荻野洋一 映画等覚書ブログ

http://blog.goo.ne.jp/oginoyoichi

豊嶋康子が仕かける「作品とは別の脈絡」

2015-05-15 12:22:42 | アート
 ギャラリーαM(東京・東神田)でシリーズ《資本空間 スリー・ディメンショナル・ピクチャーの彼岸》が、豊嶋康子を一番手として始まった。キャンバスがまっすぐにではなく、表彰状のように傾斜をつけて吊り下げられている。鑑賞者は絵画の表面だけでなく、おのずと裏面とも対峙するはめになる。キャンバスの裏面の木材、紐、壁のフックのなんとも白々しい物質性との対峙である。よく見ると、キャンバス裏面の木材は通常とちがって、奇妙な骨組み細工が施され、画布というより、これは一個の「箱」と言ったほうが適切かもしれない。そして、キャンバスの表面はグレーやオフホワイトで単調に塗りこまれているだけであり、ミニマルな表情を崩さない。絵画性拒否の物質性が強調されているように見える。
 作者の豊嶋康子は書く。「私はいつも設置場所で動揺してきた。既にある建造物に居抜き的に作品を置くこととは、作品を展示空間の床や壁の素材に対応(迎合)させることで、作品のどこかに接触部分として、作品本体とは別の脈絡から発生した加工を受け入れることである。加工された箇所は作品の外部になり『考えてはいけない部分・見えても見ないで欲しい部分・あっても無かったことにして欲しい部分』になる。」
 作家の言う「作品本体とは別の脈絡」は、鑑賞者が本来味わうべき作品本体(というアート業界の了解事項)を圧倒している。そして見られては困る部分を露悪的に見られるようにしている。ここには、美術作品という制度への悪意ある仕かけが見え隠れする。ギャラリー内には、同モチーフの傾斜をつけたキャンバスがたくさん吊り下げられ、ひとつひとつが作品でありうると同時に、そのばらばらとした集合体が作品でもある。何ひとつ鑑賞者を作品鑑賞の制度的な落としどころへと誘わない仕かけである。
 昨年にTALION GALLERY(東京・西日暮里)でおこなわれた石川卓磨キュレーション展《長い夢を見ていたんだ。》で、初めて豊嶋の作品を見た。その時に非常に印象深く私の心に刻まれた絵画性拒否のこの作家の作品を、今回もより徹底した姿で見ることができた。


《資本空間 スリー・ディメンショナル・ピクチャーの彼岸》vol.1 豊嶋康子プログラムは、ギャラリーαM(東京・東神田)で5/16(土)まで
http://gallery-alpham.com

『ビリギャル』 土井裕泰

2015-05-12 05:00:44 | 映画
 『セッション』をめぐる毀誉褒貶の数々を一瞥しつつ、一本の映画がこうやって論争を掻き立ててやまぬという事態に、ただただ安堵を覚えずにいられない。斜陽が叫ばれて半世紀もたつ映画は、まだケンカの理由になるだけの力を残していたのである。ただ、主人公の音大生を演じたマイルズ・テラーの悲壮な顔を見ていると、とても音楽の映画とは思えなくなる。もしジャズという音楽がこの作品で描かれているような稚拙なエゴの張り合いだとしたら、これほど素晴らしい歴史を築いてはいまい。
 師弟関係の相克劇という点では、『セッション』よりも土井裕泰の『ビリギャル』の方がずっといい。成績学年最下位のおちこぼれ女子高生(有村架純)が一念発起して、慶應義塾大学に合格するまでの物語。無力な若者が一念発起してがんばるというストーリー構造は、ここ四半世紀の日本映画にとって最大のジャンルを形成していて、大学相撲部、高校書道部、剣道部、演劇部、高専ロボット部など手を変え品を変え、毎年何本も新作が増えている。本来は、情熱の燃焼、人間性の形成という青春映画の構造的主軸にとって、勉強漬けであること、受験戦争に挑むことは、妥協または暗転として描かれることが多かった。今回、正攻法で受験勉強を青春映画の主軸に据えるという逆説的方法は、それなりに功を奏していると思う。
 気のせいかもしれないが、『ビリギャル』を見ながら思い出した映画が一本ある。稲垣浩監督の全盛期の一本、1948年の『手をつなぐ子等』だ。『ビリギャル』の有村架純、塾講師(伊藤淳史)、母親(吉田羊)、塾長(あがた森魚)の4者の温かい関係性を見ていて、『手をつなぐ子等』における知的障害の少年(初山たかし)、担任(笠智衆)、母親(杉村春子)、校長先生(徳川夢声)の4者の関係性を思い出したのである。師は愛と厳しさをもって全力で教育に当たり、生徒も必死に学ぼうとする。そして、ある目的が達成されたとき、生徒は感傷を残さずに去っていく。ある一定期間の師弟関係。その一本気と後ろを振り返らない覚悟が、『ビリギャル』と『手をつなぐ子等』に通底しているように思えた。


TOHOシネマズ日本橋(東京・三越前)ほかで上映中
http://birigal-movie.jp/

小川千甕 縦横無尽に生きる

2015-05-09 17:31:16 | アート
 求龍堂から昨秋に刊行された小川千甕(おがわ・せんよう 1882-1971)の作品集 兼 今展の図録『縦横無尽 小川千甕という生き方』(写真=表紙)の帯コピーには、「縦横無尽に生きるにもほどがある!」と書かれていた。さらに今展のちらしには次のような惹句が刷られている。曰く「京都に生まれ 仏画を描き 浅井忠に洋画を学び ルノワールに会い 漫画に手をそめ 日本画家となった「千甕」を知っていますか?」 これだけでもう、小川千甕のことは理解できるようになっている。大したものだ。
 京都の書肆「柳枝軒」の子として生まれ、文芸的環境のなかで育った。「柳枝軒」は水戸徳川家の蔵板書製本をつとめたり、貝原益軒の著作を多数出版した、江戸時代前期から続く伝統ある書肆である。そんな千甕は少年時代に奉公先で仏画の手伝いをしつつ、『ホトトギス』『太陽』で挿し絵と漫画を発表し、後期バルビゾン派の浅井忠のアトリエ塾で洋画を学んでヨーロッパ遊学を果たし、しばらくパリに住んで晩年のルノワールにも会いに行ったりしている。
 いわば江戸期文人の末裔が、バルビゾン派と印象派のメチエを身につけながら、多ジャンルをメランジェしていったわけである。文学ではちょうど永井荷風のようなポジションにある人ではないか。そしてそういう人が描く絵は、ちっとも権威的なところがなくて、また芸術家の才人的悲劇性を帯びることもなく、おそらくは経済的にも人間関係でも多くの苦労はあったろうが、そういうものが作品からは捨象されている。俳画のような、おっとりとしたユーモア性がにじみ出て、見る者をリラックスさせる。
 戦後は中央画壇を離れ、デパートの個展などが活動の中心となった。みずから「俗画」と称したダイナミックな筆使いは、人気を呼んだようである。ちっとも偉そうじゃないから、どんなにやんちゃやっても許されたのだと思う。かんたんに真似できることではない。


泉屋博古館分館(東京・六本木一丁目 泉ガーデン)にて5/10(日)まで
ttp://www.sen-oku.or.jp/

若冲と蕪村

2015-05-07 01:52:20 | アート
 サントリー美術館の《生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村》展は、学芸員のキュレーションシップが光る企画だ。ともに1716年生まれ、来年に生誕300年の節目を祝うタイミングで、この同じ年生まれの、しかも京都の四条烏丸付近でご近所さんだったふたりを特集しようというのである。ゴールデンウィークということもあって、すさまじい大混雑で、ややもするとそそくさと切り上げたい気分を押しのけて、作品の中に視線を凝らせば、やはり素晴らしい。史上初の東京展示となった伊藤若冲晩年の大作『象と鯨図屏風』の大胆さと精緻さ。若冲は天才だ。すごいテクニックを持っている。まさに日本画のスーパースターだ。
 しかしながら私は、今展の真の狙いが与謝蕪村をどう売るかということだったと推測している。21世紀に入って人気絶頂となった若冲とカップリングさせることで、蕪村の絵も見てもらおうという。与謝蕪村というと、普通は国語の教科書の中で「芭蕉、蕪村、一茶」と暗記させられる俳句の3巨匠のうちのひとりである。俳人としては誰でも知っているものの、彼が時代を代表する画家だったことを知っている人は少ない。蕪村だけでやっても、サントリー美術館にはこれほどの人が詰めかけることはなかっただろう。
 しかし、蕪村は若冲と互角以上に魅せてくれた。ショッキングな奇想とスーパーテクニックという点で若冲にかなう者はいないが、磊落、諧謔味、とんちを醸した蕪村の俳画、水墨画は素晴らしかった。中国絵画からの影響が甚だしい両人だが、蕪村の方がよりオーセンティックな文人画の系譜にあるといえる。
 40才代前半からは両人とも京都の四条通り界隈に住み、共通の知人、友人もたくさんあった。讃岐の金刀比羅宮に作品を提供している点でも共通している。にもかからず、ふたりの交流を示す資料や手紙は見つかっていないそうである。MIHO MUSEUM学芸員の岡田秀之氏は「このことこそ、彼らがお互いを意識していたことを示すもっとも重要な証拠であるかもしれない」と書いている。18世紀も今も、芸術家の心情はさして変わらぬようである。


サントリー美術館(東京ミッドタウン)で5/10(日)まで MIHO MUSEUM(滋賀・信楽)で7/14から
http://www.suntory.co.jp/sma/

『ザ・トライブ』 ミロスラヴ・スラヴォシュピツキー

2015-05-04 12:24:25 | 映画
 これまで短編中心の活動を続けてきたウクライナの映画作家ミロスラヴ・スラヴォシュピツキーの長編デビュー作『ザ・トライブ』は、素人の聾唖者をあつめて作り上げた作品で、彼らの演技の迫真ぶりには舌を巻く。監督の演技指導がいいのか、彼らがみな生まれつき演技の才能の持ち主だったのか、それはわからない。誰かが写っているというだけで、映画的な煙が立ちのぼっているのだ。キエフ市内の全寮制聾唖学校の生徒たちが犯罪集団を組織し、盗み、売春、麻薬売買などで稼ぎまくるという荒涼としてノワールな内容である。
 本作には全編にわたりオーラルな会話がなく、字幕も吹き替えもないことが話題となった。手話のディテールはともかく、彼らのボディ・ランゲージの明確さゆえにストーリー理解にまったく問題がない。しかし同時に、ウクライナ映画なのにその言語の音楽的な豊かさをまったく味わうことのできないのは、正直なところ残念ではある。無い物ねだりではあるが。
 いささか安易な連想と思いつつも、私は北野武の『あの夏、いちばん静かな海。』(1991)を思い出した。「聾唖は聾唖である」という一歩まちがえれば差別主義に陥るトートロジーを、「車は走る」「女は裏切る」といったゴダール的な同語反復の苦いユーモアと、過剰なセンチメンタリズムでラッピングした傑作だった。一見すると感傷を排した犯罪映画であるこの『ザ・トライブ』にも、「聾唖は聾唖である」という北野的トートロジーの水脈が流れていると思えたのである。音のない世界に生きる人々が、生きていく上で、誰よりも大きな音を出している。彼らはドアの開閉音に気を使うことはしない。音のない世界の「爆音」が執拗に響きわたる。この冷厳な逆説とともにスラヴォシュピツキーは彼の作家人生を開始したのだ。

P.S.
「ミロスラヴ・スラヴォシュピツキー」という配給側の表記に疑義をはさみたい。ウクライナ語なら「ミロスラヴ」ではなく「ミロスラウ」となるはずだ。


ユーロスペース(東京・渋谷円山町)他で上映中
http://thetribe.jp