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教育に暴力はいらない

2013-09-26 13:32:59 | 日記
先日、大阪の高校バスケットボール部の少年が自殺した事件の
問題の教師が有罪判決(執行猶予付き)を受けた。

教育における暴力の是非について、未だとやかくいっている日本の
社会、そしてマスコミが本当にいやだ。
教育に暴力(言葉の暴力、体への暴力も含めて)は必要ないことは
明らかだからである。

柔道の日本代表チームが国際試合にでると、欧米の人たちは
その暴力的な指導に驚き、あきれていたという。

私の知り合いはアメリカに留学していたのだが、教育者が生徒に
暴力をふるって指導しているのを見たことがない、といっていた。

悪いことをした生徒は1週間ほど更生施設に送り込まれるそうだ。
(むしろそっちのほうが怖いかも…。)

スポーツとはゲームである。勝者がいれば必ず敗者がいる。
うまくいっている者があれば、うまくいっていない方はミスをしたことになる。
モチベーションが高かろうが、低かろうがより多くの点数をとったものの
勝ちである。一体、どこに悪事を働いている者がいるというのか?
殴られてよいものがどこにいるというのか?

(身体および言葉の)暴力によって人を指導できないことは世界の
教育においては当たり前のことだ。日本の教育者は明らかに勉強不足なのだ。
日本の教育者のレベルは欧米よりも20~30年以上遅れていると思う。

普通、自分の職業に関しては、必要なことは勉強するもんだよね。
サラリーマンだって必要とあらば、会計や経済や法律や英会話や
製品知識やら、いろいろと勉強するよね。
バスケットの指導員だったら、バスケットのこと、そして教科教育法
少年心理学やら指導法やら…、それがプロでしょ。
大体、生徒はアマチュアで、あなたがプロなんですよ。
その指導法の行きつく先が暴力だなんて、
笑わせるような(勉強の)成果ですよ…。

文化人ならば生徒をなぐりつけて、それが勝利に結びつくことを
精神的に、そして科学的に証明してみせてほしい。

科学とは因果を知り、それを証明することだと思う。

たとえ精神という抽象的な世界を論じるにしても、科学的な姿勢を
放棄してしまうなら、それはあまりに誠実さに欠ける行為だ。

私はなにも心霊現象を説明しろといっているわけではないし、
日本人の精神性を批判するつもりもない。

その因果関係を認められないような、無責任な行為を、
精神性という言葉で、まして指導という言葉でごまかすな、
といいたいだけだ。



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