荻野洋一 映画等覚書ブログ

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『道 白磁の人』 高橋伴明

2012-06-26 16:59:17 | 映画
 高橋伴明の新作『道 白磁の人』は、日韓併合期の京城(現・ソウル)で朝鮮の民芸研究に没頭し、柳宗悦に李朝白磁の美しさを教えた人物として知られる林業試験士・浅川巧(1891-1931)の短くも濃密な生涯を描いた伝記映画。雑なカット割りもあり、予算不足の感は否めない(三・一独立運動の描写などは甚だ薄っぺらい作りになってしまっている)ものの、時に滋味あふれる瞬間が通り過ぎ、作品中3度登場する葬列シーン(京城で2度、山梨で1度)の醸す悲哀は、あまりにも美しい。
 柳宗悦が浅川に朝鮮白磁を見せてもらって、その美に取り憑かれていくのは、千葉県我孫子の柳の邸宅に浅川がふらりと現れて李朝白磁の壺を置いていってから、と私は記憶していたのだが、この映画の中では柳が京城の浅川伯教・巧兄弟の家をみずから訪問し、その白磁コレクションにショックを受ける、という描写になっていた。たしかに本作における浅川巧(吉沢悠)は、壺を手みやげに高名な美術評論家の邸宅を訪れるような優雅な人物ではない。もっとせこせことあたりを駆けずり回り、進んで泥にまみれる。人物のとらえ方が温かい。その点で高橋伴明のヒットである。
 本作を私にメールで勧めてくれた友人Hは、「このように異文化に対してどっぷり帰依してしまう日本人というのは、本当に日本人の美点なのではないか。勿論、聖書のアイヌ語訳をおこなったバチェラーとか、そういう人はいろいろいるんでしょうが」と書いてくれている。これは誠に言うとおりで、異文化にかぶれることに警戒感や侮蔑を表明すること(フランス文化を妙に遠ざける傾向とか)が聡明さの証明であると考える向きもあるが、近代における狂い方として、他者にかぶれる(=歌舞レル)ことは現状突破の最も優れた方法である。そういえば私の学生時代、四方田犬彦の『われらが〈他者〉なる韓国』なる名著があったっけ。
 「韓国の山と芸術を愛した日本人、ここに韓国の土となる」という浅川の墓標(ソウル東大門区)は有名である。孫文を援助した梅屋庄吉などと並んで、アジア近代史において無条件に慕われる本当に数少ない日本人のひとりだろう。ここまで狂ってはじめて、隣人にも敵にも一目置かれるのである。
 韓国映画の巨匠イム・グォンテク(林権澤)の『族譜』(1978)あるいは『酔画仙』(2002)で登場する、朝鮮文化に理解を示す日本人像があまりにもあざやかな印象をもたらすため、これらの作品は抗日映画としては過剰にアンビバレントなものたらざるを得なかったが、併合期に少年時代を送ったイム・グォンテクの、浅川兄弟への絶ちがたき敬慕の念が、心ならずもファインダを覗く彼の目に湿り気を帯びさせたもの、と私は信ずる。そんな都合のいい証拠はないが。

P.S.
 先日までNHKで放送されていた韓流ドラマ『トンイ』でヒロインの後見人役だったペ・スビンが、本作で浅川巧の親友を演じている。同ドラマでは随分と大根に思えたが、本作ではすばらしい。


新宿パルト9、有楽町スバル座他にて全国公開
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