荻野洋一 映画等覚書ブログ

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今年の花は哀しい

2011-04-10 09:34:41 | 身辺雑記

 金曜の夜、仕事中の移動のため、目黒川沿いの歩道を下流に向かって歩いていると、満開となった桜花が、はるか向こうにまで物言わず連なっている。花見客はいない。

 私は、元末明初の詩人、高啓の「水を渡り また水を渡り 花をみ また花を看る 春風江上の路 覚えず君が家に到る」という詩を、判で押したかのごとく唱えるのみであるが、ここで高啓の言う「君が家」とは、日本の詩歌でのように通婚や妾宅などといった「愛の巣」として捉えてはなるまい。彼らにとって、こういう場合の「君が家」というのは、学芸・思想の面で相通じ合った友との、夜を徹しての語らいを指す。人生において、これに勝る悦びはないという詩である。「覚えず君が家に到る(不覚到君家)」、つまり「いつの間にか、君の家に辿り着いてしまったよ」の「不覚」の二文字がよりいっそう、交わりの親密さを掻きたてる。運河が縦横無尽に巡らされた蘇州の街を、夜更けに花を見ながら、橋を渡りながら、ぶらぶらと歩く高啓の手にはおそらく、友と分かち合うために用意した上等な美酒が、縄ひもで釣り下げられていたことだろう。

 誰もが感じておられることであろうが、今年の桜花は、いつになく物悲しい。自粛の趨勢にあって、盛大に鑑賞されることもなく、酒肴となることもなく、ただその咲きっぷりだけは放射能まみれの空気中でも、例年どおりに普通にちゃんと咲いている。私自身は依然として貧乏暇なし、花見としゃれ込む余暇と余裕がない。だから一瞥くらいは、怖いほど静謐な美しさをたたえた今年の夜桜にくれてやってもよいではないか、と思ったのである。