Metheny Group/STILL LIFE (TALKING)』

2011-12-01 17:48:06 | 日記
前回紹介した記事のからみで今日はこれ、


『Pat Metheny Group/STILL LIFE (TALKING)』

(今、この記事を書いている最中に猫が家の廊下でゲロはいている音がする。
早く記事を書きあげて掃除をせねば…)

ところで、前回の記事では、このアルバムはメセニーの世界を180°変えた的な
発言をしたのだが、もちろんこのアルバムの以前からメセニーはメセニーであり、
彼のオリジナリティーは貫かれているわけで、ナシメントやらオーネット・コールマン
らとの邂逅の中で持続的に開花されていったものであることはいうまでもない。
そして、さらにいうならそういう状況においても、このアルバムはやはり衝撃的で
あった。パット・メセニーという人はデビューから常に己の世界を拓き続けている人
であり、それが彼が希代のミュージシャンとしての証明であろう。

彼のアルバムを俯瞰的に聴いてみるとギター・スタイルはある意味デビュー当時から
完成されていた感がある。
ただし、彼の方法論はどんどんつきつめられていったのがよくわかる。
そのひとつが「ターゲット理論」である。

端的にいうと、クロマティックに上行、下行をくりかえしながらターゲット音に
ラインが向かってゆくということなのだが、彼の場合はその「行き方」が精緻を極める
ものであり、言うは易し行うは難しである。
いうなれば、ヘタクソがやればヘタクソなりの、上手い人がやれば上手い人なりの
ラインどりが可能なわけだ。

まあ、彼のラインを分析したことがある人ならわかるけど、案外シンプルなんだよね。
だけど、TPOがすごいし、オリジナリティたっぷりなので、ちょっとでもそれをやろう
ものなら、出典がメセニーであることがバレバレである。
ああいった彼独自のラインを生み出すにいたった過程がすごいということなのだろう。

彼のインタビューを読むと、

・コード・トーン
・パッシング・ノート

を徹底的に訓練し、その後アプローチ・ノート(クロマティシズムを含む)
を研究したらしい。その過程で彼は普通の人がやらないような「不協和音」を
そこに盛り込んで行ったようだ。
彼のラインを聴くと、ダイアトニシズムをかなり逸脱していっているのが
わかるだろう。

上記の練習はギタリストなら多少はかじったことがあるはず。
ただし、それほど基本的な練習をそこまで徹底的にやっている人って少ない
気がする。
得てしてある程度弾けるようになるとギタリストはフレーズ主義に走るもの
だからである。特に日本のギタリストはその傾向が強い気がする。
もちろん「仕込み」のまったくないミュージシャンは絶対にいないのであるが、
それだけだといつまでたっても「どっかで聴いたような」感が抜けないでしょ。

まあ、その辺はさすがジム・ホールの愛弟子である。
私見では、パット・メセニーの「ターゲット理論」はジム・ホールの「モチーフ理論」
の範疇に入っていると思う。

いくらきれいなフレーズを数多く編み出したところで、なかなかオリジナリティには
いたらないのだなあ、と反省することしきりの今日この頃である(笑)。


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