荻野洋一 映画等覚書ブログ

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小沢昭一 著『ぼくの浅草案内』

2007-08-17 02:09:00 | 
 現在、頸椎ヘルニアを患っており、あまり分厚い本、重量のある本は読むことができない。したがって文庫やら新書やら、積ん読のままにしていたものを、移動途中などに読み荒らしているのだが、昨日今日と小沢昭一の名著の譽れ高い『ぼくの浅草案内』(ちくま文庫)を読んでいる。

 東武線の曳舟駅を起点にして、向島から言問橋で隅田川を渡り、観音裏の味わい深い町並をぶらつくというのが、僕の花見の季節のコースなのであるが、浅草という街は、自分にとってはいまだに異郷性、というかアウェー感覚が抜けきれない街である。過剰なノスタルジー性に胸焼けしてしまうというか。たとえば日本映画の旧作を見るにしても、六区でなんかより、大井武蔵野館や銀座並木座、三百人劇場の方がしっくり来てしまうという、まぁ根が田舎モノなのだろう(いま挙げた映画館はすべて全部なくなってしまったけれども)。

 そんなわけで小沢昭一の本でも読んで少しは勉強しようかと、しみったれた向上心を抱いたものの、この本の最大の欠点はやはり、下戸が書いた本であるという点だろう(!?)

水天宮の提灯

2007-08-15 01:08:00 | 身辺雑記
 仕事を終え終電にて帰宅。盆休の真夜中、ひとけのない人形町、蛎殻町を抜けて家路につく。闇色に染まった街に、そこそこ馴染みに使っているショットバーの行灯が、湿気に曇った眼鏡を通して見えてくるが(さぞかし閑古鳥が啼いていることだろう)、なぜか今夜は素通りして帰る。

『サッド ヴァケイション』の雨

2007-08-13 22:17:00 | 映画
 「Nobody」誌より『サッド ヴァケイション』評を依頼され、黒岩編集者よりVHSを送ってもらった。この新作の鑑賞はこれで2度目也。

 映画の前半の方で、浅野忠信がアパートの窓から出した手を雨粒で濡らし、一緒に暮らす中国人少年の顔に雨粒をなすり付ける。「あ、め。」と1個の日本語をこうして伝授するだけのシーンなのだが、つかの間の幸福が醸し出す、何とも知れぬ情感が感動的である。


『サッド ヴァケイション』は9月8日(土)よりシネマライズ他にて公開

朝青龍の発症

2007-08-07 19:19:00 | 身辺雑記
 朝青龍という横綱は好きだ。
 退屈なる相撲界の中では唯一気になる存在で、いにしえのタイガー・ジェットシンのごとき、イキがったヒールっぷりが、なかなか堂に入っているように見える。だが、残念ながらこの蒙古の野生児を「部屋」やら「協会」やらのフレームに収めるのは無理があったようだ。以前同様に相撲を続行するということは、現状ではかなり難しいような気がする。

 以前TVドラマの中で、晋代の著名な書家・王羲之(おう ぎし 303~361A.D.)が弟子に語った言葉が引用されていた。『不伝』。人にあらずんば伝えず。人格を備えぬ者に礼法を伝授してはならない、という意味だ。傍若無人な野生児には、この『不伝』という言葉が当てはまってしまうのだろうが、同様に「部屋」やら「協会」やらのフレームを形成する人々にも当てはまるのではないか。

 僕は職業上、たくさんのスーパースターと会ってきたが、みんなそれぞれに素晴らしく強烈な人格を備えていた。また、その人格を巧みに操縦しうる心理術もまた、優れた指導者の条件なのである。相撲界はビセンテ・デル・ボスケに学ぶべきだろう。

左上の写真は王義之の書『喪乱帖』(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)