荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『伊太八縞』 中川信夫

2013-08-01 00:20:35 | 映画
 テレビ放映された中川信夫の戦前作『伊太八縞』(1938)、これがすごい。中川というと、戦後の新東宝時代(たとえば『「粘土のお面」より かあちゃん』や『地獄』『東海道四谷怪談』、そして忘るるなかれ奇作中の奇作『ほらふき丹次』)ばかりが強烈な印象をもたらすが、それでは認識不足であることがつくづく分かるというものだ。原作は長谷川伸の江戸世話物。シナリオはどこにもクレジットされていないから、おそらく中川自身が脚色したものと思われる。東宝京都撮影所の製作で、なるほど石田民三など同撮影所の前身である大沢商会のJ.O.スタヂオ(右京区・太秦)の残り香が濃厚にただようセットのしつらえである。美術担当は、J.O.スタヂオで石田民三組についていた高橋庚子。

 冒頭シーンの寺境内、ふたりの町人の会話を冷たい前進移動でとらえるあたりからさっそく禍々しいムードが盛り上がり、トーキーの録音状態の劣悪さから何をしゃべっているのか逐一は聞こえないのだが、とにかくひとりの美女をめぐり、このふたりの町人がさや当てをしていることだけは伝わる。
 ハブのように主人公・伊太八(黒川弥太郎)の余罪をつけ回す目明し(深見泰三)やら、主人公に助けてもらいながら理不尽に怨みをいだくスリ(石川冷)やらがあまりにもタイミング悪く画面内に登場して、主人公の伊太八と美しい小唄師匠(水上玲子)の恋路を阻む。ジャンルとしての世話物ののんきさは最低限保ちつつも、江戸の街全体をどうにも住みづらい、ストレスの蓄積する空間として総体的に仮構してみせる中川の手つきは、戦前の初期作にしてすでに完璧の域に達していると言える。
 手内職で食いつなぐ貧乏侍の関根先生(鳥羽陽之助)の、愁いを帯びつつ昼行灯のていで自己防衛するたたずまいは、戦前の映画ならではの鄙びた気品を醸しだして、最高クラスの名演と断言していいだろう。ヒロインがこの関根先生のあばら屋で手内職をちょっかい程度に手伝いながら、伊太八の帰宅を待って待ちぼうける。そこに山中貞雄よろしく夕立が激しく降ってくるあたりの湿り気を帯びた、突きはなした演出も一級品である。
 伊太八が病人の見舞いを終えようやく戻ったとき、すでに女はギスギスとヘソを曲げていて、さして楽しく過ごせずじまいの蕎麦屋からの帰り道、たがいに相合い傘にも応じず、女が傘の下、男が軒先をつたいながら帰る、男女の歩行を横向きでとらえた縦構図を見つつ、「あまりにも短い、もっと見させてくれ」という言葉を投げかけたくなるのである。撮影は、戦後になって『めし』(1951)から『女が階段を上る時』(1960)まで、成瀬巳喜男の最高の時期にカメラを回すことになる玉井正夫である。