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慰安婦問題に関する雑感

2007-03-12 23:49:18 | 時事問題
慰安婦問題が再燃している。米下院外交員会で慰安婦問題に関して日本非難決議が上程されているそうだ。何かまた新たな問題が起きたのか。そこでの主張はどのようなものかと考えていたら、産経新聞の古森義久氏が調べてくれていた。たとえばマイク・ホンダ議員は次のように述べているという。
「日本の国会は戦争での個人の損害賠償は講和条約の締結で解決ずみという立場をとるが、他の諸国はそうは考えない。若い女性の多くは日本軍により自宅から拉致され、売春宿に連行された。1993年には河野洋平氏による談話が出たが、日本政府の誠意ある謝罪ではなく、人為的で不誠実な意思表示に過ぎなかった。20年ほど前に日本の文部省は検定教科書のなかの慰安婦の悲劇を削除、あるいは削減してしまった」(同決議案の提案者の民主党マイク・ホンダ下院議員)
「日本側がアジア女性基金を作り、元慰安婦たちに賠償をしようとしたことは歓迎するが、それは政府としての正式の認知ではなく、賠償金受け手への日本の首相の謝罪書簡も日本政府としての明確で公式の謝罪ではない」(ホンダ議員)
(「慰安婦」糾弾の正確度は 産経新聞 3/3)

要するに日本軍が植民地や占領地の女性を強制連行して、性的奴隷にしたのに、日本政府は公式に誠実な謝罪をしていないということである。しかしながら日本軍の関与に関する新たな証拠の発見があったわけではない。

これに対して日本軍の直接的な強制はなかったと読売や産経社説は主張している。そしてそのあたりを曖昧にして解決をした河野談話を非難している。
「河野談話は、慰安所の設置や慰安婦の移送などに「旧日本軍の関与」があり、慰安婦の募集は業者が主だが「官憲等の加担」「甘言、強圧による」などがあったとしていた。さらに、すべての元慰安婦に「心からのお詫びと反省」を表明し、補償に関する訴訟に「十分に関心」を払うとしている。
 だが、河野談話の作成にかかわった石原信雄官房副長官(当時)の証言によると、「関係各省庁が国の内外で徹底調査したが、政府や軍が女性の強制連行を指示したような文書や証拠は一切なかった」という。…
 一時的に譲歩し、謝罪すれば、その後の対日批判は収まると判断したのかもしれない。だが、実際は逆だった。日本政府への責任追及が逆に高まり、今回の下院決議案も「河野談話が根拠になった」(提出者の一人、マイク・ホンダ議員)。政治の一時しのぎのツケが回ってきたというべきだ。」(産経社説 3/7 慰安婦決議案 一時しのぎのツケがきた)

そして「慰安婦問題 偽史の放置は禍根を残す」(産経社説 3/10)として河野談話の見直しを求める。これは安倍晋三氏の首相になる以前の見解に近いのであろう。3月6日、安倍首相は「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠はなかった。定義が変わったことを前提に考えなければならない」と述べた。しかしその後「政府の立場は河野談話に書いてある通りだ」と述べている。

これに対して朝日社説では、このような強制があったかどうかの議論をして問題を蒸し返すのは、木を見て森を見ずの議論である。全体として日本は責任を負っているのであると、河野談話の維持を主張する。
「どのようにして慰安婦を集め、戦地に送り、管理したのか。その実態は地域や時代によって異なる。しかし、全体としては、植民地や占領地の女性たちが意思に反して連れて行かれ、日本軍の将兵の相手をさせられたことは間違いない。
 河野談話が「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と結論づけたのは、潔い態度だった。
 細かな事実にこだわって弁明ばかりするよりも、民族や女性の人権問題ととらえ、自らの歴史に向き合う。それこそが品格ある国家の姿ではないか。」(朝日社説 3/10 慰安婦問題―国家の品格が問われる)

毎日社説は河野談話の維持を主張するが、強制があったかどうかの事実については歴史家にまかせろという議論をする。おそらく政治と歴史を峻別するべきであるということなのだろう。
「「河野談話」は、政治決着だったといえる。見直し論は、厳密な史実の裏付けがないことを理由にしているが、戦争責任問題を含めたこの種の問題での政治決着には、あいまいな部分が残るのはやむを得ない。史実を争うなら、歴史研究者に委ねるのが一番だ。…
「河野談話」見直し論のように、政治が不用意に蒸し返すと事態がかえってこじれるケースはよく見られる。長期的な視野に立っての国益をまず考えるのが政治家の責務のはずだ。不健全なナショナリズムをあおる行為は厳に慎まなくてはならない。」(毎日社説 3/8「従軍慰安婦」問題 「河野談話」の継承は当然だ)

私個人としては毎日社説に賛同としたい。日本軍が植民地女性の強制連行に関与しているという証拠がない限り、河野談話以上の責任の取り方は難しい。しかしかといって河野談話を見直す議論を政治日程に上らせるのは得策とも思えない。このような動きが、日本は過去の侵略を美化しようとしていると曲解されるのが火を見るより明らかであるからだ。

米下院決議を推進している人たちは、日本が女性を強制連行して、性的奴隷にしたということに確信を持った人たちである。朝日社説も、日本の罪を追及する人が、日本の謝罪を理解していないと批判している。しかしこのような人たちを説得するのは大変難しい。
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