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Feelin' The Spirit/Grant Green

2011-10-17 15:51:49 | 日記
先日、このブログで紹介した「The Centies Live」は大盛況で、
最後は場内揺れんばかりにみんな踊り出すという誠に土着的な
熱いライブだった。
まあ、基本コンセプトはミーターズ・トリビュートなのだが、
そこはドラムのゆうぞうさんがいるだけに、ロックともソウルとも
ジャズともブルースとも、なんとも形容しがたい内容ではあった。

ただし、人前でジャズのスタンダードを演奏するという大変貴重な
経験をさせていただいた。
そのために、結構準備もしていたのだが、最後は「全てを忘れて」
ワーッとやった。それが自分としてはすごく新鮮で、実りが多かったと思う。
やっぱり、家でひとりで練習していても、本番をやらないと結局
身に付かないもんだなあ…。

ところで、ライブ当日に初めてメンバーが一同に会して練習したのだが、
そういう事情もあり、リハーサルを結構長い時間をかけてやった。

その練習も終盤にさしかかった時、イントロ部分でゆうぞうさんに
「タムを叩いて」と要求したら、

「だって、このセット、タムないも~ん。」

と一発却下された。

よく見ると、ハイハット、スネア、バスドラ、シンバルがひとつ
しかない。
気がつかないでやっていた自分も自分だが、あんなシンプルなセットで
あんなにバリエーションが出せるゆうぞうさんは化け物だよ…。


ところで、みなさんはドラムセットに向かったことがあるだろうか?
私も何度かあるのだが、私を含め素人はどうしてもあれだけの数の太鼓が
ならぶとそれだけで、たじろいでしまう。

不思議なもので、素人って手は二本しかないのに、なんとなく全部の太鼓を
叩かなきゃいけない気がしてしまうんだよね。
まさか足をつかって叩くわけにもいかんでしょ。大体は左足はハイハット、
右足はバスドラのキックを踏んでいるわけだしね。

ドラムは多分、一生かけても叩けるようにはならないと思うが、
実はギターでも同じようなことがある。

ギターを演奏する時は、コードとコードに対応するスケールを確認しておく
べきなのだが、コード・トーンだけでも最低4つはあるし、スケールっていったら、
少なくとも7つある。それをコード・プログレッション上で弾き分けてゆくのは
至難の業だ。よくドレミファソラシド、ドシラソファミレドみたいに音階を
行ったり来たりしている人がいるが、それだとコード・プログレッションには
対応できないし、いくら、メジャー・スケールを弾けばよいとわかっても、
コード上で重要な音には比重があるわけで、何小節目のどのコードを弾いている
のかすらわからなくなってしまうものだ。

結局うまい人ってすごくシンプルに少ない音をねらっているんだよね。
先日パット・メセニーをコピーしていて、そのことを再確認した。

どうしても知識が先行してしまうと、そういうことに陥りがちだ。
自分は性格上、常にものごとを難しく考えてしまう癖があり、
いつも「シンプルに、シンプルに」と自分に言い聞るようにしている。

そういう時にいつも参考にするのがグラント・グリーンである。
彼については以前もこのブログで紹介したのだが、すごくシンプルな音遣いで、
決して凄いテクニックをひけらかすわけでもなく、しかもとてもエレガントで
洗練されたラインを弾くので、思い出した時に彼のCDを聴く。

今日紹介したいのはこれ、


『Feelin' The Spirit/Grant Green』

このアルバムにはあのハービー・ハンコックも参加しているのだが、
誰がつくったかもわからないようなトラディショナルな曲目ばかりだ。
ゆえに古いアメリカン・ポピュラーって感じがする。
でも私はこのアルバムが大好きだ。ハービーの演奏もすごくいいし、
なによりグラント・グリーンがすばらしい。

「Go Down Moses」などは凄すぎて、唸ってしまった。
こういうところが、ジョージ・ベンソンなどに受け継がれていったのだと
思う。

ある意味、知識を得ることはたやすい。でもその知識からシンプルな結論を
導き出すことは容易ではない。経験とはまさにそのためにあるのだと思う。


がんばろう、東日本!!
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全身アザだらけ

2011-10-16 12:03:46 | 日記
先日、ある黒人のブルースマンと演奏した。
B.B. Kingともやったことがある超大物なのだが、うちらのライブの開始前に
現れて、いきなり1曲目からやらせろ、という。

「俺はジャズでもブルースでもなんでもやるから、問題ないぜ(英語だけど)」

いざ、いっしょに合わせてみると、これがすんげぇーんだ!(笑)。

まるで怒涛のグルーブで、ぐわんぐわんと揺れる場内、
圧力でぺちゃんこになってしまいそうだ…。

巨体のくせに、座って弾きやがって、おかげで俺のスペースがせまいんだよ!
しかもベースが今まで見たこともない変なベース。なぜかドブロである。
しかも、プラグインできて、コントロールまでついている。

まあ、すごい人だった。

私といえば、こうなりゃガチ勝負だ!
ボブ・サップの怒涛のパンチに応戦しながら(というよりボコボコにされながら)
なんとか、しがみ付いてやったぜ。そして決めのフレーズ、

「どうだ!」

「ふん、ちょっとはやるじゃねぇか…。」

ああ、おかげで全身が痛い。まるで格闘技をやったみたいだ。

ところで、バラードを演奏している時に、くわっと私の方を振り向いて、

「お前はコードを弾きなさい。」

といわれた。ピアノのまねをして、ヘラヘラと漂うクラゲのように弾いていたのが
バレていた(笑)。


アップテンポのブギーをやっていたら、またなんか叫んでいる。

よっしゃ! とガリガリと弾き始めたら、

「NO!!!!!!!」

と飛び交う怒号。

よくよく聴いたら、

「マイクを貸せ」

といっていた(笑)。

あんれ~??? 怖い顔すんなよぉー!!

なんと、「Mike(microphone)!」といっていたのを、私は「Fight!」と
聞き間違えてしもた…(笑)。


まあ、楽しいライブだったのだが、やはりアメリカ人ってコントロールされた
演出を好むんだよね。
彼らがやろうとしているのは、一種のShowである(当たり前のことだけど)。
格闘技にたとえるなら、「筋書きのあるプロレス」だ。
ヒールとベビーフェイスが明確に区別されており、ヒーローはヒーロー、脇役は脇役。
(ブルース・ブラザースの映画とかみていてもそうだもんね。)

だから、お客がうけてないと見てとると、

「誰ものってないな、お前エリック・クラプトン出来るか?」

といってきた。

あんまりそういう発想では日本人ってやってないよね(少なくとも自分は)。
格闘技でいうと「総合格闘技」に近い。
バック・ギタリストって脇役だと思うけど、だからといって、

「どうぞ、弾いてくだせぇ、ご主人様、あっしはバックに徹します」

とはやれないわけ(笑)。
ましてや、ハコバンじゃないんだぞ、お客の顔色みて曲目を選ぶかよ!?

だから、いつものことだが、フロント・マン以上にしゃしゃり出る自分は、

「ケツが青いぜ!」

とか思われていると思う。

でもいいのさ、それで…。

俺は常にガチ勝負。筋書きはいらない。
つっても、相手はパワフルだから、ガチやってもたぶんボコボコにされると
思うけど。

ああ、今日も全身アザだらけ(笑)。



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Nosmoking/John Abercrombie & Andy LaVerne

2011-10-10 10:23:06 | 日記
私はジャンルを問わず、どんな楽曲に対しても自分のスタイルで、
ガチの勝負をしている人が好きだ。

したがってパット・メセニー、ジョン・スコフィールド、ジョン・アバークロンビー
らは心から尊敬している。

以前、Youtubeでジョンスコがどこかの楽器屋さんのデモでテレキャスターを手にして
ブルースを演奏しているのをみて、全身がシビレた。
それこそ、ブルースマン顔負けのガチ・ブルースだ。そしてそういう中でも
彼のテイストがしっかり表現されており、彼はブルース・ギタリストとしても
唯一無二のすごい人だと感心した。

また、ジョン・アバークロンビーのレコード、CDはかなり沢山持っていて、
別にコレクターというわけではないが、好きが高じて、アバクロ(洋服のブランド、
ジョン・アバークロンビーとは何の関係もない)のキャップ(帽子)を被って
一人悦に入っていたのだが、誰も気がついてくれなくてがっかりし、そのうち
どこかの銭湯に置き忘れてしまった(笑)。

パット・メセニーといえば、コンサートを観にいくくらいのいれようで、
レコード、CDともかなり沢山もっている。

そういうわけで今回紹介するのはこれ、


『Nosmoking/John Abercrombie & Andy LaVerne』

友人の堀江君から紹介してもらった。
タイトルのとおり、アバークロンビーとアンディー・ラバーンのDuoのアルバム。
アンディーはあまり日本で知られていないのかしら? よくは知らないが、
とてもハーモニーがきれいなピアニストだ。

アバークロンビーというとロック・テイストギンギンで凶暴に、直線的に
ギュィーンと弾きまくる印象、あるいは北欧のテイストでリリカルにそして
アトモスフェリックに繊細なサウンドの両極を巧みに表現にとりいれている
ギタリストという印象があるが、このアルバムでは「ジャズ」を演奏している
(一応、彼はジャズ・ギタリストのカテゴリーに入る人なのであたりまえといえば
あたりまえの話だが…)。
アンディー・ラバーンとのコラボは非常に多く、数枚のアルバムを出している。
そういう中でもこのアルバムは特にジャズっぽい。

ジャズのアドリブ演奏はいくつかのポールをタッチしながら、ゴールに向かう動きに
例えられるのだが、アバークロンビーの場合、そのタッチが実に巧妙である。

少々専門的だが、ジャズで一番重要なポールとされるII-V-I進行のポールをすっとばして、
次の代理コードのポールを狙いにいく(タッチする)ということをよくやる。
実に巧妙なので、我々がコピーしたフレーズを弾いていても、曲の流れを往々にして
見失ってしまうことがある。

ちなみにジョン・コルトレーンという人は、ロングトーンの扱いが非常に
巧みだった上に、超高速フレーズですべてのポールをタッチするという
驚異的な離れ業をいともたやすくやってのけるすごい人だった
(たとえばGiant Stepsはその典型)。

話をもとにもどすと、ギターという楽器はポジショニングである程度、
そのミュージシャンの意図を判断することができる楽器である。

実際の映像をみても、そのアーティキュレーションから推測してもアバークロンビー
は非常にホリゾンタルな動きをする(その対極にヴァーティカルがある)。

アバークロンビーのギターをきいていると、水面を自由に駆け回る「あめんぼう」
を想像する。まったくもって、ひどいたとえだけど(笑)。

ギタリストの演奏を聴くときは、そのポジショニングを想像しながら聴くと楽しい。
今はやりの3D体験を味わえるぞ!


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前を向いて

2011-10-09 10:45:37 | 日記
ここ3年以上にわたって、日記をつけている。
日記といっても生活の記録だけではなく、自分の夢やビジョンを確認する
という作業なので、毎朝1時間くらいはノートに向かって取っ組みあっている。
これは結構骨の折れる作業なのだけど、もうここまで続けてきたことだし、
これからも続けてゆくのだろう。

なにが大変かというと、毎日毎日「夢ばかり追っかけてはいられない」(笑)からである。

でも、自分としては「想像することなくして、夢の実現などあり得ない」と
思っている。だから何よりも大切な行事(ってか修行)だと思ってやっている。

この日記というかノートは自分なりにかなり工夫して使っている。
長い間、いろんな使い方を試してたどりついたオリジナルなやり方なので、
今度特許でもとりたいくらいだが(笑)。いつかこのブログでも紹介しようと
思っている(なんて太っ腹なんだ!)。

私は過去の日記を読み返すことがほとんどないのだが、それは時制というものが
「常に未来から現在に流れている」という仏教的な視点に基づいているからなのだが、
それでも記憶としてはよく覚えていることもある。

私は前の晩に何を食べたか、今朝の朝食は何だったかすら忘れるタイプ(笑)なので、
そんなことは全く覚えていない。

なにを覚えているかというと、日記がスラスラ書けるときと、まったく書けない時、
つまり全くアイデアが浮かばない日があったということである。

思うにこのブログの更新頻度に関してもそうなのだが、3月11日の震災以来、
自分の心に大きな穴があいてしまったようで、まったく書くという行為が苦手になって
しまった。毎日下手をすると1時間半くらいは、机の前でうなっていたような気がする。

そして、最近になってようやく、少しは自分の中の想像性の芽が出てきた気がする。
もちろん、確信はない。でもいままでも、そしてこれからも不確かな状況の中を生きて
ゆく覚悟ができたということだ。

マスコミなどは9月11日を半年というひとつの節目としてとらえていたようだ。
「いまだ進まぬ復興、そして無策の政治」というのがほとんどのマスコミの見解の
ようだし、実際そういう報道ばかりだった。

考えなければならないのは、なんとか復興させようと、いちばん焦っているのは、
みえない将来ビジョンと戦っているのは、絶望しているのは、希望の光を求めているのは、祈っているのは、被災者の方々であり、その親族の方々であるということだ。

過剰ともいえる、ネガティブ報道、政府批判、そして半ば強引な決算(半年で被災者の
心が総括できるとでも思っているのか)、そうしたものが被災者の焦り、怒り、絶望を
助長し、被災者の心を傷つけるようなことがあってはならないのだ。

私の大切な友人の何人かは帰るところを失った。

どうして無関心でいられよう。どうして我々が悲しんだりしていられよう。

そういう彼がいった。

「もう前を向いてゆくしかない。」

我々は認識しなきゃならない、過去を振り返ることすらもはや許されない多くの人が
いるということを。

先日、スティーブ・ジョブズが亡くなった。
多くの遺産を我々にのこしてくれた彼の死が、私には象徴的なものに思える。

「もし今日が人生最後の日だとするなら、君はそのスケジュールを本当にやりたいと
思うだろうか…」

テレビなどに多くとりあげられた、彼のこの言葉もマスコミは曲解して報道して
いるように思う。

一生懸命生きればいい、という時代は終わったのだ。
我々は、本当に何をしたいのか、どこへ行きたいのか、そういうことを
本当に真面目に考えるべき時なのだ。

いやおうなしに時はせまってくる。時代も価値観も急速に変化してゆく。
後ろを向いている暇はない。


がんばろう、東日本!!
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「シャコシャコ」運動

2011-10-07 17:13:07 | 日記
うちの猫は時折、まったく意味不明の行動をする。



鏡に映る自身と格闘するココ。
それを心配そうに見つめるダリア…。

まあ、実際は格闘というよりは、「おちゃらか、ほい!」に近い。
一心不乱に「シャコシャコ」と手を動かしている。

ココがこの「シャコシャコ」運動をするのは何も鏡の前だけでは
なく、ガラス戸でも、またプラスチックの洗濯物入れのカゴの中に入っても、
これをやる。

愚かしいとは思うが、あまりに一生懸命なので今ではほっといている。

考えようによっては、人間だってその行動の大半は無意識でやってるわけだし、
ほとんどの人は1日の大半をを思考停止状態で過ごしていると思う。

仕事くらいは考えてやってほしいものだが、世の中案外そうでもないようだ。

過去の出来事の結果に基づいて行動しているだけのことで、過去に考えた
ことかも知れないが、それを行動している時点では結局考えていないわけで、
結局、過去の価値観に基づいて生きる奴は考えていることにならん、というわけで、
思考は決して構築するものではなく、一種の跳躍なのだと思う、
っといっている自分がどっかへ飛んでいっちゃいそうなのでこの辺でやめとく。

まあ、それにしてもこういうお馬鹿な行為がたまらなくかわいい我が家の猫たち
であった。



相変わらずココは変な格好だが、これでもしっかり寝ているのだ。



がんばろう東北!! がんばれ福島!! 負けるな福島!!
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